「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        「 敬老の日」 に年寄りが望むこと

2010-09-20 05:15:07 | Weblog
今日は「敬老の日」である。来年2月の誕生日がくると、満80歳になる僕のところへ
先日、住んでいる自治体の長から傘寿のお祝い金5000円が贈られてきた。そして
今日は近くのホールで、お祝いのパーテイがあり、その招待状が届いたので付き
添いの老妻と一緒に出席、記念品を頂戴してきた。これで所在不明の老人ではな
いことの証明にはなった。

今年、傘寿を迎える僕らは、昭和5年4月から6年3月までに生まれた年代。生まれて
すぐ6年9月には満州事変が勃発、小学校1年の12年7月には支那事変に拡大、5年
生だった16年12月には大東亜戦争に発展、20年8月まで15年間も戦争が続いた。い
ってみれば戦争の申し子、まさに銃後の小国民世代である。

先日「敬老の日」に当たって電通が若い世代と老人世代のそれぞれ”しやりたい”こと
と”して貰いたい”ことの調査をしていたが、これによると、若い世代は”してやりたい”
ことは外食や家への訪問、これに対して老人の”して貰いたい”ことは、子供や孫から
のメールや電話だという。なにか核家族を象徴するような感じがして寂しい、

「敬老の日」に甘えて、僕の若い世代に”して貰いたい”ことはなんであろうか。それは
世界に共通した最低限度のモラルの遵守である。具体的に言えば、公共交通機関の
中での飲酒の禁止、道路でのもののポイ捨て、年寄りがきたら立って席を譲ることetcで
ある。そして”して貰いたくない”ことは老人に対して変な子供言葉を使用しないことだ。

       ”すすきのお化け”に秋を見つけた

2010-09-19 06:25:21 | Weblog
9月半ばを過ぎて、やっと秋が東京にもやってきた。その秋を求めて近くの大学キャン
パス跡に出かけたら、群生したすすきのお化けのようなバンバン・グラスが、いつのま
にか僕の背丈よりも伸びていた。見上げた青空は明らかに秋の空であった。(写真)

万葉の歌人、山上憶良は千数百年前の昔”秋の野に咲きたる花を指(および)折り、か
き数ふれば七種(ななくさ)の花、萩が尾、尾花、葛花、撫子の花、女郎花(おみなえし)
また藤袴(はかま)、朝貌(あさがお)の花”と歌った。

21世紀の武蔵野には、もうこの秋の七種の花は見つけにくい。とくに今年は猛暑の影響
なのかもしれない。2泊3日の新潟への老人会の旅から帰ってきた老妻がいうには、関越高
速道路脇のすすきは、旱天に枯れて穂も見られなかったという。

バンバン・グラスは、ものの本によれば、アルゼンチン温帯草原(パンパス)が原産だとい
う。いつ頃日本に渡来してきたものだろうか。もちろん万葉の時代にはなかったはずだ。ネ
ット情報によると、天草地方に群生地があるという。もしかすると、馬鈴薯と同じように南米
からヨーロッパを経て南蛮船でやってきたのかもしれない。

最近は生け花などにも使われているそうだが、日本古来のわび、さび文化には似つかわし
くない。俳句の季語はやはり秋なのだろうかー。


     ”国賊”岡崎とし子国家公安委員長の品格

2010-09-18 06:05:29 | Weblog
菅改造内閣の顔ぶれを見てドギモを抜かれた。「国家公安委員長」の要職に岡崎とし子
氏が任命されたのである。かって岡崎氏と民主党の同僚であった西村真悟氏関連のHP
で岡崎氏は”国賊””売国奴”呼ばわりされており、僕も岡崎氏のその証拠ともいえる写真
をなにかでみたのを覚えている。

このHPは2005年2月13日の「産経新聞」の記事を引用しているが、それによると、岡崎氏
は韓国訪問中、戦争中の”従軍慰安婦”に対する補償を要求する同国のデもに参加、場所
もあろうに在ソウル日本大使館前で、デモ隊に混じって拳を突き上げ抗議した。現役の国会
議員が、自国の大使館に向かって抗議するなんて前代未聞だ。しかも彼女は車利用の便宜
を大使館から受けていた。僕はこの記事を読んで岡崎氏の品格の無さにびっくりした。

