Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak247. オフの時間

2019年01月16日 | diving

 

 このブログも2週間分まではトップ画面に表示されるが、それをみながらダイビング画像が全くないのは寂しいと思ったので、昨年の画像を貼り付けた。

 ダイビングは装備さえ調えれば、いつでも潜れるが、やはり沖縄とはいえ冬はシベリアからの寒気団の余波で海上は風がつよい。ちなみにこの寒気団はサイパンあたりまで届き、風が冷たく水中で流れていることを経験した。本土では日本海側に雪を降らせてくれる寒気団だ。

 さて、この一週間は大阪へ出かけたほかは自宅にこもってたので、さしたる話題がない。当然なすこともなくブログに向かう。こもる、話題がない、ブログに向かう、冬枯れだ、と悪循環の構造だ。

 ならば日経流通新聞の記事からといっても、格安スマホ・・・楽天のBIGLOBEか。通信費1/2、月5,000円浮かす、という文字が躍っている。たしかにソフトバンクは高くなった。そういうビジネスモデルなのだろう。気がつけば我が家は全ての通信システムがソフトバンクになってしまった。乗っ取られたかというべきか。

 そのソフトバンク・グループの携帯電話の子会社が1,500円/株で公開した株式が市場では、1,300円代で取引され、大損したという巷の話題。えっ、そんな短期間で判断するのかよと、こちらは思うが、日銭感覚の投資家も相当数いるのだろう。でも企業には、株式公開で2兆円越の資金が集まっている。

 携帯電話事業が世の中の主たる産業ではあるが、価格を下げろという政府発言、などをみると、そんなに利益が上がる構造ではなくなってきたのだろう。それよりは国際企業のM&Aの方が利益が大きいとみたかどうかはわからないが、携帯子会社の株式を公開してソフトバンク・グループから自立させた。

 そんな動向をみていると、経済は経済&経営学では動いていないことはわかる。おそらく金融工学で数理モデルをつくりながら、ビジネスプランを練っているとする最近の傾向を感じさせてくれる。それって時間の概念が加わってくるから、微分方程式ですか・・・。

 データというのは、今を基準に過去のデータからしか算出できないので(未来データは存在しないですから)、これまでの経過から少し先の未来はこうなりますということは予測できるので時系列指標だ。もう一つ構造指標がある。ある構造の一部が変化すると、その他の構造へどんな変化や影響を及ぼすかとする連関構造の論理だ。

 だから時系列指標と構造系列指標の2側面から現象を捉えれば、世の中の過半ぐらいのことは予測できるかもしれない。でっ、この二つを同時に扱うには、3次元の空間に置き換えると論じられたのかな!?。私の理解はその程度だけど・・・。

 さて、そんな冬のオフシーズンにダイビング時の画像を拾い出してみると、よくこんな怖いところに出かけたと思う。そう思うこと自体が、まさにオフの時間なのだろう。暖かくなったらまた勢いをつけて出かけるんだろうな。

 

沖縄県本部・慶良間諸島

Nikon W300,NIKKOR 5X OPTICAL ZOOM4.3-21.5mm、F2.8-4.9

ISO200,焦点距離10.1mm,露出補正0,f/4.4,1/30

ISO125,焦点距離5.6mm,露出補正0,f/4.2,1/125 

ISO125,焦点距離4.3mm,露出補正0,f/2.8,1/100 

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Nikon Freak246. カラーフィルムの色、良いじゃん!

2019年01月15日 | Okinawa

 京都も、朝の気温0°、最高気温8°程度と気落ちしそうな天気が続く。だから沖縄の画像で少し暖まらないと普段感覚に戻らない。

 那覇牧志市場の飲み屋街といっても、今はそれほど数が多いわけではなく点在している。そんな画像をブログにアップさせるときに、あらっ!、これ確かにフィルムだよね!!、と再度確認したほどカラーフィルムの画像は綺麗だ。

 カラーフィルムは、ラチチュードが広いので見ていて飽きないぐらいに綺麗であり、デジタル画像では見られない柔らかいコントラストがあって結構良いじゃん!。

 それにPhotoshopCC2018が大変優れていて、修正すると原画に近い復元能力がある。フィルムを使おうと思ったのもこの力が大きい。そうした補正作業は1枚ずつ画像の調子を見て行う手間が必要だが、これが印画紙に焼き付けているみたいで結構楽しいのです。

 幸い手元にニコンDfとニコンF3+MD4のボディがあるからカラーフィルムとデジタルのハイブリッドシステム。ニコンDfは、オリンパスミラーレス用の単焦点レンズを売り払って調達したから、私が支払ったのは10万もゆかない。これを廃盤になる前に調達して正解。この機種を加えたら即ニコンシステムが完成。つまり25mm、50mm、100mmの焦点距離が倍々になるシステムだ。

