今日は、リゾートホテルのエントランスで撮影した。vueのEcosystemで制作した植栽が少しオーバースケール気味であるが、それも熱帯の植物と考え、フィギャーも大きめとし、バランスをとっている。この程度の風景であれば、少し調整してもあまり違和感はないだろう。
さて連休が明けると、毎週講義!、講義!の連続になる。これはリズムであり面倒くさくなくてよい反面、毎週この同じ作業の準備に追われるのは、 プロデューサーとしては実に倦怠感を感じる。
だから、まとめて講義ノートでも作っておこうと教員誰しもが考えるし、ノートをつくりもう何年も同じノートだったりする、という批判も一般的には発生するのだろう。
実は毎年講義ノートを変えたいと切に願うのは、教える側なのである。変えると・・・つまり水準をグンとあげると、今度は、学生達が理解できなくなって悲鳴の渦がわく。だから変えられない。社会の仕事をしてきた立場から見れば、ビギナー相手の講義を毎年やっている希有な先生という姿にうつるだろう。ビギナー達ばかりだから、やはりそれようの話しができないのである。大学も昔とくらべれば、随分優しくなってきたようだ。
それよりか、教室に入るとノートを広げて先生が一杯お話をしてくれれば、私達は一生懸命黙々とノートします、というあの19世紀教育スタイルは、いい加減に終わりにしたい。いまは、大学と言っても昔のような水準にはない。
個人的認識として、大学院に入ってからが、ようやく本来の大学だなという感じがしている。
書くこともないためか、なんか話題が違ったか・・・。
制作:Vue5.,Poser6.0
さて連休が明けると、毎週講義!、講義!の連続になる。これはリズムであり面倒くさくなくてよい反面、毎週この同じ作業の準備に追われるのは、 プロデューサーとしては実に倦怠感を感じる。
だから、まとめて講義ノートでも作っておこうと教員誰しもが考えるし、ノートをつくりもう何年も同じノートだったりする、という批判も一般的には発生するのだろう。
実は毎年講義ノートを変えたいと切に願うのは、教える側なのである。変えると・・・つまり水準をグンとあげると、今度は、学生達が理解できなくなって悲鳴の渦がわく。だから変えられない。社会の仕事をしてきた立場から見れば、ビギナー相手の講義を毎年やっている希有な先生という姿にうつるだろう。ビギナー達ばかりだから、やはりそれようの話しができないのである。大学も昔とくらべれば、随分優しくなってきたようだ。
それよりか、教室に入るとノートを広げて先生が一杯お話をしてくれれば、私達は一生懸命黙々とノートします、というあの19世紀教育スタイルは、いい加減に終わりにしたい。いまは、大学と言っても昔のような水準にはない。
個人的認識として、大学院に入ってからが、ようやく本来の大学だなという感じがしている。
書くこともないためか、なんか話題が違ったか・・・。
制作:Vue5.,Poser6.0