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旅の重さ

2013年08月04日 19時50分22秒 | 邦画1971~1980年

 ◎旅の重さ(1972年 日本 90分)

 英題 Journey into solitude

 staff 原作/素九鬼子『旅の重さ』

     監督/斎藤耕一 脚本/石森史郎

     撮影/坂本典隆 美術/芳野尹孝 音楽/よしだたくろう

 cast 高橋洋子 岸田今日子 三國連太郎 横山リエ 中川加奈 秋吉久美子 高橋悦史

 

 ◎今日までそして明日から

 ぼくの田舎の映画館では、封切の作品も上映されたけど、

 ちょっと前の映画もときたま落ちてきた。

 当時でいう2番館だ。

 これがなんでか知らないけど、思い出に残る映画ばかりだった。

 そういう映画の中に、斎藤耕一の作品がいくつかある。

 この作品も、そのひとつだ。

 高橋洋子は当時のぼくにとっては憧れとはいわないまでも、

 青春のおねーさんって感じで括られる。

 そんな彼女のデビュー作で、

 これがまた70年代の雰囲気を濃厚に伝えてくれてるんだ。

 あの時代、ひとり旅で、しかも無銭旅行に近い旅は、人生の通過儀礼で、

 ひとり旅もできないやつに青春は語れないみたいな青臭さがあり、

 ぼくもそういう旅に憧れた。

 けど、なかなか高橋洋子みたいな旅はできないもので、

 ヒッチハイクしたトラックの運転手にも「臭い!」と顔をそむけられるなんて、

 もう、21世紀の女の子には信じられないような話だろう。

 けど、70年代はそれでよかったんだよね。

 おとなの世界に憧れ、ちょっと背伸びをして、それで壁にぶちあたって砕ける。

 でも、砕けながらも、ほんのすこし何かがわかったような気になるっていう、

 なんともいじましくも、しみったれた世界だったけど、なんともいえない充足感はあった。

 この映画も、そんな感じで筋が運ばれてくけど、ちょいと重い。

 母親は浮気をしてる。

 もしくは、別居あるいは離婚したかして、ともかく、母子ふたり暮らしだ。

 で、毎日のように男のところへ通い、セックスをしてる。

 そういう母親を高橋洋子はよく見ているし、だからといって文句はいわない。

 母親も女であることに変わりはなく、自分もやがて母親のような女になる。

 そんな冷めた目で見てる。

 60年代から70年代にかけての若者たちは、多かれ少なかれそんな感じだった。

 片足、おとなの世界に足を突っ込んで、ものがわかった気でいた。

 そこで、自分なりに世間を見てみようと、ひとり旅に出る。

 自然がちょっとずつ失われてゆく都会に背をむけて、

 四国のお遍路さんの歩いている道を自分も歩いてみようってわけだけど、

 ここで出会うのが三國連太郎と高橋悦史、つまり、父親に近い年齢のオヤジだ。

 ということは、つまり、高橋洋子はファザーコンプレックスなのかもしれないね。

 ただ、三國連太郎とはセックスしないけど、横山リエとはレズビアンを経験する。

 18歳の小娘にしてはハードな展開だ。

 それどころか、

 栄養失調でぶっ倒れたときに助けてくれた高橋悦史のあばら家に転がり込み、

 まるで父と子のような生活が始まるんだけど、しばらくはセックスはしない。

 やがて、秋吉久美子と知り合い、彼女がいきなり自殺することで佳境に至る。

 高橋悦史とのセックスがもしかしたら初体験かもしれないけど、よくわからない。

 ちょっと驚くのは、ここで漁民の若い奥さんとして定住しちゃうことだけど、

 こればかりは、この時代の雰囲気にそぐわないような気もするんだわ、ちょっぴり。

 時代といえば、

 佳代(加代だっけ?)という名前もこの時代で、秋吉久美子の役どころなんだけど、

 これがいわゆる文学少女で、ほんっとにいきなり入水しちゃうんだ。

 田舎にいなくちゃいけない少女の鬱屈したやるせなさが原因なのかどうかは、

 わからない。

 吉田拓郎じゃないけど、

 なんもかもわからないまま生きているってのが、この時代なんだよね。

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