 これに頻繁に使うAiAF Nikkor35mm/F2.0のレンズを加えた。できれば350gと軽いAF-S Nikkor85mm/F1.8G(絞り環がないのでニコンF3では使えない)の最新レンズを新たに加えると、35mmと85mmという2本だけで持参できるシステムもできる。85mmレンズのMTF曲線図でみると概ね解像度0.6前後の値の範囲にあり、逆光には弱いかもしれないが良さげなレンズだ。こういうとき迷うよね。AiAF85mm/F1.8Dという古い優れたレンズもある。さて新にするか古にするかだよね・・・悩ましいな。

 話題が横滑りした。つまりフィルム機材が使えるということであり、フィルムで撮影しデジタル化して綺麗な画像が得られることはわかった。パソコンの画面でみていて飽きないこの柔らかい発色には、一寸はまりそうですね。

 

沖縄県牧志市場

NikonF3,AiAFNikkor35mm/F2.0,FUJO RPO400H

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Nikon Freak245.  少しアンニョイな徘徊

2019年01月14日 | Okinawa

 

 首里を歩いていると、門灯だけ新しいという変な光景をみつけた。その先に小学校高学年の女の子が二人、きつい目でこちらを見ている。それはレンズを向けられたときの警戒心や嫌悪感、あるいは彼女たちだけの世界に突然入りはいりこんできた邪魔者に対する視線のようだ。そういう目線を向けられると、レンズを見ている目にはストーリーがありそうだ。

 子供だといってあなどってはいけない。彼女たちは、普段口には出さないがしっかりオトナ社会の表と裏を鏡に映し出し、その根性を見据えているからだ。そうやって大人社会を学習してゆく。結構慇懃で冷酷な輩だ。

 なにしてんだろぅーー、とデジタルの望遠レンズで撮影してみるこちらの姿勢も冷酷なのだが。そんなアンニョイな目線が飛び交いながら街を徘徊するのも面白い。FBのように人間は、いつもスマイルとピースだけのよそ行きの顔ばかりではないのだ。

 さて望遠レンズで撮った画像を読み解くと、真ん中に見えるブーツがキーワードだ。きっとお正月に出かけるファッションの話をしていたのかもしれない。それ以上は詮索しないでおこう。それにしてもトドのように日光浴をしている、年末でこの格好は、やはり沖縄だ。

 

沖縄県那覇市首里

1〜3枚目:NikonF3,AiAF Nikkor35mm/F1.4,FUJI PRO400H

4枚目:NikonW300,NIKKOR 5X OPTICAL ZOOM4.3-21.5mm、F2.8-4.9

ISO125,焦点距離34.4mm,露出補正0,f/4.9,1/800 

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Nikon Freak244. 続・那覇市桶川

2019年01月13日 | Okinawa

 昨年末に、朝4時半に起き6時10分のリムジンバスで関空に向かい一番便で那覇に来た。モノレールの1日券(24時間券)を使って、首里、桶川、牧志と歩こうというわけだ。

  モノレール安里駅から西へ道なりを1kmほど進み右折すると桶川(ひかわ)へ通じる急坂道がある。那覇にこんな急坂道があったか。あがりきると沖縄の空が大きくに見えて、古い民家がわずかに残っている。前回訪れた時と比べると台風の被害で、補修の後が目立っている。沖縄を終日停電に追い込むほどの大型台風だった。

 今回は、ニコンF3+MD4にカラーフィルムを詰めている。フィルム時代はリバーサルはフィルムしか使わなかったのでカラーフィルムは黙殺していたが、使い出してみると面白そうだ。フィルムを現像しデジタルデュープをすると、あとはphotoshop次第ということもあるが、フィルムのラチチュードが広いので、デジタル機材ではだしにくい色を容易に出してくれるのではないか。

 もちろんこんな手間のかかることをするというのも、ニコンF3+MD4のウィーンという巻き上げ時の感触、巻き上げた後のボディに金属音の残渣が響いたりと、そんなメカニカルな感触にはまっているからだが。それに米軍統治時代の残渣が微かに残る沖縄の町には、緑系の色が残るカラーフィルム固有の色の方が似合うのではないかとする思い入れもある。しばらくこれで撮り続けてみよう。

 今はこの大仰なシステム一式が中古で3万円程度で調達できて、スタンダードな小さなデジカメ以下の価格である。それでもメカニカルな感触とフィルムの固有の色はデジタル機材にはない仕様だ。4枚目の画像をみていると、これってカール・ツァィスの色かと思ってしまう。

 つまりフィルム画像をデュープしたデジタル画像は、photoshopで、トーン、コントラストは自動補正、カラーはケースバイケースで補正し、トーンカーブでグンとメリハリをつけている。そんなわけでネガフィルムはphotoshopとコラボレーションすると、結構面白い色の画像になりそうだ。

 

沖縄県那覇市 2018年12月27日

NikonF3+MD4,AiAF Nikkor35mm/F2.0,FUJI PRO400H 

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Nikon Freak243. 体が冬仕様にならない!