この岡崎とし子氏が「国家公安委員長」である。仙石官房長官は、閣僚名簿発表に当たって
”適材適所”だといい、岡田幹事長は”ベスト”だと言っていた。しかし、自分の国の代表機関
である在外公館の前で、拳をあげて抗議する人間が果たして「国家公安委員長」として”適在
適材”なのだろうかー。ブラックユーモアにもならない。

ウイクぺデイアによれば、国家公安委員長というのは、国家の公安に係わる警察運営を司さど
り、警察の中立性の確保と治安の確保に対する国内の行政責任を持つ要職である。菅総理は
改造内閣は、民主党国会議員412人のチームプレイだといっているが、こんな過去に”国賊”行
為のある人物しか「国家公安委員長」はいないのだろうか。

       ”足元をみる”中国外交のいやらしさ

2010-09-17 06:12:17 | Weblog
中国人富裕観光客の日本での派手な買物ぶりがテレビで色々と伝えられている。これを
みて僕は日本製品の高品質に誇りを持つ一方、半面では貧乏人のネタミみたいな感情も
ないでもない。しかし、各地の不況な観光地にとっては旱天の慈雨であり歓迎されている。

その中国が日本の領土である尖閣諸島沖で、日本の巡視船に体当たりしておきながら謝
罪もせず逆に文句をつけ、逆恨みの行動に出てきている。衝突事件後、中国各地では日本
に対する抗議や在留邦人への嫌がらせが30件も起きているという。

中国の「環球時報」という新聞は”日本はもはや中国にとって重要ではない。関係が悪化し
ても中国はそれに耐える能力がある”と報じているそうである。そして、その根拠として同紙
は”日本にとって中国は最大の輸出相手国であり、10万近い日本の企業が中国に依存して
いる”点をあげている。

中国に”人の足元をみる”という諺があるかどうかはしらない。しかし、漁船衝突事件後の中
国側の対応には、それがみられる。”儲けさせてやっているのだから、領土問題に口を出すな”
といった態度だ。

中国人の商売に対する”したたかさ”は歴史的にもよく知られている。前原国土交通相が先月
北京詣でをして、中国人観光の扱いを日本の業者にも解放せよ、と交渉していた。閣僚の”トッ
プ・セールス”のつもりだったのだろうが、これこそ”足元”を見せる行為だ。台湾の友人がいつ
も僕に忠告している。”中国に騙されてはダメですよ”だ。

        年金の世代格差と”ミドルエージ”

2010-09-16 05:25:47 | Weblog
NHKテレビの特集番組「ミドルエージ・クライシス」をたまたま見た。日本の30代
が直面している”危機”をいろんな角度から取り上げているみたいだ。僕が見たの
は30代が将来受給できる年金が、現在の高齢者の受給額に比べて低すぎる、そ
の世代間格差についての不満のようであった。

日本の年金制度は、確かに世代間の格差が大きく、僕ら高齢者が貰っている年金
は、将来今の30代が貰う額の3倍も高額だと、本で読んだことがある。これでは30
代から文句が出るのは理解はできる。しかし、これは僕ら高齢者の責任ではないし
恨まれる筋合いの話ではない。

僕ら後期高齢者が30代だったのは、昭和30年から40年にかけての頃だった。当時
の僕らの年収は1000㌦(36万円)以下で、僕らは何時になったら欧米なみの給料を
貰えるかと話あったものだ。毎月貰う給与袋の明細書を見ると、多額な厚生年金が
差し引かれていた。年金には、ほど遠い年齢だった僕らは時には、これを恨んだりし
たが、正直いって世をあげて”モーレツ”の時代で、あまり年金の話などしたことがな
かった。

今の30代は就職氷河時代に大学卒業期を迎え、いまだに定職がなく”親がかり”の
生活をしている者もいるという。しかし、僕らの時代もけっして容易に仕事があった時
代ではなかったが、30代で親の家でブラブラしていた者はいなかった。今の30代は、
”団塊二世”といわれ、世の中について、ちょっと”甘え”があるのではなかろうか。

高齢化時代である。果たして30代が”ミドルエージ”かどうかだ。将来の日本を背負っ
てたつ世代である。不満をいう前に自分たちで解決策を考えたらどうか。

          小沢一兵卒のラッパ

2010-09-15 05:23:09 | Weblog
民主党代表選で菅直人総理が”大差”で代表に再選された。結果は菅721ポイント
に対し小沢491ポイントと"大差”にみえるが、国会議員の票は、僅か6票(6人)の
差だ。果たして”大差”といえるかどうかだ。菅総理は勝利後”選挙が終われば、ノー
サイド”といっているが、これで小沢一兵卒のラッパの響きが鳴り終わるとは思えな
いのだが。

