「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         必要なのは子育ての環境整備

2009-06-11 05:17:27 | Weblog
一昨日の小ブログで”父子家庭の支援は必要なのか”と書いたらシングル・ファーザー
から実情を知らなすぎるとお小言を頂き、団塊世代の方からは時代錯誤も甚だしいと
お叱りをいわれた。しかし、小ブログの真意は、いたずらに経済的に援助するのではな
く、政治家も行政ももっと子育てに必要な環境整備をすべきだ、ということなのだ。

僕らが子育てをした昭和30年代に比べて子育て環境は、よい悪いは別にしてとても変
化した。あの当時は共稼ぎ夫婦は少なく、専業主婦がほとんどであった。亭主は”関白”
で育児などには無関心だった。そして一軒の屋根の下に育児を手伝える年寄りも一緒に
生活をしていた。

先日の新聞に昨年度の統計だが、保育園の利用者数が200万人を超えたと書いてあった。
時代の変化で、今はほとんどの家庭が共稼ぎでそれだけ保育園の需要が高まってきてい
る。それなのに国の認可保育園の数が慢性的に不足していて、都会では入所希望の児童
がいつも待機している、というのは僕でも知っている。

僕が住む私鉄の駅の近くに認可保育園ではなく認証保育園がある。認証保育園は東京都
が認可保育園不足の解消策として、基準をみたせば、区と共同で補助金を出す民間の保育
施設である。いつも僕が散歩する小さな公園には、色とりどりの帽子をかぶった園児たちが
保母さんに連れられてきている。認証保育園には園児が外で遊ぶ園庭がないのである。中
には乳母車に乗せられた乳飲み子もみられる。

昔ながらの僕には、この情景がみるに耐えない。せめて2歳ー3歳児ぐらいまでは親の手元
で育てられないのだろうかー。それが出来ないのなら、国の認定保育園の数を増やし、親が
安心して働ける環境造りをすべきだと思う。父子家庭ならそれに対応した細かい支援の手を
差し伸べたらどうか。政治家たちは認定保育園の基準が、団塊世代が生まれた昭和23年
に制定されたことをご存知なのだろうか。


          時計の針が止まったテロ国家

2009-06-10 05:37:18 | Weblog
北朝鮮の中央裁判所(最高裁)が拘置中の米国人女性放送記者二人に対し「朝鮮民族
敵対罪」などで12年の「労働教化刑」を宣告した。「労働教化刑」とは、刑期の間刑務所
で労働しながら服役する罪、いってみれば懲役だ。朝鮮民族に対する敵対行為を働いた
犯罪だそうだが、裁判は非公開で控訴も許されていないそうだ。

まるでソ連(ロシア)のスターリン時代に時計の針が戻ってしまったようだ。ロシアはロマノ
フ王朝時代から帝政に反する政治犯には極刑に処する伝統があるが、スターリン時代には
最も厳しく一説には数百人もの政治犯や捕虜がシベリアのラーゲル(強制収容所)に送られ
強制労働させられた。この中には第二次大戦後の日本人捕虜も含まれ、34万人もの犠牲者
が出ている。

米国の二人の女性記者は今年の3月、中国との国境の豆満江の近くで脱北者の取材をして
いて国境を越え、守備隊に逮捕され「不法国境出入罪」に「朝鮮民族敵対罪」が加算された。
拘束直後は比較的自由に家族との電話なども許されていたようだが、地下核実験後、北朝鮮
の態度が硬化した。

核実験に対する国際社会の制裁が強まるに連れて北朝鮮は、この事件を交渉の材料にしよう
としているのは明白だ。米国のクリントン国務長官は核実験問題とこの事件とは別だとして二人
の即時釈放を求めている。拉致問題もそうだが、テロ国家であり、ならず者国家である。常識が
通用しない。



          父子家庭支援は必要なのかー。

2009-06-09 05:29:57 | Weblog
民主、社民、国民新の野党三党が父子家庭に母子家庭同様に学童扶養手当を与えるよ
う参院に法改正求める法案を提出する準備を進めているという。僕の孫の友人にも父子
家庭はいるが、野党三党が大騒ぎして法改正を求めるほどの社会問題になっているのだ
ろうか。