2019年01月12日 | Okinawa

 図1.年末の牧志市場、もちろん冬物という考え方が存在しない

 

図2.沖縄のお正月の飾り物、どこか中国のかざりものと似ているようにも思われる

 

図3.いいとこ秋の装いだろう

 

図4.牧志市場はシニア世代の買い出しが多い、若い人はイオンへ買い出しにゆく、つまり世代によって味覚が違ってきているのだ

 

 通例お正月から節分までが一番寒いときだといわれている。もちろん京都市内の予報では目下最低気温-1°〜-4°と冷え込んでいる。先日は終日曇天で陽が射さなかったためか家中が底冷えして、暖房を入れても終日震え上がっていた。こんな日が時折ある。

 そんなことをいっていたら北国の人はどうなるんだいといわれそうだ。こちらは、もう京都の底冷えで十分でございます。

 一昨年までは、その寒い朝6時に起き7時32分のひかり号で名古屋まで通っていた。えいやっ!、と殴り捨てるような気力で出かけ、冬の京都も良いではないかと自分を嘘八百の暗示で欺し、新幹線の中で紅茶をすすり、しばらく車窓からの撮影で寒さを忘れているとほどなく名古屋に着く。

 寒い戸外を走り抜け基幹パスで小さく固まり大学の研究室に着くと、タイマーで1時間前に暖房をセットしているから、ようやく暖をとることができた。もちろん仕事ができるのは、それから1時間後だ。

 これが朝一番の授業だったら、寒いと猛烈な悲鳴をあげている体を引きずりながら気力で1時間半講義をし、暖かい研究室に戻って珈琲をすすり、早めの昼飯を食べてから午睡し、眼が覚めてからようやく仕事モードになる異常な午前中だった。

 それが朝の(午前中の)生活モードであった。今思えばそんな無謀なことがよくできたと思う。もう二度としたくない生活だ。

 今は家で仕事をしているから、そんな必要はない。適当な時間に起きると暖房を入れ寝間着のままダウンコートを羽織り朝飯をアトリエに持込み、暖房がタップリ効いた部屋でブログを書いていると、ようやく眼が覚める。寝間着から普段着に着替えるタイミングってすごく難しい。一番良いのは布団に普段着をいれて暖めておいて起きたらすぐ着るのが正解、だが夜になると、そんなことは忘れているというジレンマだ。それが寒い朝の京都の町屋での過ごし方だ。

 朝一番に家中の窓を全開にしてフレッシュエアを取り込み(どうせガスストーブだから換気が必要よ)、体を一気に寒さに慣らして順応させるのが一番よいことはわかるが、俺はそんな拷問生活は、ヤ・ダ・ね!。

 つまりこちらは、冬の午前中一杯は体が寒さと格闘しているから仕事どころではないのだ。それにしても都市はホントに朝早くから真面目に動いている。こちらは、あきれるぐらいに感心する。

  さて先日上がってきた現像済フィルムをデジタルデュープして、ようやく沖縄の画像がアップできるようになった。

 でっ昨年末の牧志市場。半袖の人もいるからね。お店だって冬物のコートなんかありません。年末にそんな沖縄の気候に慣らされると、こちらは体が冬仕様にならないのだった。

 

沖縄県那覇市 2018年12月27日

NikonF3+MD4,AiAF Nikkor35mm/F2.0,FUJI PRO400H 

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番外編387. 1967年、東京の街の断面図

2019年01月11日 | Tokyo city

図1.早稲田界隈 古民家長屋が軒を連ね早稲田大学に通う学生達の下宿屋だっただろうか

 

図2.学習院下 背後の杜が宮様も通われた学習院

 

図3.面影橋のあたり

 

図4.東池袋のあたりだろうか?

 

図5.所在地不明、荒川車庫???