この14日間の民主党代表選の騒ぎはいったいなんだったのか?”国民生活第一”
といいながら、まったく国民の生活には関係のない党内の権力闘争をさらけ出した
ものにすぎなかった。菅、小沢両候補の争点は根本的な違いがみられ、とても二人
が同じ政党に属しているとは思えなかった。

民主党主体の政権が発足して、ちょうど1年だが、この1年、なにか進展があっただ
ろうか。うち9か月は”政治とカネ””普天間移転”をめぐる「小鳩体制」で迷走し、やっ
と収まったと思ったら、今回の訳のわからない”小沢しゃしゃり劇”である。しかもこの
演出が迷走の責任をとったはずの鳩山”ばか殿様”ときている。

負けた小沢氏が、またぞろ"一兵卒”発言をした。彼の"一兵卒”発言はこれで三度目
である。過去の2回はそういいながら、得意のラッパを吹いて、烏合の衆を集め騒ぎを
起こしている。今回だってわかりはしない。とにかく党内の半分近くの議員が彼に支持
票を投じているのだ。

昔の軍隊には”ラッパ卒”というのがあって、敵陣攻撃のさいには真っ先に立ってラッパ
を吹いたそうだ。小沢”ラッパ卒”殿、お国のためです。間違ったラッパだけは吹かないで
頂きたい。

       戦前の日本人のイスラム理解     

2010-09-14 05:19:01 | Weblog
ニューヨークの9・11同時多発テロで崩壊した世界貿易センタービルの跡地近くに
イスラム教のモスク建設計画があり、これをめぐって米国内で反イスラム感情が高
まっている。一方、これに対して世界のイスラム諸国では、米国人キリスト教牧師
がイスラムの聖典、コーランを燃やしたことに抗議、反米運動ガ激化している。

宗教問題については寛大で無関心な日本では、マスコミもこの問題を大きく扱わ
ないが、世界中が大騒ぎをしている。もともと日本にはイスラム教徒は少ないし、
最近外国人労働者の増加によってイスラム人口が増えたといっても、せいぜい10
万人程度だ。だから一般日本人の対イスラム知識は少ないし理解もない。

意外なことだが、戦前の日本でコーランが日本語訳されている。翻訳者は戦後の連
合軍極東裁判で、東條英機被告の頭を叩いて話題になった、A級裁判被告中、唯一
人の民間人だった大川周明である。大川はアジア主義を唱えた思想家で、戦争を煽
動した理由で逮捕されていた。大川の著書「回教概論」は最近、中公文庫などで復刻
出版されているが、イスラム理解に役立つなかなかの名著である。

戦前の一般日本人のイスラムについての理解のほどは不明だが、68年前の昭和17年
3月、ジャワ島上陸作戦のさい第16軍將兵に配られた「皇兵あらたに皇民皇土をつくる」
という冊子には、上陸後イスラムをめぐって島民との間にトラブルが起きないように”むや
みにモスクへ入るな”等イスラムの戎律習慣が書かれてあった。

世界は狭くなっている。知っていて損なことはない。大川周明の「回教概論」の一読をお
薦めする。


        高齢者の転倒事故の危険

2010-09-13 05:26:02 | Weblog
クレージー・キャッツの谷啓さん(78)が急死した。同世代の一人としてショックだ。
新聞報道によると、谷啓さんは自宅の二階への階段を登ろうとして、つまづき前
のめりに転倒して頭を強打したのが原因だとのこと。病気ではなく、いってみれば
事故死なのである。

年をとると誰も足腰が弱くばってくる。僕も70歳代前半までは毎朝元気に最低5千
歩は歩いていたが、最近はめっきり弱くなり、自宅の外の階段の上り下りにも手す
りのお世話になっている。うっかり足を踏みはずし転倒するのが恐いのである。寝
たきり老人のほとんどは転倒によるものだそうだ。

転倒は老人でなくとも恐い。老妻の妹は十数年前、住んでいた集合住宅の同じ棟の
隣人の引越しの手伝いをしていて、階段で足をすべらし、頭を強打、谷啓さんと同じ
脳挫症で死亡している。打った直後はたいしたこととは思わなかったが、打ち所が
悪かったのである。まだ50歳代の若さであった。

