5月第2日曜日は「母の日」である。この日に紅白のバラを母親に贈り、感謝する慣習はいつごろから日本で始まったのであろうか。亡母は昭和51年、今の僕の年、83歳で亡くなっているが、生前、僕は「母の日」に何かお祝いをした記憶はない。老妻に確認したが、覚えはないという。
ウィキペディア情報によると、5月の第2日曜日に「母の日」を祝うのは米国と日本だけのようだ。スペインは5月の第1日曜日、北欧諸国は最後の日曜日である。その起源については、いろいろな説があって判らない。しかし、第2日曜日が米国で「母の日」に制定され、国祭日となったのは1914年、ウイルソン大統領の時で、百年前の事である。日本が米国にならって、この日が「母の日」として祝うようになったのは戦後、それもこの20年ぐらいだと思う。
「母の日」から百年ということで、百年前の日本の社会の母親感を一つ。「たはむれに母を背負うてそのあまりの軽さに泣き三歩歩まず」-石川啄木の歌だが、啄木は1912年4月、26歳の若さで夭逝、母親のカツさんは、その1か月前の3月に亡くなっている。二人とも結核であった。多分、この歌は病身の啄木が、これまた病身で痩せ細った母親を背負った時の感想である。百年前の日本の貧しかった社会が想起され痛ましい。
「バレンタイン.デイ」と同じくコマシャーリズムが多少チラホラしないでもないが、年に一回「母の日」に母親に感謝し、亡き母を想い出す出すのはよい事である。啄木と違い、わが母は16貫(60キロ)もあった。幼稚園で僕がこのことを”自慢”して友達に言いふらした、と苦笑してたのが何か想い出として残っている。戦前昭和のうたたかの平和の佳い時代の話である。
ウィキペディア情報によると、5月の第2日曜日に「母の日」を祝うのは米国と日本だけのようだ。スペインは5月の第1日曜日、北欧諸国は最後の日曜日である。その起源については、いろいろな説があって判らない。しかし、第2日曜日が米国で「母の日」に制定され、国祭日となったのは1914年、ウイルソン大統領の時で、百年前の事である。日本が米国にならって、この日が「母の日」として祝うようになったのは戦後、それもこの20年ぐらいだと思う。
「母の日」から百年ということで、百年前の日本の社会の母親感を一つ。「たはむれに母を背負うてそのあまりの軽さに泣き三歩歩まず」-石川啄木の歌だが、啄木は1912年4月、26歳の若さで夭逝、母親のカツさんは、その1か月前の3月に亡くなっている。二人とも結核であった。多分、この歌は病身の啄木が、これまた病身で痩せ細った母親を背負った時の感想である。百年前の日本の貧しかった社会が想起され痛ましい。
「バレンタイン.デイ」と同じくコマシャーリズムが多少チラホラしないでもないが、年に一回「母の日」に母親に感謝し、亡き母を想い出す出すのはよい事である。啄木と違い、わが母は16貫(60キロ)もあった。幼稚園で僕がこのことを”自慢”して友達に言いふらした、と苦笑してたのが何か想い出として残っている。戦前昭和のうたたかの平和の佳い時代の話である。