 

図6.終点三ノ輪橋

 

 鉄ちゃんに連れられていった1967年の都電銀座線廃止後、順次都電がなくなってゆくのを肌で感じていた。ならば今のうちに撮っておこうと当時は考えた。それに街歩きが面白いと気づいたのもこの頃だ。特に早稲田の古民家の裏を抜けて、学習院下、雑司ヶ谷、大塚、飛鳥山、王子を経由して三ノ輪橋に至る都電32系統に興味をもった。なんといっても古い地名が数多く登場し、専用軌道であることがユニークだし、それにこの沿線の街が面白そうだ。

 図1の早稲田界隈なんか古い下宿屋の裏を抜けてゆくなんざあ、当時のフォークソング南こうせつとかぐや姫の「神田川」で歌われた街がまだ残っているではないか。作詞家の喜多條忠は早稲田大学に通っていたから、この界隈をよく知っている。当時の早稲田大学の界隈には古い下宿屋が多数残っており、そこから数多くの著名人を輩出した大変個性ある大学街だ。あの早稲田文庫という喫茶店は、今もあるだろうか。

 図2は、都心に近く少しハイソで一寸住みたいところでもある目白。あの我が国を代表するプロダクトデザイナー榮久庵憲司を擁したGKデザインのアトリエも、この目白にある。

 図3は面影橋に向かうあたりだろう。小さい頃練馬の叔母の家にゆくのに池袋まで都バスに乗っていると、途中でみえるこの専用軌道がなんだろうと思って気になっていたところである。そんな幼少期の思い入れがある面影橋だ。その後、都電の背後に新宿の超高層ビル群が立ち並ぶ風景が見えるのも、このあたりだ。

 図4.は数寄屋橋行き都電との交差部だから東池袋あたりかな?。高度経済成長する前の姿といってよい当時の民家のスタイルが伝わってきて、たっぷり昭和の空気なのであった。当時建築物は2階程度だったが、今ではサンシャイン60の超高層ビルが間近に見えるはずである。

 図5は、場所がわからない。都電32系統の車庫は荒川車庫だが記憶曖昧。あるいは小さな車庫があったのかもしれない。それでも当時の、のんびりとした空気が漂い、高い建物は皆無で、背後に広がる青い空が見えていた時代であった。そう当時の東京の街の風景には、タップリと青い空が見えていたのである。

 図6は終点三ノ輪橋。ホームに面して商店がつらなり、その先の狭いアーケードがやはり下町固有の魅力的な空間だったことが記憶にある。

 このように都電32系統は、青春の街、宮様が通うハイソな街、古くからの住宅街、池袋副都心、巣鴨あたりの場末をぬけ下町に通じるという、1967年、東京の街の断面図みたいな路線であった。

 都電32系統は、ほとんど専用軌道を走り代替交通機関がなかったので廃止を免れ、現在東京さくらトラムとして同じ路線で運行されている。むしろ大きく変わったのは街の方だ。どこも垢抜けした街になり高層マンションやビル群の足下を電車が走る姿をみていると、もうあのときの街の空気、そう神田川に歌われた街の世界は既にないだろう。だから再度訪れたいとは思わない。

 

都電32系統荒川線、1967年12月

Canon6L,50mm/F1.4,Tri-x

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番外編386. 半世紀前の銀座で路面電車!

2019年01月10日 | Tokyo city

図1.銀座4丁目交差点、車窓から撮影

 

図2.都電銀座線の車内、若い人と老年の車掌が逆の方向をみていると思った

 

図3.都電銀座線の最終電車、当時の美濃部都知事が乗っていた

 

図4.最終電車が通過すると直ちに線路の撤去作業が始まった

 

 1964年に東京オリンピックが開催された後、1967年12月東京の都電(路面電車)銀座線が廃止されるというので、鉄ちゃんに誘われて銀座へ撮りにでかけた。路面電車ですかぁー・・・。

 最初に撮影した1枚の画像は、2018年2月27日のブログにアップさせている。地下鉄銀座線室町の階段を上がったら都電の背後に辰野金吾設計の第一生命館の建築物が暗い曇り空の街で静かに構えていた。あの何事にも動じぬかのような不思議なただすまいはなんだろうか?。最初から鉄ちゃんとは関心の方向がズレていたわけだ。とはおもいつつも都電銀座線が廃止されるので鉄ちゃんについていった。

 鉄ちゃんは当時最新型の一眼レフ・ニコマートFTnに24mmの広角レンズと標準レンズが付いた機材の2台持ちだ。貧乏高校生であるこちらは一世代前の親父からのもらい物のレンジファインダー・キャノン6Lという大いに心寂しい機材だが、まあ撮ろうという意欲だけはあった。

 銀座は、都電の廃止と年末とが重なり多くの人出で大変賑わっていた。そんな人混みをかき分けて、我々は様々なアングルから都電を撮影していた。いや貧乏高校生が滅多に来ることがない銀座の街の空気が新鮮だった。

