亭主元気で留守が良いというのは、フィリピンでも通じそうな言葉である。
それは亭主より親戚とのつきあいを重要視するからだ。それでいて「今度フィリピンにいつくるの?」と尋ねられて「クリスマスの頃だな」と答えれば寂しそうな顔をしてうなずく。本当はもっと早く来て欲しいけど、ジッと我慢するところがある。忍耐強いのだろうか。
そう考えていると、親戚達と飲み会をしているではないか。つまり寂しいのが嫌いなのである。いつもどこかで人間達とつながっていたいわけだ。そんな人間関係が増殖してゆくところがフィリピンの生活だ。
そんなことを考えてゆくと、日本人は随分と孤独志向のライフスタイルだ。いつも家族という単位で暮らし、主婦は子供の手がかからなくなったら働きに出るか趣味に走るか、その程度の選択肢しかない。そして実家が絶えれば孤独家族というわけだ。最近空き家が多いのも、そうしたライフステージが災いとなっている。
人間は、人間によってしか癒やされない側面がある。それがみんな核家族になっていってよいのだろうかと、ふと思う。日本では、退屈で時間を持て余した老人達ばかりが増えてきた。そんな老人達の眼をみると慇懃でにらみつけるような寂しい視線を感じる。それは日本が大切なものを潔く捨て去った結果のようでもある。私にいわせれば日本人の寂しい選択だったな!。
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