「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

シベリア抑留死亡者名簿とロシア人の冷酷さ

2016-04-10 05:33:42 | 2012・1・1
厚労省から旧ソ連に戦後抑留され死亡した日本人の新しい名簿(4964人)がHPで公表され、新聞にも3ページにわたって掲載された。”シベリア抑留”は、戦後71年経って、残念ながら体験者も少なくなり、風化し始めてきている。僕はカタカナで記された亡くなられた方々のお名前を拝見、今頃になって死亡者名簿を公表するロシア人の冷酷さに怒りを感じた。

僕は「ダモイ」(帰国)「ラーゲル」(抑留所)、「ノルマ」(労働割当目標)といったロシア語を知っている。1950年代の後半、シベリアからの抑留者の先陣が帰国、酷寒な地でのロシア人による非人道的な扱いが明らかにされた。同時に抑留者同士によるリンチも新聞で報道され裁判沙汰になった。今でも僕は”暁に祈る”事件の名前を憶えている。そのぐらい、当時の日本社会を騒がせた事件なのに、政府はソ連(ロシア)に抗議も賠償も請求していない。

日本国内では、今から10年ほど前、「平和祈念特別特別基金」が設けられ、この基金から抑留経験者に対して”お見舞金”が支払られ、新宿住友ビル48階に「平和祈念資料館」を設立、幕引きの格好になっている。しかし、肝心のロシアに対する賠償問題は、北方領土返還にからんで平和条約が締結されないまま棚上げの状態だ。

安倍総理は大型連休中、西欧諸国歴訪の後、ロシアにも立ち寄り、プーチン大統領と北方領土返還問題について話し合うという。いまだに解決をみない戦後処理の最大の問題だが、解決への燭光どころか、最近のロシアは占領を恒久化し返還の意志は全く見られない。ロシア人はシベリア抑留問題一つとっても冷酷でしたたかである。昨年暮の従軍慰安婦をめぐる日韓会談のようでは困る。5万人の方が犠牲になっている。



テレビ中継までストップさせた民進党の愚

2016-04-09 05:45:00 | 2012・1・1
昨日の朝、衆院TPP特別委員会をテレビ中継で見ていたら、民進党議員が石原伸晃担当大臣の答弁と西川公也委員長(自民党)の議事運営に反発して議場から退場した。中継していたNHKは、最初のうちは”ただ今審議が停まっています。しばらくお待ちください”とテロップを流していたが、そのうち、断りもなしに別番組に切り替えてしまった。国会中継をブログのネタ元にしている僕にとっては迷惑千万だ。

問題の発端は、最初に質問にたった民進党の緒方林太郎議員が、西川委員長が出版予定の著書「TPPの真実」のゲラを片手に、本のネット販売のアマゾンから消えてしまったが、これは政府の圧力があったからではないかと、石原大臣に質問した。これに対して石原大臣は、ゲラについては”知らぬ存ぜぬ”と答弁、これを不服とする緒方議員に対して、西川委員長は質疑の続行を命じた。

民進党は先日来,政府が提出したTPP交渉の資料が、ほとんど黒塗りで情報開示になっていないと批判しているが、そこへきての西川委員長の本の出版である。民進党側によれば、西川委員長はTPP交渉当事者でなければ解からない情報を本の中で記述しており、これは守秘義務違反だというのである。

国民にとってTPP交渉の全容は知りたいし、知る権利もあるが、国と国との交渉事であり、今の段階では”守秘義務”があることは外交に素人の僕にだって判っている。質問者の緒方議員は元外交官僚である。その位は十分承知のことである。

特別委員会は6時間の休憩の後再開されたが、民進党と共産党は審議拒否に転じ委員会に出席していない。いつ正常化するかメドもたっていないそうだ。テレビ中継は、自党の主張を直接国民に知らせるよい機会なのに愚行である。

"終活"と”健常老人”の施設入り

2016-04-08 05:58:30 | 2012・1・1
”引っ越しました”-小学校時代の旧友から転居の挨拶状が届いた。79年前の今頃、桜満開の東京の小学校の校門を一緒にこぐった数少なくなった友人の一人からだ。転居先を見ると、旧居と同じ東京郊外の市にある有料老人施設である。彼は数年前、夫人に先立たれ、子供もなく一人で独立家屋で生活していた、80歳半ばには珍しい国から介護も支援も受けていない”健常老人”である。

