カウンセリングルームのある博多駅周辺は、
お店がリニューアルすることが多い。
たとえ、お店が変わらなくても、
お店のスタッフが変わる。
例えば、コンビニ。店員さんがコロコロ変わる。
コンビニに限らず、レストランもそう。
アルバイト、パートの人が多いからかもしれない。
私の小さい頃は、あの店に行くとあの人がいる、
この通りの角の家にはあのおばちゃんがいるというように
馴染みの顔や馴染み家、馴染みの店が沢山あった。
風景、町全体に愛着があり安心感があった。
博多駅を歩いていてふと気がついた。
人の顔見て歩いていない私。
誰か知っている人がいるかもしれないから、
昔は、通りすがる人の顔を見て歩くのが常だったのに。
そして、知っている人がいたら挨拶をする。
知ってる人があまりいないから、わずらわしくない。
でも、周りに気を払わないのには、違和感もある。
人間関係の煩わしさから解放されている開放感は感じる。
でも、馴染みの顔や馴染みの人、馴染みの街の風景に見守られる安心感は減る。
「解放感」と「安心感」は、同時には得られない。
お店がリニューアルすることが多い。
たとえ、お店が変わらなくても、
お店のスタッフが変わる。
例えば、コンビニ。店員さんがコロコロ変わる。
コンビニに限らず、レストランもそう。
アルバイト、パートの人が多いからかもしれない。
私の小さい頃は、あの店に行くとあの人がいる、
この通りの角の家にはあのおばちゃんがいるというように
馴染みの顔や馴染み家、馴染みの店が沢山あった。
風景、町全体に愛着があり安心感があった。
博多駅を歩いていてふと気がついた。
人の顔見て歩いていない私。
誰か知っている人がいるかもしれないから、
昔は、通りすがる人の顔を見て歩くのが常だったのに。
そして、知っている人がいたら挨拶をする。
知ってる人があまりいないから、わずらわしくない。
でも、周りに気を払わないのには、違和感もある。
人間関係の煩わしさから解放されている開放感は感じる。
でも、馴染みの顔や馴染みの人、馴染みの街の風景に見守られる安心感は減る。
「解放感」と「安心感」は、同時には得られない。