ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

2017年 あけましておめでとうございます

2017年01月01日 | こころ
2017年あけましておめでとうございます。

まだまだ成長中の私ですが、

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

n-skyさん、コメントありがとうございます。

昨年暮れに書いた「知らんがな」とは、

・人に気を使い過ぎない

・自分を犠牲にしない

・人を優先し過ぎない

・我慢し過ぎない

・抱え込み過ぎない

・お世話役になってばかりいない

などという意味です。

これらが過ぎると…

人は苦しくなるか

苦しさを感じにくい人は

その苦しさを病気として表現することもあります。


さて、皆さん 昨年2016年は、どんな一年でしたか?

今年2017年は、どんな一年にしたいですか?

私は、個人的には 被害者的な考え方から、脱出してしまいたいと考えています。

私たちは、ついつい

「あの人が、もう少し優しくしてくれれば…」

「私の親が、もう少し理解してくれれば…」

「私の夫が…」

「私の子どもが…」

などと、相手が変わることを期待し、

自分は、被害者でいることがあります。

被害者でいる間は、

人は、自分の考え方、感じ方、反応の仕方について
改善しようとは なかなかしません。

無意識に自分に向き合うことを避けようとしてしまうからかもしれません。

オーストリアの精神神経科医、心理療法家のビクトール・フランクルの著書「夜と霧」より
抜粋します。

フランクルは、第二次大戦時に ナチスの捕虜となり
家族も失くしながらも

強制収容所における人間観察を続け

生きることに絶望した人が、

自らの「生きる意味」を発見することについて

書いたことで世界的にたいへん有名です。

***
つまり人間は一人一人、

このような状況にあってもなお、

収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、

何らかの決断を下せるのだ。

典型的な「非収容者」になるか、

あるいは収容所においてもなお 人間として踏みとどまり、

己の尊厳を守る人間になるかは、

自分自身が決めることなのだ。

「夜と霧」ビクトール・フランクル著より
コメント (1)
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