ここ数年、僕の周辺でも老人施設入りする友人、知人が多くなってきた。そういう”年頃”なのだろうが、国の特別養護老人施設に入居したというケースはない。厚労省によれば、特養老人施設への入居を希望する待機老人は全国で52万人いるという。友人、知人の中にも多分、特養入居希望者もいるのだろうが、無理してか、あるいは仕方がなくか有料施設に入居したものと思う。

旧友の住所の施設をネットで検索して調べてみたら、立派な建物だ。外観から内部まで写真で紹介されており、僕も出来たらお世話になりたくなるが、肝心の費用が家賃、共益費が16万円、食事は別途だが、頼めば1日3食で月3万9千円、それに介護、支援の等級に応じて最低6千円(支援1)の1割保険負担が必要で、なんだかんだで月20万円は必要だ。入居費はいらないが、これではよほど恵まれた老人でなければ入居できない。

兵庫県加東市で78歳の夫が82歳の認知症の奥さんの看護疲れから殺して警察に捕まった。同じような事件が多すぎる。旧友のように”健常”のうちに施設入りを決断できるのは、きわめて幸せなケースだ。数年前、なくなった親友の場合も、係累がなく生前に成年後見人制度のお世話になったが、”終活”を自分で真剣に考える時代になってきたのであろうか。

老人の尋ね尋ねの「新宿バスタ」行き

2016-04-07 05:36:19 | 2012・1・1
新装なった新宿の高速バスターミナル「新宿バスタ」へ昨日見学を兼ねて予約の切符を買いに出かけた。毎年、桜のこの時季、40年前勤務した民放のOB会がある。時間が余るほどある老人である。何も急いで新幹線で行く必要もない。それより、バスの方が新幹線に比べて、ずーっと格安なのが年金生活者にとっては魅力なのだ。さらに、身障者の僕は料金が半分になる特典がある。

例年は電話で前もって予約し、当日切符を購入することにしていたが、今年は何故か電話が通じない。「新宿バスタ」が出来たためか、どうかは判らないが、当日、迷うのもイヤなので事前調査をかねて出かけた。「新宿バスタ」は、駅周辺に散在し、判りにくかった高速バス乗り場を国が15年かけて1か所にまとめたバスターミナルである。JR新宿駅に直結して便利だ。施設も空港みたいで便利だと評判は上々だ。

至りつくせリの「新宿バスタ」だが、頭のかたくなになった老人には、たどり着く前に2回も”道を尋ねた”。一回は「バスタ」があるJR「新南口」の表示がプラットホームになかった(写真)ため、僕は間違って「南口」に出てしまった。甲州街道を挟んで「パスタ」の建物が見えたが、”雨にも濡れず”といううたい文句を信じて駅員に”濡れず”に行ける方法を尋ねてしまった。

切符を購入した帰りには係員に聞き、無事”雨に濡れず”に「新南口」(写真)から乗車出来たが、ホームまでの連絡道が老人には長い。重い大きな荷物を持っていては苦痛である。たまたま僕が間違った「南口」の方が便利かもしれない。以上、老人の「新宿バスタ」尋ね尋ねの印象記。

日本の大学学長の入学式式辞は日本語で

2016-04-06 05:38:30 | 2012・1・1
東京工業大学の三島良直学長が入学式で”世界で活躍できる人材育成”の一環として英語で式辞を述べられたという。、これをめぐって賛否両論があるようだが、僕は反対だ。三島学長は2030年までに東京工業大学を世界のトップテンにしたい意向のようだが、それと入学式の英語による挨拶とは別問題である。

文部科学省が最近行った全国の中学3年、高校3年生を対象にした「英語力」調査が新聞に出ていた。文科省は調査に当たって、中学は英検準3級、高校は準2級を目標値としたが、その達成率は、中学全国1位の千葉県で52.1%、高校1位の群馬県でも49.4%と目標値の半分にちかい。文科省は小学校での英語の必須化するなど力を入れてきているが、この結果である。