少し古い統計だが、平成15年度の国民生活基礎調査によると、全国で母子家庭は122万
5400世帯いるのに対し父子家庭は17万3800世帯、4800万全世帯数に対して母子家庭は
2・7%、父子家庭は0・4%にすぎない。日本の離婚率は平成10年の2・30%をピーク
に減少傾向にあるから、今でもこの数字はそんなに変わらない。

父子家庭とは18歳未満の子供がいる家庭をいうのだそうだが、普通は40歳以下の父親だ。
言ってみれば働きざかりの年齢である。事実、平成15年の統計では父子家庭の平均年収
は422万円(母子家庭229万円)である。

昨年来の経済不況で父子家庭の中には”派遣ぎり”解雇で苦しい環境にある人もいるが、な
ぜ、ここへきて一率に父子家庭支援をしなければならないのか。4月に全廃された生活保護の
母子家庭加算の復活要求もそうだが、福祉予算にも限りがある。それは出来れば一番よいの
だが”うちでの小槌”ではない。総選挙を前にしてのありありの”政策”は無責任である。

      メールの時代 消えた手紙文の美しさ

2009-06-08 05:15:41 | Weblog
Eーメールの時代である。僕ら年寄りでも最近はめったに手紙を書かないし、貰わな
くなった。今に「拝啓」「敬具」「前略」「早々」といった手紙の慣用句も死語になって
しまうのではないだろうかー。それにつれて心の篭った挨拶文に接する機会もなくな
ってきた。メールではどうしても必要最小限度のことしか書かないからだろう。

昨日、東北の山中の老人ホームで施設長をしている知り合いの女医の方から宅急便
でお米が贈られてきた。そして包みの中にこんな暖かい手紙が添えられてあった。

「時の流れは速いもので、田畑に目を向けると、いつの間にか田植えが終わり、畑の白
いビニールから葉タバコが可愛らしい芽を出しています。山では緑の樹木から山吹や藤
が黄や紫の色鮮やかな花を咲かせており、目を楽しませてくれています。この町に勤務
するようになってから五回目の春を無事に元気で迎えることが出来感謝しております。
こちらでは思わず深呼吸をしてしまうほど空気が澄んでいます。豊かな土壌の生活用水
が入らない田圃で生産され,機械乾燥ではなく天日干しで乾燥させたお米が手に入りま
したので、ぜひ召し上がって頂きたく些細ではございますが送らせて頂きます」

メールではこんな心の篭った文章はかけない。大自然の恵みの中でとれた心の篭った
贈物を夫婦で手をあわせ、感謝しながら早速頂戴した。

             ”お酌禁止令”に拍手

2009-06-07 05:09:34 | Weblog
長野県庁では、この春以来板倉敏和副知事の呼びかけで県職員らの内輪の宴会で
お互いにお酌をするのをやめようと申し合わせたという、この”お酌禁止令”に対して
若い世代や女性は“気を使わないで済む””自分のペースで飲める”と大方好評のよう
である僕も賛成だ。

わが老妻の生まれ故郷は長野である。これまで何十回ともなく冠婚葬祭のさいの宴会
に出ているが、困るのは度のすぎたお酌である。東京の僕の職場ではドライであまりお
酌の習慣などなかった。いつも自分のペースで手酌でやっていたので、お酌にまわるの
はうっとおしい。

長野だけではない。地方の都市ではまだ昔のしきたりが残っている。十数年前だが出張
先の沖縄で宮古島出身の人たちの宴会に出て、島の”おとーり”という習慣に従って泡盛
を強要されてしたたか酔わされた。聞くところによると、この”おとーり”は最近宮古島市議
会の条例で禁止されたとか。

酒の飲み方が変わってきた。かってのように熱燗のとっくりから、チビリチビリ杯で飲む人
は、あまりいなくなった。床の間を背にして、きれいどころにお酌してもらうのならば情緒も
あり絵になるが、焼酎のお湯割りのコップではー。それに馬齢を重ねると、残念ながら酒量
も決まってきた。健康を考えれば、やはり自分のペースで手酒で飲むのが一番よい。


       オバマ大統領とイスラムの空気

2009-06-06 06:18:08 | Weblog
中東歴訪中のオバマ米大統領はカイロで行った演説の中で「私はキリスト教信者
が、先祖にはイスラム教徒もいるし、自分も少年時代インドネシアで「アザーン」
(祈りへの呼びかけ)を聞きながら育った」と挨拶した。

