西暦2000年前後は、寒さをものともせずフィールドを走り回っていた。画像は、その頃の滋賀県湖西地方。トップ画像は今津あたりからみた竹生島か!?、他3枚は安曇川沿いの北舟木から南船木にむかって湖岸沿いの道から撮影したのだろう。陸地からは近づけそうもない湖岸の集落をどうやって撮影したかも思い出せない。
それにしても、すこぶる寒いところへ何故出かけたのだろうか。言い換えれば私は、どんな理由でまともな機材にこだわり撮影をしいるのだろうか。概念を広げていえば人間は何故写真を撮るのか?、という疑問が浮かぶ。
真っ先に浮かぶ疑問に対する理由、すなわち答えは、本や論文の原稿ををつくるために必要だという理由がある。確かにこれまで共著で25册、単著で1册、論文は査読付きで27本、その他で61本あるから画像はそこそこには使用したけど、使用数は大変少ない。
その多くはモノクロ画像だし高画質は必要ないので、iPhoneだって十分用が足せる。2年前に私が執筆した本だって図版は多用したけど撮影画像は1カットしか使用しなかった。
カラー画像が数多く必要だったのは、一番最初の本ぐらいだ。そのときは仕事だったから、もう被写体を特定されて撮りにゆけ!、絶対に撮ってこい!!、撮ってこないと首だ!!!、と脅され命令されて撮影していた例外はある。
もう一つ講義用や講演会用に必要だというので随分撮影した。これは確かに数多くの画像が必要だったし、実際各地を旅して撮影に励んだ。今は講演会などはあるかもしれないが講義をしていないので、あまり画像は必要ではない。すでに撮り尽くしてストックしてある画像で十分だ。
そうなると、いつ使うかはわからないが研究資料なのでキチンと撮っておこうという理由だろうか。それにしちゃ実に効率が悪い資料収集方法だ。
次の理由としてブログ用。どんな画像をアップさせようと自由だが、できればキチンと撮った画像を乗せておきたい。それにしてもブログは画素数が低いのだから、iPhoneだって十分だし、実際に少しこの画像でアップさせているけど、申し分ない。
そんなことを考えると、機材やレンズの性能にこだわったり撮影機材のシステムなんかを揃える必要なんかないじゃないということになる。何故これらにこだわるのだろうか。
その理由は、ない!。あえていえば芸術&工学系の人間の機械へのこだわり、ないしはフェチ。それぐらいしか理由はない。道楽と呼ばれてもよいだろうか!?。ホントにそうか!?。
昔のネガフィルム時代の画像を整理していると、当時の低画質のレンズで撮影した画像はPhotoshopで修正しても回復できないが、やはり高画質な機材やレンズとフィルムで撮影した画像を復元すると、それは今見ても大緻密に記録されて復元できる。できるだけオリジナリティの画質を保とうとしている。それは研究資料として必須の条件だ。
そうかあー!!!、人間は未来に向けてシステムフェチになり高画質な画像を残そうとして記録しているんだ、という前向きの方向をようやくみつけた。時系列で生きている人間にとって、撮影機会は原則として1度あるいは一瞬でしかない。だから今ある機材の最良の条件で、できるだけ高画質に撮影し記録し資料として残しておきたいので撮影機材のシステムフェチにもなっているわけだ。なんか自画自賛ぽくないか・・・。
いや!、そんな即物的な話ではなく、著作権が写真にはあるから、自分で撮らなければブログにすら使えないし、それに自分で撮影しないと、何を撮影したかとする意図がわからないから、それでは文章が書けないとする現実の話の方が大きいのだ。だから原則として自分で書いた原稿には自分で撮影した画像しか使えないのである。それが一番大きな理由だろう。
そんなわけで、昔撮影した画像をデジターデュープで復元してアップさせてみた。明日からは、10回ほど過去の復元画像をブログにアップさせてゆこうと考えている。
滋賀県湖西地方
NikonF4,AiAF35-70mm/F2.8,AiAF70-200/F2.8,ベルビア