この調査で判った成果といえば、目標達成率上位県での共通点は授業が英語で行われている学校が多いということだ。僕はこの点については理解できる。戦後間もない60数年前の話で恐縮だが、僕が学んだミッション系の大学の予科では、週に英語の授業が12時間あり、外国人の神父のほとんどが英語で授業をしていた。一方、教科書といえば、旧制中学時代の難しい教科書に比べて易しい文体の子供用の読本を使用した。最近は判らないが、日本では、昔から大学入試用の難解な”特別な”英語が、日本人の英語力向上のの妨げになっている気がするのだが。

この点、僕は三島学長の意図することには理解出来、賛成である。出来るのならば、学内の授業は国際語である英語で行っても反対ではない。しかし、東京工業大学は、日本の国立大学であり、学長が入学式に外国語で挨拶する必要はない。国立大学の中には式場に国旗掲揚がない大学もあると聞くが、東京工大については知らない。

小学校の「参宮旅行」で橿原神宮に参拝した時代

2016-04-05 06:54:39 | 2012・1・1
天皇.皇后両陛下が神武天皇の二千六百年忌に当たり、奈良県橿原(かしわら)市の畝傍(うねび)山の御陵と橿原神宮を参拝された事を新聞で読んだ。すっかり忘れてしまっていたが、4月3日は戦前まで、初代天皇、神武天皇の亡くなられた「神武天皇祭」で国の祝日であった。東京の公立学校は、この「神武天皇祭」のあと、新学期が始まった。

「神武天皇祭}は皇室の祭祀の中の大祭で、毎年勅使が橿原神宮に派遣され、宮中でも儀式が行われているが、今年は神武天皇ご逝去2600年の節目の年なので、両陛下が直接、橿原に赴き参拝された。陛下の親拝は大正5年の二千五百年忌以来、100年ぶりである。

戦前、皇国史観の教育を受けて育った僕らの世代には橿原の名前は懐かしい。昭和17年、東京の小学(国民学校)6年生だった僕らは緒戦の勝ち戦のご褒美だったのだろう。前年まで中止されていた関西への修学旅行が「参宮旅行」の名前で復活し、伊勢神宮のあと橿原神宮にも参詣した。歴代天皇の名前を”じんむ、すいぜい、あんねい、いとく、こうしょう、こうれい....."と棒読みで暗記させられていた時代である。

戦後、僕は一度も橿原に行ったことがない。多分、首都圏からは京都、伊勢へ観光へ出かけても、わざわざ橿原まで足をのばす人は少ないのではないだろうか。でも、考えると、これはおかしい気もする。”天皇は日本国の象徴であり、国民統合の象徴である”(憲法第一条)。かりに神話であっても、畝傍の御陵は初代天皇の墳墓である。皇国史観は別として、もっと国民が皇室について関心を持ってもよいのではないか。せっかく、世界にはない二千六百年の歴史を誇る国である。

70年前にはなかった目黒川の桜

2016-04-04 06:32:34 | 2012・1・1

目黒川の桜がすっかり東京の名所の一つとなっている。東京のお花見といえば、昔は上野の山,墨提、飛鳥山、古くは御殿山だったが、最近はテレビの画面に目黒川の桜ががよく登場するようになった。戦前、目黒川沿いの町に生まれここで14歳まで育った僕にとって名所になった目黒川の桜は目映く誇らしい存在だ。

昭和10年代、僕が住んんでいた省線(JR)五反田駅近くの目黒川は”昔”と”今”が混在していた。川にはすでに生活用水が流れ込み汚染が始まっていたが、一方では駅前の船着場からはお台場行きの乗り合いの釣り船が出ていたし、マルタという魚が汐によっては大挙してのぼってきたりした。下水がなかったので、汚穢(おわい)舟がゆっくりと竿さして航行、お台場近くまで捨てに行っていた。

子供の遊び範囲は限られているが、時々、”冒険”と称して上流まで遊びに遠征したが、せいぜい1キロぐらい、雅叙園ホテルのあるあたりまでであった。子供の記憶で間違っているかもしれないが、当時は今のような桜並木はなかった。東急目黒線のガード近くにあった植物園の桜しか覚えていない。