オバマ大統領は1967年から4年間、インドネシア人の地質学者と再婚した母親と
一緒にジャカルタで育ち現地の小学校に通っている。僕も1967年ジャカルタに勤
務し、オバマ少年が住んでいた家の近くでホテル住まいをしていた。多分、僕もオ
バマ少年が聞いた同じモスクの「アザーン」を聞いた。

イスラム教徒は一日に5回、定められた時間にメッカの方向に向かって祈りをする
が、これに先だってモスクから「アザーン」の声が流れてくる。今は拡声器によるが
オバマ少年の頃は信徒のナマの声によるものではなかっただろうかー。異教徒で
も異国で聞く「アザーン」-とくに日の出前の第1回の「ファジュル」を夢うつつで聞
くのは旅愁を誘って好いものだ。

しかし、イスラム習慣のない日本では「アザーン」はおろか、信徒の祈りさえ騒音と
なる。ある研修施設で日本人職員が声がうるさいと部屋の戸を叩き問題になったこ
とがある。「アザーン」を聞きながら育ったオバマ大統領である。歴代の大統領に比
べれば、イスラムの空気は理解できよう。「相互利害と尊敬に基づき米国と世界の
イスラム教徒とが”新しい始まり”になる」ことを心から願っている。

        横浜開港と祖父の147年前の写真

2009-06-05 05:31:21 | Weblog
わが家にチョンマゲに二本刀をさしたサムライ姿の祖父の写真が残っている。祖父が
手にした写真の扇子には「文久二年癸戌(みずのといぬ)○○忠義 三十二歳」と書い
てある。これからみて写真は147年前の1862年に撮影されたものだ。つい最近まで写
真の銀板も残っていたが、転勤による引越しで残念なことに紛失してしまった。

今年は横浜開港150年である。これを記念して開港記念館で当時の横浜を撮影したス
イス人写真家の作品が展示されている。祖父の写真はそれから僅か3年後に撮影され
たものだ。当時祖父は徳川幕府直参の役人だったが、高い地位にいたわけでもないし
歴史上の人物でもない。

文久2年という年は、坂下門外の変があり、生麦事件で英国人が斬りつけられ、高杉晋
作らによって御殿山の英国大使館が焼き討ちされるなど、尊王攘夷の渦で物騒な時代
であった。祖父はそんな時代になぜ横浜へ写真を撮りにでかけたのかー。江戸には当
時写真師はいなかったとはいえ、汽車のない時代、横浜へ行くのは大変な頃だ。

僕は前から、この写真は誰が撮ったのであろうかーに関心があった。開港3年後である。
果たして日本人の写真師がいたのかどうか疑問に思っていたが、開港150年を機会に幕
末写真史を調べたら、日本の写真の祖といわれる下岡蓮杖がアメリカ人写真師ウンシン
(ジョン・ウィルソン)からカメラを譲り受け、この年弁天通りに開業した、とあった。祖父の
写真は下岡蓮杖が撮影したものに違いない。それにしても当時の日本人は写真を撮られ
ると魂を抜かれると敬遠していたというのに、祖父は自分の名前、年齢、撮影年まで残
している。祖父は明治32年8月、69歳で亡くなっている。

     19年前の「求人情報」 ファジーの時代

2009-06-04 04:59:59 | Weblog
書庫を整理していたら、本の中から栞(しおり)代わりに使っていた「求人情報」
(平成2年7月2日)のチラシが出てきた。平成2年(1990年)といえば、バブル経
済絶頂期の頃だ。当時住んでいた東京の八王子の新聞に挟まれていたチラシ
である。この年の夏、わが家は今の家に引越ししているので、このチラシは梱包
に使っていたものかもしれない。

「求人情報」は八王子に隣接する相模原市の企業が中心だが、興味深かったの
は、アルバイト、パートの仕事に混じって、まだ「正規」社員の募集があったこと。
時給も700円ー900円、長期(3か月)の場合は1000円ー1200円というのもあった。
19年も前なのに今と比べても、たいして変わりがないことだ。

この年2月には第39回衆院議会選挙があり、自民党の第二次海部俊樹内閣が成
立しているが、この時の幹事長が小沢一郎氏だ。新聞には小沢氏が経済団体連
合団体連合会傘下の企業から300億円の政治資金を集めたと、書いてあった。

