戦争による強制疎開で家を壊されるまで住んでいた”生れ故郷”を久しぶりに訪ねた。
昭和20年3月10日の後、東京では駅前や軍需工場の周囲の住宅は1週間以内に立
ち退けとの命令が出て、わが家も強制的に退去させられた。ここには母親の実家が
あって、その敷地内の別棟にに僕は生まれて14歳まで住んでいた。
母の実家は、まだ東京の区部が農村当時からあった旧家で、今も僕の歳の離れた従
弟の嫁(95)が子供夫婦と生活している。僕の子供の頃は、実家は広い庭があって昔
ながらの家であったが、今は高層ビルが立ち並ぶ中に8階建てのマンションを建てそ
の最上階で暮している。
マンションの入口に元禄11年(1699)と刻まれた馬頭観音が立っている。300年前の忠
臣蔵の時代に祖先が建てたものだ。僕が子供の頃、庭の一角に小さな塚があり、そこ
にあったのを記憶している。幸い戦火にもあわず、強制疎開でも破壊されないで済み
マンションの建設後今の所に安住できた。花受けには春の花が供えられていた。
この日、僕は74年前の従弟達の結婚式の写真を持参した。実家は疎開先で空襲にあい
家財を焼失、昔の写真を持っていない。僕はこの結婚式で雄蝶雌蝶役(お酌取)を勤めて
おり、SPレコードをプレイバックさせて彼女と昔を語りたかった。しかし、残念ながら時期
が遅かった。
帰途、僕は馬頭観音にもう一度頭を下げ手をあわせた。ご先祖崇拝は日本人の心で
ある。それによって一家の繁栄もあるような気がした。
昭和20年3月10日の後、東京では駅前や軍需工場の周囲の住宅は1週間以内に立
ち退けとの命令が出て、わが家も強制的に退去させられた。ここには母親の実家が
あって、その敷地内の別棟にに僕は生まれて14歳まで住んでいた。
母の実家は、まだ東京の区部が農村当時からあった旧家で、今も僕の歳の離れた従
弟の嫁(95)が子供夫婦と生活している。僕の子供の頃は、実家は広い庭があって昔
ながらの家であったが、今は高層ビルが立ち並ぶ中に8階建てのマンションを建てそ
の最上階で暮している。
マンションの入口に元禄11年(1699)と刻まれた馬頭観音が立っている。300年前の忠
臣蔵の時代に祖先が建てたものだ。僕が子供の頃、庭の一角に小さな塚があり、そこ
にあったのを記憶している。幸い戦火にもあわず、強制疎開でも破壊されないで済み
マンションの建設後今の所に安住できた。花受けには春の花が供えられていた。
この日、僕は74年前の従弟達の結婚式の写真を持参した。実家は疎開先で空襲にあい
家財を焼失、昔の写真を持っていない。僕はこの結婚式で雄蝶雌蝶役(お酌取)を勤めて
おり、SPレコードをプレイバックさせて彼女と昔を語りたかった。しかし、残念ながら時期
が遅かった。
帰途、僕は馬頭観音にもう一度頭を下げ手をあわせた。ご先祖崇拝は日本人の心で
ある。それによって一家の繁栄もあるような気がした。