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フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編393. 講義抄録・地域空間構成論第5講 広場論

2019年01月23日 | Nagoya city

図1.東京雑司ヶ谷・鬼子母神境内

 

 西洋には確固たる広場があるが、日本の歴史では広場という概念すらなかったし、今でも人々が集まる広場が僅かにはあるが、人が集まる場という概念もなく閑散としている。つまり日本は、広場の作り方も利用の仕方もが下手である。おそらく、そこにはコミュニティが明確な形で見えていないことだろうと考えた。

 そこで、日本の広場的空間を3つのコミュニティの概念でまとめてみた。

 第1は、地縁的コミュニティであり、それは文字通り地続きの縁となる広場だから、住まいの近所にある公園が該当するだろう。公園は、子育て真っ最中の母親にとっては、まさにコミュニティだと思われる。

 第2は、知縁的コミュニティのばである。知らない人同士がどうやって親しくなるかを考えれば、真っ先に市場で商品の商いを通じたり、飲食したりといった設えが必要である。そんな典型例がフリーマーケットが行われている広場である。商品を品定めしたり、値切ったりと、いろんな知り合うきっかけを孕んでいる。しかもそれは常設ではなく仮設の広場である。

 第3は智縁的コミュニティである。智というぐらいだから頭の話なのだが、その典型例は大学であろう。本来大学キャンパスは、誰でも構内に入ることができるし、頻繁に公開講座も開かれて都市居住者の知恵の部分をサポートしている。

 そんなコミュニティの3類型に該当する都市施設を調査したことがある。コミュニティというのは、「縁」と読み替えてもよい。縁とは本来仏さんと触れあうという意味だが、ここでは様々な人たちと触れあうと解釈している。

 地縁的コミュニティの典型例として函館公園をあげた。現在函館公園は、登録記念物に指定されているが、1879年に開園された我が国公演史のなかでも大変歴史のある国有財産でもある公園だ。突筆すべきことは、この公園が官民の奉仕によって整備された公園であり、いまでいうところの住民参加の始まりだ。

 知縁的コミュニティの典型例として、東京明治公園のフリーマーケットをとりあげた。普段は駐車場のような何もない空間なのだが、休日になると、この空間一杯にフリーマーケットの露天が店をだす。その姿は壮観である。

 智縁的コミュニティの典型例として、神田学生街をとりあげた。この界隈の施設利用をみると大学キャンパスと街の商業施設とが混在して、学生街を形成してきた。大学を一歩でれば、そこは書店であったり、喫茶店で会ったり、雀荘であったりするわけだ。大学と街が一体的にキャンパスライフを支えている。そんな混在した姿こそ大学本来の姿に近いといえる。

 そして最初から大学と街とを計画的に混在させたのがベルギーのルーバン大学である。まさに講義室の扉をあけると、そこは街の商業施設なのだ。そんな混在するコミュニティこそ、まさに智縁的コミュニティなのである。

 

図2.明治期の函館公園絵図

 

図3.今も当時の姿を留め、利用されている函館公園

 

図4.明治公園のフリーマーケット

 

図6. 神田学生街、正面は明治大学お茶の水キャンパス

 

図7.ベルギー・ルーアン大学の駅前広場

 

図8雑司ヶ谷鬼子母神 うわっ、ホントに地元っ子といういでたちだ。この神社には隠れるところがたくさんある。つまり神社の縁の下だったり、古いお堂だったり、そんな隠れられる場所がある空間が子供達の基地づくりの遊びを促すだろうし、なんらかの意味づけをあたえるのだろう。むしろそういう空間があるからこそ、子供達の遊び場になるのである。

 

図9.渋谷ハチ公前広場 東京で広場という言葉が使われている空間だし、その利用もまさに広場なのだ。繁華街への待ち合わせ場所として、夕方には広場を埋め尽くす人、人、人なのだ。そうここは、様々なコミュニティの待ち合わせ場所なのだ。その渋谷も今は変わろうとしている。

 

OlympusXA-4、Mimoltaα3,Rokkr100-300mm/f3.5-5.6、Rokkor20mm/F2.8、Contax167,Planar50mm/F1.4、NikonF601,35-70mm/F3.5-5.6、エクタクローム

協力:函館市

参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p143-162.

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