図1. スタート地点・ルーブル美術館
1990年初頭プロデュース企業でまちづくりの本の企画編集の仕事をしていた。原稿を書きながら筆が飛んでゆくのはよいが、「パリ回遊」と構想したら、ならば、お前がパリへいって撮影してこい!、となった。企画編集のとりまとめだから、そんな時間はない。困ったなというところに、ファッションの仕事を志望している小柄で体格のよい若いジョッキーが現れた。僕がパリへいってきまぁーーす、と軽いのりだったのは幸いだ。
ならば撮影の指示をだしておこう。パリの概略図をひろげ、幾つかのポイントを通過して都心部の回遊ルートの写真を撮ってこい。パリの街はセンターラインを軸につくられているから、道路のセンターラインに立って前と後ろを撮るんだよ。それにカフェや大道芸人も撮ってくること。
そうして彼は安易にも初夏のパリへ繰り出し、そして無地帰国した。車が多くて道路のセンターからは撮りにくいすっ!、パリ警察が何かいってたけど言葉がわかんないといって謝って逃げ出したっす、とぼやいていたが、でっ、ちゃんと撮れているではないか。そんなリバーサルフィルムの束をもってやってきた。好きなのつまんでください、というわけだ。みたら交差点がひとつもなく、既に好き勝手につままれた後の残り物だった。
そんな残り物で、パリの都心部大回遊のスライドを編集し、大学の講義に使用したことがある。そんなジョッキーが撮影したスライドからパリ都心部回遊の画像をプログ用に20カットにまとめた。講義で使用した画像だから、スライド自体が汚れと傷だらけだ。それをphotoshopで修正しデータを軽くしてアップさせてみた。パリの回遊構造とは、このようなものであるという実証だ。
彼は、その後転職し、多分ファッションの分野で良い仕事をしているんだろうと推測している。ジョッキーに感謝である。
図2.カルーゼル凱旋門 改装中だから正面は撮れなかつたのだろう。実はルーブルのピラミッドから新凱旋門まで、都市軸が道路の中央を走っているのだ。
図3.チュイルリー庭園 バカンス前の空気だろうか。どこかさわやかな都市の景観だ。
図4.コンコルド広場 ナポレオンがエジプトから勝手に持ってきたシンボルで街をつくるという強国の論理だ。
図5.シャンゼリゼ通 このあたりまでは誰でも撮影する。
図6.ジャンゼリゼ通り このアングルで撮影してこいと指示した。もちろん横断歩道から撮影したが、当時のフランスの横断歩道はすぐに赤に変わるのである。
図7.フーケッツカフェ もちろん昔からあり観光ガイドに登場する有名なカフェテラスだ。赤いテントも昔のままだ。きっと店のシンボルなのだろう。
図8.シャンゼリゼ通り 大きなカフェテラスが道に軒を連ねている。
図9.クレベール通り あら!、凱旋門がカットされている。つまり交差点の画像がすべてないのだ。確かに撮れとは指示はしなかったけど、交差点も道だよ!!。
図10.シャイヨー宮 このアングルは、昔私も撮影した。パリの都市軸を如実に感じさせてくれる都市景観だ。日本では絶対にできない都市景観であり、うらやましいとおもう。
図11.トロカデロ庭園 中央は大きな池があったはずだが・・・右にチラリと見えている。つまりサイトプランで見るのと実際の景観で見るのと全く見え方が違うのだ。本当はエッフェル塔の真下の画像が欲しかったのだ。東京タワーだと5階建てのビルだが、エッフェル塔は突き抜けた空間なのだ。
図12.パーク・ド・キャンパス・デ・マルス 大きな公園が多いというのもパリらしいのだが、正面はナポレオンのつくった士官学校 エコール・ミリテール。ミリテールの前の道を左に曲がるのだ。
図13.モット・ピケット通り 多分地図通りに歩いてくれたのだろう。私もこの景観は記憶にない。この通りを進み、グルネル通り、レーヌ通りからサンジェルマンにいたる少し退屈なストリートなのだ。
図14.道は退屈でも大道芸人達がアキさせない。子供は写真よりデッサンだというのが嬉しいね。このあたりは私と共通点を感じるパリである。もちろん、彼らは、エコル・デ・ボザールやその他の専門学校などで、裸婦のクロッキーやデッサンを沢山描いてきているプロの卵なのだ。
図15.サンジェルマン・デ・プレのカフェだろう。私も昔撮影したので記憶がある。
図16.サンジェルマン・デ・プレ教会の脇に小さな市立公園がある、そのあたりかな。スポーツブランドに着させられている日本のシニアとは大違いで、地味目だけどやはりお洒落だ。
図17.撮影するとうるさいフランス人と聞いていたが、よく撮った。ソロソロ夏なので外国人が多かったのだろう。
図18.ストリートは単調でも、一寸お洒落で街のアクセントになる大道芸人は結構よくいるのだ。飽きさせない街だ。日本では、飽きさせるという配慮がいまだに皆無なのだ。いや気づこうとしないのだ。その違いがパリさ。
図19.ベルシャス通 サンジェルマン・デ・プレからオルセー美術館に向かってゆくストリートだ。通りには、小さいけれどこじゃれたお店が結構あったと記憶している。
図20.ルーブル美術館 オルセー美術館の角をまがり、セーヌ川を越えて、フランソワ・ミッテラン通りを少し行くと、ルーブル美術館に戻ってくる都心回遊ルートの終点だ。
撮影:ジョッキーことY.UCHIDA
NikonF601,35-70mm/F3.5-5.6,エクタクローム
記憶が曖昧なのだが、撮影機材は多分ビギナー向け機材だった。こんなカメラで撮るのかい?。いや、これ使いやすいんですよ。ふぅーーんとジョッキーと会話した記憶がある。でも撮られた写真はとても綺麗だ。さっすが手を抜かないニコンだ、いやジョッキーというべきか。
そのスライドフィルムをニコンDfでデジタルデュープした。あら、ポジネガ通りにデジタル化されている。これなら、デジタルとポジフィルムとのハイブリッドが可能だよねと思わせてくれた。
参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p108-109.