「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

北の湖理事長の急逝 肥満とストレス

2015-11-21 06:11:29 | 2012・1・1
大相撲協会の北の湖理事長(第55代横綱)が昨日62歳の若さで、直腸ガンで急逝した。体調不良を訴えながらも前日まで場所入りし執務していたという。理事長は2年前に大腸ポーリブ手術で入院、今年7月には水腎症で検査入院している。普通、これだけの病歴があれば、身体には細心な注意を払い、仕事より治療に専念するのだが、ガンは末期がんだったとのこと。おそらく、本人は理事長職としての責任から病気を過小評価したとしか思えない。

昭和の大横綱で、理事長職を務めた双葉山も56歳で早逝している。同じような経歴の二子山理事長(初代若乃花)春日野理事長(栃錦)も70歳代前半で他界、理事長にはならなかったが大鵬も60歳で脳梗塞で倒れ、73歳で亡くなっている。日本人男性の平均寿命が79歳という時代からみれば、早い死である。相撲取りといえば、強靭な体力の持ち主と一般に思われているだけに意外な気がするが、肥満と早逝との間に相関関係があるのだろうか。

先日、医者に嫁いだ遠縁の女性から喪中の挨拶状が届いた。御主人が54歳で肝臓がんで亡くなったという知らせである。毎年二人仲良くおさまったトゥショットの写真入りの年賀状を頂戴していたのに信じられない。御主人はお医者さんにして肥満だが、多分、これは外科医とし体力が必用だからと、僕は思っていた。多分、彼の場合はストレスが死を早めたに違いない。

北の湖理事長もストレスが多かった。前回の理事長時代の”八百長”問題、これが片付いたと思ったら、かっての一番弟子金親(熊谷親方)の暴力事件、さらには横綱白鵬の横綱らしからぬ”猫だまし”騒ぎなど、亡くなる数日前まで理事長の心を痛ませていた。やはり、理事長の場合もストレスが原因だ。

"猫だまし””八漕跳び” 大相撲の手ではない

2015-11-20 06:45:50 | 2012・1・1
昨日テレビで大相撲を見ていたら十両の取り組みで、石浦が立合いと同時に右に大きく舞い上がって跳んだ。義経の壇ノ浦の合戦の故事に寄せて”八漕跳び”と呼ばれている奇手だが、結果は相手の大翔丸に見破られて押し出され負けた。石浦は小兵の力士、今場所好調で、十両優勝へのトップを行く大翔丸には勝ち目がないとの判断からであろう。相撲は勝負の世界だから理解できないでもない。しかし、先日横綱白鵬が10日目の土俵で関脇栃煌山に見せた”猫騙し”は頂けない。35回も優勝している大横綱である。堂々と横綱相撲を取って貰いたかった。

戦前、大鉄傘の両国国技館、土俵に四本柱があった頃から相撲をみているオールドファンである。昔、大相撲が年二場所だった時代には本場所とは別に「花相撲」が何回も開催された。その「花相撲」の呼びものの一つに”初っ切り”があった。当時、四十八手と決められていた相撲の手以外の禁じ手を幕下以下の力士が面白おかしく披露する見世物で、力士が髷をつかんで投げたり、足で蹴とばして倒したりして観客を喜ばせた。

"猫だまし”も”八漕跳び”も相撲の決まり手ではない。見た目には面白いが、相撲を国技だとかたくなに思っている僕には許せない。堂々と四つに組んで勝負するのが大相撲なのである。僕だけでもなそうだ。昨日の取り組みで外国人同士の小結栃ノ心と前頭1枚目の大砂嵐が四つに組んで、互いに力をだしあった土俵上の攻防戦に観客は大拍手を送っていた。サーカス相撲は大相撲の衰退に通ずると、僕は固く信じている一人である。

パリ.テロリストの「カミカズ」自爆行為とアラブ人の死生観

2015-11-18 05:56:00 | 2012・1・1
パリのテロリストの自爆犯についてフランスの新聞は、日本の神風特攻隊に模して「カミカゼ」を「カミカズ}と誤って使用しているようだ。フランス文化については門外漢だが、一般的にフランス人は一回限りの人生だから現世を楽しもうという人たちが多いと聞く。だから自分の生命を絶ってまで聖戦(ジハード)を叫ぶアラブ人の気持ちは理解できないに違いない。