最近、病院や老人施設では、高齢者の転倒防止のバリア・フリー化が進んでいるが、
公共の交通機関を始め、街中の施設はまだまだである。いわんや昔から住んでいる
自宅などは、年寄りにとっては危険である。僕の実際の体験でもスリッパーを履き損
なって危うく転びそうになった。

スイスでは高齢者の死亡原因の第4位は事故死で、その事故死の半分以上は転倒
によるものだという。転ばぬ先の杖というが、僕ら老人は、もう一度、自分の住んでい
る周囲を点検してみよう。

        大本営報道部長一家の自決

2010-09-12 05:38:46 | Weblog
民主党代表選の最中、先日、菅総理ら閣僚が街頭に出て、自殺予防のキャンペーンに
参加していた。9月10日はWHO(世界保健機関)の定める世界自殺予防デーで、日本
では毎年10日から1週間は自殺予防特別週間だそうだ。そのぐらい、わが国の自殺は
多く、この12年間連続で年3万人以上が自殺している。

同じ自らの命を絶つにしても、日本では自殺、自害,自刃、自決など色々な言い方があ
る。敗戦の昭和20年8月15日から翌9月3日のミズリー艦丈の降伏調印式前後にかけて
はおそらく、わが国の史上、最もみずからの生命をみずからの意思で絶った方々が多か
ったのではなかったのではないだろうか。この方々のことは自殺とは呼ばない。

敗戦の日には阿南惟義陸軍大臣が割腹自決し、9月に入ると杉山元・元帥夫妻が自害
(12日)小泉親彦・厚相(13日)横田邦彦・文相(13日)が相次いで自ら命を絶っている。東
條英機・首相も11日ピストルで自決を図ったが、未遂に終わっている。

こういった高官に混じって親泊朝省大佐も妻子3人を道連れに心中されている。親泊大佐は
沖縄出身で、大本営の陸軍報道部長をされていた。遺書には「ガ島で死すべかりし命を今
宵絶ちます。皇国の前途をよろしく頼む」とあった。親泊大佐はガダルカナル島攻防作戦
の参謀であった。

「比島決戦の歌」(西条八十作詞 古関裕而作曲)の中の一節「いざ来い、二ミッッ、マッカサ
ー出てくりゃ地獄に逆落とし」は、親泊大佐の報道部長時代の即興の補作とされている。この
歌は、終戦直前の大ヒット作で、僕も焼野原の動員先で歌ったものだ。親泊大佐一家は、ミ
ズリー号艦上の降伏式の前日命を絶っている。僕には大佐の心情がよくわかる。

         「朝ラー」「屋台」の流行

2010-09-11 05:53:55 | Weblog
東京のサラリーマンの間で朝食にラーメンを食べるのが流行しているらしい。略して
「朝ラー」というのだそうだ。今年のような猛暑でも朝から行列が出来る店もあるとネ
ット情報にあった。朝食抜きよりは健康的だが、僕のようなリタイヤーが長くなった老
人には、ちょっと抵抗があるが。

「朝ラー」と同じように、今、都会の若者の間で屋台に人気があるとテレビ番組が紹介
していた。新宿西口のガード近くの「思い出横町」みたいな、狭い店内で飲んだり食べ
たりするのが若い人には珍しく、なにか知らない昔の郷愁があるのかもしれない。僕ら
戦後の焼跡派は、たいがい飲むのは「思い出横町」みたいなバラックかガード下が多か
った。多かったというより、それしか飲む所はなかった。

それで想い出すのはシンガポールだ。1966年初めてシンガポールを訪れた時は、町の
至る所に屋台があったが、今はホーカー・センターといって高層集合住宅の中に吸収さ
れてしまった。ホーカー・センターは観光客目当てのものもあるが、僕は住民の生活の
匂いのするほうが好きだ。

僕のシンガポールでの定宿であったMRT東線「Raya Leba」駅近くのホーカー・センター
は中国系,インド系、マレー系それぞれの「屋台」が集まっていて朝から賑あっている。僕
は毎日、このセンターで中国、インド、マレーの朝食を食べ歩いた。ホテルの朝食よりずっ
と安く美味しかった。

東南アジアにはシンガポールだけでなく、こういった屋台料理がどこにでもある。そして長い
華僑食文化があるから、どこでも麺が美味しくて安い。日本の「朝ラー」屋台の流行もその
影響を受けているのかも知れない。