この年の流行語の一つにファジー(fuzzy)というのがあった。境界が不明で曖昧とい
う意味だが、今、考えるとこの年は確かにファジーだった。バブル経済の好景気に浮
かれているうちに、いつかバブルははじけ、翌91年から”失われた10年”が始まった。

8月総選挙説が有力になってきた。古い「求人情報」をみて、失われたあの時代をふと
振り返ってみた。ジンクスにならなければよいが。

   泰緬から帰らなかった元日本兵 映画「花と兵隊」

2009-06-03 04:57:27 | Weblog
昨日、試写会に招かれて映画「花と兵隊」(監督・撮影・編集・松林要樹)を観た。
先の戦争の激戦地ビルマ(ニャンマー)に戦後も日本に帰らず残留した6人の元
日本兵を描いたドキュメンタリー映画である。松林要樹監督はまだ1979年生まれ
の若さ。もちろん戦争を知らない世代である。彼は2005年から現地へ行き、時に
は自らカメラを回し、メガホンをとって編集した映画である。

敗戦後、インドネシアを筆頭に南方各地で復員せずそのまま現地に残った元日本
軍関係者がいたのは事実だが、ビルマについてはあまり知られていない。インパー
ル作戦では投入された35万人の兵力のうち19万人が退路をたたれ犠牲となってい
る。とても、この地に残留した日本兵がいたとは思ってもいなかった。

映画「花と兵隊」は戦後64年、戦争によって異国での居住を強いられた6人の生きざ
まを、監督がマイクをもちインタービュしながら取材しているが、6人のうち映画完成
までに2人が鬼籍に入っている。頂戴したパンフレットには「あなたにはいま伝えて
おきたい」と書いてあったが、戦後生まれが7割強、まさに、この言葉通りの作品で
ある。

松林監督は祖父ぐらい違う年齢の残留者を丁寧に追いながら、残留した理由を中心に
戦争の残酷さを描いている。戦争という難しいテーマだが、現地の美しい自然や動物
を上手に使い、残留者と現地人家族との人間愛も画面から伝わってくる。

「花と兵隊」は今年7月上映の予定。連絡先
〒164-0011 東京都中野区中央3-13-10 3F 合同会社 東風気付
℡ 03-5389-6605 FAX 03-3369 -8228 E-mail hanatoheitai@yahoo.co.jp
公式HP http://www.hanatoheitai.jp/






            薬は九層倍の認識を!

2009-06-02 06:14:07 | Weblog
”6月1日から「くすり」が変わります”と新聞に全面広告が出ていた。どこが変
わったのかー素人なりに整理してみると、家庭薬の名前が「OTC医薬品」となり
「登録販売者」がいれば、スーパーやコンビニでも一部の薬を除いて買えるよう
になったことらしい。僕は前から日本の薬は高いと思っているひとりだが、今度
の薬事法の改正で、薬が若干でも安くなれば、国の医療費高騰の歯止めにな
るのではと期待している。

日本は”薬王国”らしい。欧米で生活した人の話では、他国の医者は日本のよう
に簡単に薬を出さないらしい。中には薬は”毒”だとい意識の国もあるとのこと。
これに反して、日本ではなんでもかんでも薬を出す医者が多い。医者は”点数”に
なるし、患者も医療費1割負担なら、そう高いとは感じない。僕も長い間、高いと
は思っていなかった。

ところがである。数年前に後期高齢者医療の改正があって、年金以外に多少収入
がある僕ら夫婦を”現役なみ”とみなし、医療費に3割負担を課してきた。3割負担
になると、薬九層倍が実感として伝わってくる。僕は高血圧と糖尿予備軍で3週間
に1回程度治療を受けているが、調剤薬局への支払いは1回に5千円近くになる。

3割負担というののは、あとの7割は国の負担である。僕ら老人が3人集まれば薬の
話である。中には飲まないで捨てるぐらい薬を貰っているものもいる。1割負担なら、
そう高く感じないが、3割だとずっしり重く感じる。このさい、患者負担を一律3割に
したらどうかー。そうすれば、老人は医者にかからなくなるし、医者もやたらに薬を出
さなくなり、重病以外は「OTC医薬品」で済ますのではないだろうか。国民がやはり
薬は九層倍の認識を持ったほうがよい。