これに対してアラブ人は逆な死生観の持ち主が多いみたいだ。何回かこのブログでも引用させて貰っている「アラブ人気質と性格」(サニア.ハマディ著 笠原佳雄訳 サイマル出版 1977年)には”禁欲主義”とう一章の中で次のように記述している。

「アラブ人は厳しく、満たされない環境の中で生活している。自分の可能性を伸ばしたり社会的地位を明確にするチャンスはほとんどない。来世にのみ救いを見出している。だから現世に価値を認めず、将来によりよい状態を期待するわけだ。彼らは死を考えた時にだけ喜びを感じる。アラブ人は常に人間はこの地球に短い間しかいられないことを口にし、しばしば死を考える」

カーター米国務長官が今回のテロについて”文明対文明の戦いではない。文明対野蛮の戦いである”と述べていた。確かにその通りである。かりにアラブ人が現世を否定し来世に期待する死生観の持ち主であっても、他人の生命まで奪う行為は野蛮であり許せない。犯人はフランス国籍のようだが、アラブ人であり、アラブの血が流れている。彼らの死生観はどこから来ているか。やはり砂漠がもたらす貧困ではないだろうか。


パリのテロ事件と食の国際化

2015-11-17 06:52:13 | 2012・1・1
パリのテロ事件の標的の一つにカンボジア料理店が狙われた。カンボジアはフランスのかっての植民地だが、テロリストが何故標的にしたのか。偶然なのかそれともISの異教徒に対する偏見憎しみなのだろうか。パリには短期間旅行でいったことしかないが、テロの現場をテレビの画面でみると、「SUSI」の看板も目についた。パリでも食の国際化が進んでいるのだろうか。

僕が初めてパリを訪れたのは昭和37年、半世紀近く前だが、当時パリ在住の長い先輩に日本食が食べたいといったところ、パリには日本食のレストランがなく、かわって中国料理店でご馳走してくれた。そのあと、10数年前も老妻と凱旋門近くのホテルに滞在、体験にと日本食レストランを探したがなく、漢字の看板のレストランで食事をしたが、味はベトナム料理であった。

日本では数年前からベトナム料理がブームで、全国的に店がある。東京郊外の僕の友人宅近くにさえある。これにあやかってかカンボジア料理専門店もネットで探すと4軒もある。ベトナムもカンボジアもかってフランスの殖民地(仏印)で、宗主国フランス料理の影響を受けているのが日本人の若い層に好まれるのかもしれない。 

同じフランスの植民地であったシリアやレバノンの料理店もパリにはあるのだろうか。世界中の料理の店があるという東京でもシリア、レバノンの国名を冠したレストランはない。日本人としては比較的、中東アラブ諸国を訪れた(7か国)ことがある僕だが、なぜかその国の食事についての想い出がない。
シリアへも旅したが、ダマスカスで何を食べたのか記憶がない。ISのテロは食文化にも原因があるのだろうか。

大将姿の80年前の「七五三」

2015-11-16 05:40:45 | 2012・1・1
昨日11月15日は「七五三」のお祝いだったが、朝方から雨模様。これが影響したのか昼過ぎ買物傍ら近所の神社の前を通ったが、昔のように千歳飴の紙袋をさげ盛装した親子連れの姿は1人もみなかった。老妻の話では、最近は11月15日にはこだわらず、前後の土日にお祝いする家庭も多くなったということだが、やはり少子化の影響であろう。

遠い80年前の記憶の中に僕の五つのお祝いがある。昭和10年、母親と祖母にに連れられて鎮守の森を参拝したときだが、幼稚園の仲間の一人が陸軍大将の制服を着ていたのを見て僕は、あこがれの目で見たものだった。その時、僕は昔ながらの紋付き羽織姿であった。二年後の昭和12年に日支事件が始まったが、すでに時代は戦争モードに入っていたのであろうか。