目黒川沿いに桜が植えられたのは昭和40年代ではないだろうか。家の近くの呑川も暗渠になった、その時代に植えられ今では近所の桜名所となっている。環境への関心が深まってきた時代であった。老妻が外出した際、中目黒駅のホームから満開の桜を映してきた(写真)中目黒は昭和20年の5月の空襲で壊滅している。戦没兵士の手記を集めた記録「聞けわだつみの声」の中にも、この空襲で亡くなった学徒の手記がある。僅か70年の歴史だが、桜を通じて色々と時の移り変りを感じる。

なぜ大型連休の沖縄観光は人気薄なのか

2016-04-03 05:32:53 | 2012・1・1
大型連休(GW)を前に沖縄への本土からの観光客予約率が低迷しているとのことだ。地元紙の報道によると、GWのさなかの5月3,4日の沖縄主要ホテルの予約率は5割台で、前年に比べ半分、一方、航空機座席の予約率も7割で、ツアー客を扱う観光業者の中には価格の値下げに踏み切った所もあるというう。

沖縄観光は2015年度(1月―12月)は776万3千人で、前年に比べ70万人増と好調であった。これを支えているのは、やはり全国的な傾向と同じように外国からの観光客、それも中国人、韓国人で、計150万千人とこれは何と前年比68%増とのことだ。これに対して本土からの観光客は726万人で、僅か前年比1.6%増にすぎない。

新聞に普天間飛行場の移転先とされる辺野古の米軍管理下の水域でカヌーで反対運動をしていた芥川賞作家の目取真俊さんが許可なく水域に立ち入ったとして逮捕された、とあった。辺野古移転問題は、現在、政府と沖縄県との間で、裁判で係争中だが、現地では移転反対の人たちが座り込みデモをしている。心情的には反対する人たちの気持ちはよく解かるが、僕には反対を主唱する翁長知事のかたくなな態度が、本土での沖縄のイメージダウンにつらなっているように思えてならない。

このイメージダウンが本土からの観光客の低迷になっていなければよいが。僕は仕事を含めて沖縄へは10数回出かけている。本土とは全く違う気候、風土、文化は最高な観光資源である。残念ながら、基地問題が観光の一つのネックになっているのは事実だが、それがすべてではない。その証拠には外国人観光客の増加である。もう加齢で身体的に無理だが、かって長期滞在したことがある、西表島など立派な観光資源だ。基地とは関係ない。

もう一つ工夫したら”北海道物産展”

2016-04-02 06:03:47 | 2012・1・1
北海道新幹線の開通を記念して首都圏各地のデパートやスーパーで”北海道物産展”が催されているが、申し訳ないが今一つ魅力がない。出品物がマンネリ化していて、わざわざ、そのために足を運ぶ気にならない。そんなとき、娘が隣の駅前のサカナ屋で、チカを買ってきた。チカといっても北海道以外では通じないが、わかさぎに似た小魚でパックの表示には”わかさぎ(チカ)とあった。

昔、札幌に10年ほど住んでいた時、老妻が近くのスーパーで、このチカを買ってきて食べて驚いた。わかさぎと同じで美味なのに価格が安い。東京など首都圏では、わかさぎは天ぷらなどに使い、高級魚として一目おかれていたが、当時札幌では、大衆魚で他魚のエサに使用されるほど値段は安かった。チカとわかさぎは厳密にいえば、腹ビラの移置が違い別サカナのようだが、消費者には関係がない。

首都圏の物産展の呼び物といえば、イクラやホタテやホッキ貝、鮭などを使った高価な弁当。それに馬鈴薯、バターなどの乳製品、そのクッキー、キャンデイなどが多いが、正直いって、飽き飽きしてきた。”北の大地”の北海道は、新鮮な野菜や果物、水産物が最大な魅力である。

チカを久しぶりに食べてみて美味しかった。30年前札幌に勤務していた時代はまだ冷凍流通網が完全でなかったので、首都圏では新鮮な北海道の物産は食べられなかった。が、今は違う。北海道の春はまだ少し先だが、春先、石狩浜で採れた”はまボーフー”の酢味噌和えの味が忘れられない。こういった北海道の新鮮な味が、首都圏でも食べられるよう”物産展”関係者も一工夫してくれれば有り難いのだが。