 この都電銀座線の廃止を皮切りに、その後順次東京から路面電車が廃止されてゆく。ならば撮らなきゃと、その後も鉄ちゃん行脚が少しばかり続く。それは都電を口実に、その背後の東京の街のシティスケープに関心があったのだろう。そこから街の徘徊の始まり、建築への関心の始まり、都市への関心の始まり、と多様な好奇心が立ち上がってきた頃である。

 そして半世紀後の2020年に再度東京オリンピックが開催される。その半世紀の間で東京の街も大きく変わってきたし、私が社会に出た頃に足繁く通ったトレーニングセンターが国立競技場内にあったが、今はそれも建て変わろうとしている。

 いろんな好奇心が、いろんな人達によってもたされた頃でもあった。それが半世紀の時間を経て、そこになんの懐かしさも感じないのは何故だろうか。

・・・・・

 さて昨日の京都は、朝方雪がぱらついた程度で、積もることはなく相変わらず寒い1日だった。午前中住民票をとりにゆき午後から大阪の国土交通省へ50頁近くある書類を提出した。提出したときは大阪の空に向かって終わった!と叫んだ。

 今日の朝の京都の気温は-2°、北の方は-4°の予報が出ている。さて明日はとても寒いので講義用スライドのデジタルデュープづくり、夕方からスイミング教室がある。寒いときのスイミングも泳いだあとに、えもいわれぬ爽快感があるのです。

 

東京都中央区

Canon6L,50mm/F1.4,Tri-X増感処理

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Nikon Freak242. 記憶に残る街

2019年01月09日 | Aomori city

 このブログのカテゴリー欄に青森というフォルダーがあり、これまでのブログ数が0のままだった。実は青森の画像はアップ済みであり、青森のカテゴリーに移し替えた。その際に手元のストックしていた青森の過去画像を集めてみた。そしたらリバーサルフィルムとモノクロフィルムの画像が出てきた。

 かっては青森市モヤヒルズの施設再生事業で関わった経緯があり、ここは個人的に記憶に残る町。

 旅は、その土地の人に会いにゆくことと以前このブログで書いた。青森市ではその土地の人が、いまは消息がわからない。だから雪の下にそっと埋めておこうという気分だ。

 それに旅は、全く個人的思い入れがあって成立する。だから他人には、あまり同じ価値や意味が共有できるとは限らないし、同じことを他人に勧めるわけにはゆかない。そうした旅を市場価値に基づいて商品化すれば旅行になる。そこが旅と旅行の違いだ。そんな雪の青森市というのは、まさに個人的思い入れの旅の所産だった。

 この頃、大学で地域空間構成論を教え始めた。全国及び海外の優れた、面白い、変わったと思われる(当時)街を訪れフィルム撮影の乱写時代であった。それでも足りないときは文献を複写し、他人から借りて、最終的に相当に吟味され、テーマに則して再構成した上で講義用スライドとして編纂された。それはある種の完成度を維持しながら今も手元に残っている。何しろ5万カット以上のスライドの中から200カット程度を選んだのだから、写真が選択の芸術だといわれることはまとを得ている。いずれこのスライド資料を複写しておく必要があることに気づかされた。

 青森の画像を探すのを発端にして、結局難儀な雑用を発見してしまった。気がついたうちにかたづけないと散逸するというのが研究資料だ。ブログの冬の素材に使えるかもしれないし、という思惑もあるが・・・。

 天気予報では、京都市の今朝は雪マークが出ている。降りそうで降らない京都の天気である。実際は花のように少し舞うだけだろうと予想している。ただし寒いことに変わりはない。

 

青森市古川市場・酸ヶ湯、1997〜2000年

NikonF4,AF Nikkor35-70mm/F2.8,ベルビア

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ドローイング172. 貴方の子弟が美大に行きたい場合のチェックポイント

2019年01月08日 | drawing

 クロッキーを描きながらどこをみているかというと、モデルさんはいろんなポーズをとるから、先ず全体をみている。どんな場合でも、万事全体からはいるというのがデッサンの大原則。

 ついで骨格や筋肉をみるというよりは意識する。例えば首回りのここが胸鎖乳突筋で、お腹のこの部分が腹直筋でといった具合に、実際には見えないか断片的にしかわからない筋肉をイメージしながら描いている。せめてクロッキーでは表層の筋肉位は描きたいわけだ。だから筋肉質のモデルさんの方がわかりやすい。モデルさん達は劇団の俳優だったりダンサーだったりして日々ボディを鍛えているわけだ。人間は鍛えないと格好が悪い生き物ですから。

 お正月が終わると大学の入学試験が続けてやってくる。1月19-20日に行われる大学センター試験(2020年からは大学共通テストに変わる)、2月に入ると各大学毎の試験がある。各大学の試験では、芸術系を目指そうとすれば実技試験が課せられる。