♯ 「僕は軍人大好きよ」(作詞 水谷まさる 作曲 小山作之助)
僕は軍人大すきよ 今に大きくなったなら
勲章つけて剱さげて お馬に乗ってはいどうどう

ものの本によると、旧暦11月15日は「鬼宿日」といって、鬼が出歩かない日、つまり何事をするにもよい日で、子供の成長と加護を祈るには最適なことから来ているそうだ。最近、国が勝手に”ハッピ―.マンデイ”制を導入してからか、鎮守の森のお祭りも、日曜日に行うところが多くなってきたが、どんなものであろうか。元服の式から来ている1月15日は、成人の日としてふさわしかったが、”ハッピー.マンデイ”制で、年によって祝日が変るようになってからは、祝日の意義も薄れてきた感じがする。






老人施設転落事故と厚労省の監督責任

2015-11-15 06:27:01 | 2012・1・1
昨年川崎の有料老人施設で相次いで3件も起きた老人の転落事故について、行政側がどんな結論を出すか注目していたが、川崎市は同施設の運営会社に対して3か月の介護保護報酬請求停止と新入居者受け入れ禁止処分にした。はっきり言って、これだけの事故を多発させながら、この程度の処分は軽すぎるのではないだろうか。3件も短期間に類似の事故が起きたのは、施設側の介護体制に問題があったのは確かであり”業務上過失致死”にも相当すると思うのだが。

偶然なのかどうなのか判らないが、この処分が発表になった同じ日の新聞に川崎の施設と同系列の東京都内の40施設で、過去5年間に714軒も事故が発生しており、このうちの6割が東京都に未報告だったとの記事があった。事故の中には川崎と同じ転落事故や職員の虐待による骨折、打撲、自殺などが含まれている。ネット上には、同じような事故が、同系列の千葉や豊中でも起きている。

これらの施設の本社は岡山市にあり、その傘下に直営やフランチャイズ制をとる老人施設が307もある。言ってみれば、有料老人施設の大手である。全国の他の施設は大丈夫なのだろうか。かりに全国の施設共通の間違った経営理念や、建物の構造上の欠点があるのではないか。これだけ事故が多発しているのである。監督官庁の厚労省は何をしているのかといいたくなる。307か所の全施設に対して、再発防止のため、一日も早く特別査察を実施すべきである。さもないと、役所と会社との間に何か癒着があるのではないか疑いたくなる。

災害時に支援必要者のリスト作成の是非

2015-11-14 07:41:14 | 2012・1・1
僕ら老夫婦が住む東京の区役所の「健康福祉部健康福祉計画課保健福祉計画係」(随分と長い名称である)から「避難行動要支援者名簿情報の外部提供同意書が届いた。加齢とともに文書の読解力が弱まったせいか、なかなか一読しただけでは解らない。苦心惨憺して理解できたのは、災害時に避難できない要介護者や身障者手帳所有者に対して事前にリストを作り、これを避難支援関係者(消防、警察、民生委員等)に提供するが、これに同意するかどうかを問う文書である。

僕ら夫婦は要介護1、さらに僕は身障者手帳1を頂いているが、介護保険のお世話になったことがない。それに区役所からの文書には、近隣に親類が居住している場合には同意書を出さないでもよいという記述がある。僕らの場合には同じ屋根の下の共同住宅の部屋に娘夫婦や孫も居住している。区からの文書は多分、個人のプライバシーが外部に漏れるのではないかという配慮からのものだろう。僕ら夫婦にも多少その懸念があり、同意書を返送するかどうか保留している。

しかし、災害は忘れた頃にやってくる。このブログを書いている最中でも鹿児島のトカラ列島で震度4の地震があり、津波警報が出ていた。首都圏でもいつ災害が起きるとも限らない。今のところ、僕ら夫婦は他人の支援なしで避難は出来るが、将来はわからない。区からの文書に同意しなかったために避難から取り残されてしまうならば、やはり同意書に合意すべきであろう。それにしても、色々と難しい世の中になってきたものだ。人命にかかわる避難支援まで同意が必要とは。

