自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

ブンティさん。

2011年01月14日 23時15分09秒 | 世界の街道をゆく
恒例のスタッフおもしろ紹介がやってまいりました!

おもしろ、と書いておきながら、
この人を面白く紹介できる自信はありません。
だって、我々の苦労なんてどうでも良いと思えるほどの
人生を送って来た人だから。

コーディネーターの朝野文定(あさのふみただ)さん。
日本人の名前ですが、顔を見ればお分かりの通り、
本名を「コン・ブンティ」という歴としたカンボジア人です。

この日本名には、悲しすぎる過去が込められていました。


カンボジアのポル・ポト虐殺政権時代、
知識階級は「粛正」の名の下に次々と殺されて行った。
彼の祖父がジャーナリストであった関係で、
彼の一家にも危機がやって来た。
一家のうち、祖父、祖母、そして
当時10歳の少年だったブンティさんの3人は、
はるかベトナムへの国境脱出を試みた。

しかし、あと少しで国境というところで、
ポル・ポト派にあえなく捕まってしまったのだ。

脱出を失敗した人々が、目の前で次々と首を切り落とされていく。
それは恐怖と絶望の光景だった。
いよいよ次はブンティさんの祖父の番というその時。
ブンティさんの祖父は、一か八かの賭けに出た。
どうせ殺されるなら兵士に体当たりを食らわし、
居並ぶ人々のだれか1人でも生き延びる可能性を切り開こうと考えた。
突然のことに慌てる兵士たちを見た周りの人々も、ブンティさんも、
それに乗じて反乱し、
銃声と叫び声のなか、森の中へと脱兎の如く逃げ込んだ。

なんとか逃げ延びた3人は森の中に息を潜めたのちに国境を越え、
ベトナムへの脱出を果たした。
そして「朝野文定」と名乗り、
一心不乱に勉強をし、東京理科大学の大学院まで修了した。

…………

いま彼は、祖国のことを多くの人に知ってもらいたいと、
コーディネーターやツアーガイドの仕事をしている。
「人々の心をつなぐことに生涯を捧げたい、そのためにはヨメももらわない」
と爽やかに語るが、
そこにだけはちょっとウソが入っているみたいだ。
だって、私に向かって「Dさんモテるでしょう、モテるでしょう」と言ってばかりだし、
若い女性を見るたびにどう答えて良いかわからないオヤジギャグを連発し、
こりゃモテないだろうなあ、と思わざるを得ないから…。