 もし貴方の子弟が美術を目指したいとか、コンピュータアートをやりたいので美大に行きたいといった場合のチェックポイントです。

 実技試験の勉強は、基本的に民間の美術研究所などに通うほかない。高校では、受験指導はしないこともあるが、高校の美術の先生に2系統あることは覚えておいてください。それは美術系大学・学部出身の先生と、教育学部出身の先生とである。

 美術系といえば芸大・美大・造形と名がつく大学、筑波大学の芸術専門学群も前者に該当します。前者なら実技試験については自らが経験しているので話は早い。それに前者はプロの作家を目指して描いている先生もいるので全く問題はない。ただし自分の作品に関心があって指導は面倒という先生もいますが、そういうときは、ここの美術研究所のこの先生につけなどと指導もしてくれます。

 要注意は後者です。国公立大学法人の教育学部出身といったら典型的な後者です。大学で実技の科目はありますが美大に比べればダントツに実習の時間数が少ないです。だからデッサンのできない先生も多数いて講評だけしかできない、つまり絵の描けない口先だけの美術の先生も相当数存在しています。後者に当たったらさっさと高校での指導はあきらめて民間の美術研究所に通いましょう。河合塾でさえも美術研究所をやっていますから。

 要は美術の先生の出身校が美術系か教育学部系かがチェックポイントということです。それによって先生の教育の受け方が全然違ってきていることを伏せて教壇に立っているわけですから。

 そんなわけで美術研究所に通ったらすくなくとも1年以上の勉強が必要です。えっ!、直前では無理なの?、と問われれば、貴方の子弟が天才ならば可能ですけど・・・、と答えることにしています。

 教育学部というのは、基本的に文系です。つまり口と書類だけで世渡りをしようという世界です。日本は、いつのまにか口と書類だけで世渡りができるシステムを作り上げてきました。それって、怖くないですか?。口と書類だけなら、社会を動かすどころか戦争だってできちゃいますよね。やはり具体化できる技術をもつってことが大切ですね。

 だって医者が医療技術もないのに手術なんか行ったら、もう目も当てられないですね。それと一緒で絵の描けない先生に美術を教わってもね!?、なのです。だから私は文系嫌いなのです。社会は、様々な分野のテクノクラートや科学技術の専門家・技術者ががもっと活躍すべきだと思っていますけど。

 

テクノクラート:技術官僚 (ぎじゅつかんりょう)とは、科学技術や経済運営、社会政策などの高度な技術的専門知識によって、政策立案に参画し、その実施に関与する官僚、管理者のこと。出典:Wikipedia

 

クロッキー帳NO40.2018,12,12

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ドローイング171. 昆布出汁で七草粥

2019年01月07日 | drawing

 撮影で実際にポーズをとるときには、体をすこしねじることが綺麗にみせるポイント。

 モデルさんのポージングも考えたすえにやっている。だから自分の子供やお孫さんでも遊びに来たら、このモデルさんのポーズを手本にして実際に撮影してみたらいかがですか。別にヌードでなきゃダメとはいいませんけど(笑)。小学生ぐらいだと結構可愛いポーズです。ただしクロッキーでは、ねじられると少し描くのが大変なんだ。

 人間はもとより、プロダクト製品でも綺麗にみせるアングルが必ずある。そこを発見するのは撮影者の感性だけど、それに人間は表情や動作が加わるから、まあ商品よりはベストアングルに多様性が出てくる。

 だからといって若いお姉ちゃんから撮ってといわれても、うち写真のことはよくわからないのでと逃げることにしておく。

 さて今日は、もう七草粥をいただく頃になってしまった。ただお粥にするだけでは、芸がないから昆布出汁を加えてみようか。昨晩からつけておいた昆布だしでご飯を炊くわけだ。

 このお正月は、昆布出しの取り方で悩んだ。というのもスーパーで調達した昆布では、一晩つけておいても、出汁にならないのだ。取り方は辻留で修行した職人さんのメモをもらったのだけど、やはりとれない。いろいろ実験した結果、スーパーの安い昆布では出汁にならないということがわかった。結局錦市場へ昆布を買い出しに行くことになってしまった。

 毎日朝、昆布出汁をとっておいてペットボトルに入れて、それが1日で使うぐらいの目安か。昆布出汁はどんな料理でも必ず使うから必需品。

 昆布出汁がクロッキーとなんか関係があるのかといわれれば、もちろんありません。筆の向くままに書いています。

 