同時代を生きたある友人への弔辞

2015-11-13 07:30:59 | 2012・1・1
10年来難病で自宅で夫人の介護を受けていた友人のO君が今月3日、最後には胃がんで他界した旨、昨日、別の友人から電話で知らせがあった。O君が末期がんで治療薬も受け付けず、ただ痛み止めだけの寝たきり状態にある事は夫人からの手紙で知っていた。しかし、夫人からの手紙で、本人の希望で無理な延命や治療は求めず、自分なりの時間軸でゆっくりと療養するのを望んんでおり、電話や面会も遠慮されているのをる知り、ただ夫人へのお見舞いの手紙だけで済ませていた。

O君とは戦争中、旧制中学の2年から3年にかけて勤労動員で同じ工場で働き、戦争末期には千葉県の江戸川運河で、敵の本土上陸に備えて掘削工事に従事した仲だ。家を離れ農家に分宿して、毎日敵機の機銃掃射を受けながら運河の底から泥土をモッコに担いで運びだす重労働であった。いってみれば戦友仲間である。この体験から、戦後も僕らは普通のクラス.メート以上の友情で結ばれている。

僕らは昭和23年に中学を卒業したが、O君は家庭の事情から進学せず、同じ中学の先輩のバンドに入り、楽器運びをしながらドラムを叩いていた。戦後のラテン.ブームで彼の属するバンドも有名になり、時々彼の雄姿をテレビで見かけることもあった。それから20年近くお互いに忙しく会うことがなかったが、久しぶりに彼に会うと、軽飛行機の操縦免許をとり航空会社を経営しているという。そして、その傍ら、私立大学に入学して経済学を勉強しているとのことだ。確かその時彼はもう50歳を過ぎていた。

10年ほど前からO君は難病にかかり介護5に認定され、自宅で夫人の献身的なな介護を受けていた。夫人の手紙によると、晩年は医師、看護師、理学療養士のチームが月に8回も自宅往診してくれていた。電話を寄越した友人の話では、O君は樹木葬を望んでいたとのこと。僕は今、遠方に住んでおり、葬儀には出席出来ないし、香典のやり取りの煩わしさは僕以上に彼が知っている。そこで、僕もこのブログで彼を偲び弔辞にすることにした。合掌。

老人を困らせるパソコンの故障

2015-11-12 15:37:52 | 2012・1・1
パソコンがまたダウンしてしまった。”インストール中です、電源を切らないで下さい”という表示を無視して、もういいだろうと強制したのが誤りの原因だ。朝一番でバスに乗り、近所のPC修理店に持ち込んだら、若い女性の店員がいとも簡単に直してくれた。ついでに、ブログへ写真投稿の方法を教わり、今晩催される近所のお寺の”お会式”について扱おうと思ってら、どうした訳か、今度は文字の変換が出来なくなってしまった。

早速、近所に住む70年来の竹馬の友に電話したところ、そんなことぐらいなら僕でもできると、バスに乗って駆け付けてくれた。ついでに彼にブログへの写真投稿の方法を聞いたが、やはり、応用問題になると彼もお手上げだ。先日、晩秋の砧公園を散策したときも共通の友人がPCが故障してメールのやり取りが出来ないと嘆いていた。

戦前から戦後も昭和40年代までは、どこの小さな町に行 っても電器屋さんがあったもので、電気器具が故障すると修理に家に来てくれたものだ。今はテレビでの洗濯機でも掃除機でも性能がよくなって、修理すより買い替える時代になってきた。PCも最近は性能もよくなって普通に使えば故障などないのだろうが、基本的,初歩的な知識のない僕ら80半ばの老人には、小さな故障でもお手上げだ。

超高齢化時代で、PCにお世話になる老人が増えているが、故障で自宅まで修理に来てもらうと高額を請求されるが、町会の回覧板でシルバー.サ―ビスの一環として、定年後まじかの”若いお年寄り”が家まで出張修理に来てくれるとのことだ。早速、利用することにした。