クロッキー帳NO41.2018,12,26

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ドローイング170. -1°

2019年01月06日 | drawing

 昨日の京都市内の朝の気温は、-1°とiPhoneが表示していた記憶がある。寒いが雪は降らず氷雨だ。その雨の街の風景が陰鬱で寒さの典型みたいなんだ。北の町へゆけば、こうした陰鬱な気配が毎日続くのだろう。もう気分は、おおいに落ち込みそうだ。こう寒いと外へ出るのにヱイヤッ!という意欲が必要だし、そんな気遣いをしなければならない冬が実に面倒くさい。節分までさらに寒い日が続く。一年で一番いやな季節でもある。

 寒いときは沖縄へ家でも借りて避寒したほうがよさそうだと考える。しかしダイビングをしないとなると、那覇の時間は実に退屈だ。どこかにあらたな目標でもつくらないと時間をもてあますので、それはいまのところ企画だけにとどまっている。

 さて今日は、クロッキー教室の14ポーズ目の最後の5分ポーズ、枚数を重ねると少し人間のボディを思い出してくる。それにしてもモデルさんは、時折少し体をひねる。ここではお尻の割れ目の位置が僅かに手前にありすぎるが、上体を少しくの字に曲げていた。5分ポーズだしサイドからそれを描くのは難儀だから略して、お尻の割れ目をメモ代わりに描いておいた。

 筋肉質の女性のボディは描いていて面白いが、それが女子アナみたいな脂肪でポニャポニャのボディだと、筋肉がわからないし描きようがない。でも大方の若い女性達のボディはポニャポニャかガリガリかで筋肉がわからないから、こいつらが嫌いだといったら女達から総スカンを食いそうなので、ここだけの話題にしておこう。

 実は浪人中にポニャポニャの理知的な女の子から、最近どんな本を読んでいるんですか?と尋ねられた。そこで浮浪雲!!、と答えたら、漫画ばかり読んでないでもう少し勉強したらどうですか、と軽蔑のまなざしでいわれた。それ以来理知的なボニャボニャの女の子が嫌いになったという経験はあったが・・・。

 

クロッキー帳NO41.2018,12,26

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ドローイング169.  冬枯れ

2019年01月05日 | drawing

 このブログもお休みしたいと思いつつ惰性で正月から続けている。お正月が過ぎたから休もうかとも考えつつ・・・。

 さて、このブログも冬枯れである。つまりネタぎれ、画像ぎれ。

 そこで毎年冬のブログでは何を書いていたのだろう。そう思って過去ログを引いてみた。前年はドローイングが多かったし、前々年は新幹線通勤をしていたので車窓撮影ばかりだった。寒雪の滋賀県や関ヶ原を、暖かい新幹線の中から撮影するというズボラな方法にしばらくはまっていた。

 この先一ヶ月ほどは、寒くなるので外へ出かけたくない。

 芸術系出身の常として、かって勉強したデッサンの感覚を忘れないために、クロッキーは定期的に描いている。あろうことか次第に下手になってゆく(笑)。それは集中力が減退しているとか、描いたクロッキーを復習するという努力をしていないからだろう。いつも復習しようとおもっているが、雑事に追われ次のクロッキー教室の日がきてしまう。

 最近Pintarestが時折人体デッサン画像のアップを知らせてくる。だからクロッキーの画像をストックしておく。それを勉強の肥やしにしようと思っているが、雑事に追われ眺めるだけ。そうしていると最近の漫画家は、人体デッサンが旨い。なるほどこういう表現になるかと、こちらが勉強になる。

 もちろん漫画で描く人体とデッサンとしてのクロッキーは、少しばかり違うのだけど、基本は人間だから大体似たようなもの。

 さて、このときのクロッキーを振り返ってみると、モデルさんの腰がかけていないし上半身と腰とがアンバランスだ。腰を前に突き出しているのだが股間の位置が違う、胸ももう少し綺麗だったはずだし、空間感が希薄だ。いつも最初の1枚の10分ポーズは全く描けないのが常。こちらも枯れている気分だ。

 まあ手が勝手に動いちゃった。そんなわけで全体のプロポーションがおかしい。しかしモデルさんのボディは、小顔でダンスなどで鍛えられていて筋肉質なところが面白い。

 ふと思うが昔の絵画には美人画というジャンルがあったけど、リアル社会の現在では美人という概念がすでに存在しない。女性の魅力というのは、顔の形つまりは頭蓋骨の形だけでは決まらないし、むしろキャラクターやボディが醸し出す空気とか気配みたいところに魅力がある。このモデルさんにはそんな空気があったと思われる。

 そんなわけで、冬枯れのシーズンは、先ずはドローイングからはじめよう。

 

クロッキー帳NO41.2018,12,26

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番外編385. 大阪もすてたもんじゃない!

2019年01月04日 | field work

 親族が来て、大阪市内の七福神巡りをしたいと提案してきた。ほなら回りますか。玉造の三光神社を皮切りに、長久寺、法案寺、宝満寺大乗坊、大国主神社、今宮戎神社、四天王寺を、綺麗な七福神のイラストが描かれたお札にご朱印をいただいて願いを叶えようというものである。

 画像の4番目までの御朱印しかないのには、わけがある。

 4社寺目の宝満寺まできたときに、親族がコートのポケットに入れておいた財布がないといいだした。どこをさがしても出てこない。落としたか、いやスリの多い大阪だからすられたと考えるのが当然だろう。もちろん持ち主に戻ることがないのが大阪の常だ。財布のなかには現金、クレジットカード、健康保険証、帰りの新幹線のチケットまではいっており、なんだ一番重要な財布ではないか。

 3社寺の法案寺まではあったから、そこまで戻って住職さんに尋ねてみることにしたが、やはり置き忘れてはいない。そこで住職さんが一番近い交番に案内してくれた。落とし物届けをだしておいたほうがよいです、というわけだ。

 交番にゆくと警察官に、落としたのですか、すられたのですか、と質問があり。落としたというと、どんな財布ですかと質問があった。そして、なんと日本橋付近でひろった二人の女性が交番に届けてくださった。二人の女性は届けただけで立ち去った。そして財布は無事持ち主の親族に返された。

 婦警さんの「この街も捨てたもんじゃないね」という言葉が印象的だった。帰りしなに交番まで案内してくれた法案寺へ報告にゆくと、住職さんの目をつぶって神仏に感謝している姿が大変印象的だった。ああっ、これが信心なんだ、と私は解釈した。

 そう、やはり婦警さんがいうとおり、大阪もすてたもんじゃない!、と思いながらこの街をあとにした。

 

iphon7S

ISO40,焦点距離3.99mm,露出補正0,f/1.8,1/120

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Nikon Freak241. 京都三島亭のすき焼き

2019年01月03日 | Kyoto city

 お正月は、ブログを休むつもりでいたが書いてしまった。後で休もうという気分だ。たいした話題ではないがメモ代わりに書いておこう。

 京都三島亭のすき焼きの食べ方。多分知っている人は知っているが、料理のレシピに書かれてある通りにしたのでは、肉のうまみを味わい損ねる。

 最初にすき焼き鍋に背脂を入れること。そこまでは同じ。次に直接三島亭のお肉を鍋に入れて大量の砂糖と醤油をかけて焼き肉状態にする。それをとき卵につけていただく。そうした割り下につけない方法が一番美味しいお肉の食べ方です。この方法は関西では一般的です。

 その後で割り下をいれて野菜などをいただくと、肉のうまみがしみこんで美味しくいただけるわけ。割りしたを薄める焼き豆腐やしらたきは欲しいですね。なので三島亭でランチを食べれば、そのことがよくわかると思います。

 三島亭は、全国各地からそのときに一番旨い肉を仕入れてきます。だから産地不詳なのです。そして産地を表示せよなどとお上が言い出すと悩んじゃうわけ。産地は全国、それが京都三島亭のお肉なのです。

 京都三島亭のお正月は、2日からやっています。もし京都に来たら是非三島亭のランチを味わっていってください。それで関西風の作り方が一目でわかると思います。

 

京都市東山区宮川町

NikonDf,AiAFNikkor35mm/f2.0

1.ISO4500,露出補正-1,f/2.8,1/40

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番外編384. 元旦の1日

2019年01月02日 | Kyoto city

 年末は、お煮しめに挑戦してなんとかできた。夜食の年越しそばを食べる頃には隣のお寺の除夜の鐘が鳴り響いていた。そんなことをしているうちに静かに年を越していった。

 元旦の朝は、町内の新年拝賀式がある。町内の人間達がお稲荷さんの前に全員集まり新年の挨拶をし、御神酒をいただきながら歓談して一時を過ごす。あーっ、やはりお正月だなと感じるときだ。

 でっ、ここのお稲荷さんは伏見稲荷の末裔だから初詣もしたことになる。全部すんじゃったか。としいうわけで午睡につぐ午睡。唯一コンビニがいつもより賑わってたのが印象的だった。

 そんな風に外は寒いので家に閉じこもり、さっさと元旦の1日が過ぎていった。さて正月2日目は箱根駅伝をみよう。一週間ぶりにテレビをつける。これで少しずつ普段のテンポに戻ってゆくのだろう。

 

京都市

iPhone7S

ISO40,焦点距離3.99mm,露出補正0,f/1.8,1/120

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