オショロコマの森ブログ5

渓流の宝石オショロコマを軸に北海道の渓流魚たちと自然を美麗画像で紹介します、

斜里川水系、錦鯉オショロコマのなりそこないを釣った

2013-12-10 20:13:08 | 渓流魚、蝶、自然
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20XX-9-20  晴れ
斜里川水系、錦鯉オショロコマのなりそこないを釣った。

この日は斜里川水系のあちこちの支流をまわってオショロコマの撮影をした。



斜里川上流はヒグマが多く、このあたりは特にヒグマの出没が目立つようだ。
熊出没注意の看板も特別仕立てでこの手の看板としては稀にみる迫力がある。

となりのHおじさんもこのあたりに釣りに入って林道でヒグマに接近遭遇しキモを冷やしたことがあると話していた。

ちなみに私たちはここでヒグマとバッタリ会ったことはないが糞はよく見る。

斜里川上流から源流域にかけては、気がついたらいつの間にかダムだらけになっており、一体大小いくつぐらいのダムがあるのか数える気にもならない。 

一見すると、そこそこの緑があって、そこそこの川で、清冽な水もそこそこに流れているかに見えるが河川全域の自然はひどく破壊され、かっての原始河川の面影はまったくない。

よくよく見ると破壊しつくされた川と言って良い。それでも、あちこち局所的だがオショロコマがけなげに生き残っている。


















このあたりはダムによる生息域分断の影響かどうかは知らぬが変わった色調・斑紋のオショロコマが釣れる。

代表的なのは錦鯉オショロコマであるが、この日は錦鯉オショロコマのなりそこないみたいな1個体が釣れた。














この日も撮影させていただいたオショロコマたちは全て丁寧にもとの場所にリリースした。




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謎の湖を空撮

2013-12-09 18:35:37 | 旅行
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20XX-9-10 (金) 晴れ のち曇り
謎の湖を空撮

所用で午後5時20分のANAのプロペラ機で女満別空港から札幌へ飛んだ。



飛行機はジェット機よりはやや低く飛び、飛行中、夕陽がきれいであった。


今日は北見市近郊、原生林の中にあるチミケップ湖は見えなかったが、しばらく飛ぶと途中で比較的大きな湖が見えたので撮影した。







離陸後40分ほどでANAのプロペラ機は札幌郊外の丘珠飛行場へ着陸した。



さて、飛行中に撮影した湖の名前は何だろう。

特徴的な形をしているのですぐわかると思ったのだが地図をみてもこんな格好の湖は飛行ルート上に無かった。

ウソだろう。ムキになって徹底的に調べることにした。

しかし、しらみ潰しにそれらしい湖を探していったがわからず絶望的な気持になりとうとう諦めた。どう調べても北海道にこんな形状の湖はなかった。

それから数年後、またこの湖の正体が気になりインターネットの国土地理院の25000分の1地図などを開いて入念に探したが、こんな形状の湖は地図に無く、やっぱりわからなかった。

諦めかけた頃、あるとき突然ひらめいた。一般的に地図は北を上に描かれている。それをひっくり返して南を上にした感じで調べてみた。 

結果。この湖が大きな人造湖の糠平湖であることはすぐにわかった。あっけなく謎がとけた。

考えてみれば私が如何に固定概念にとらわれている人間かよくわかって情けなくなってしまった出来事であった。




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もう一つの真珠湾奇襲、そして秘密保護法

2013-12-08 09:46:55 | 渓流魚、蝶、自然
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もう一つの真珠湾奇襲、そして秘密保護法

今日、2013年12月8日は今から72年前、太平洋戦争が勃発した日である。終戦記念日と異なり、敗戦国日本ではとりたてて記念行事などが行われることはない。今から72年前の1941年12月8日未明、日本海軍の空母艦隊から発進した航空機部隊が真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊を急襲した。まったくの奇襲で日曜日の早朝であり、米国政府は奇襲を予測していたのでは?との見方もあるが、少なくとも現地の米軍には何も情報がなかったようでどうすることもできず、一旦壊滅状態になった。
しかしこの時、真珠湾の浅い海底に沈んだ戦艦8隻中6隻は、無事であった港湾施設を利用して引き上げられ、修理され速やかに戦場に復帰している。米空母3隻は真珠湾におらず難をのがれ、結局米国にとって実害はさほどのものではなかったのである。

この時の日米両方から撮影された多数の写真は、みなさんあちこちで見飽きるくらい見ていることでしょう。特にアメリカ側から撮影された写真は枚挙にいとまがないほどたくさんある。一方、日本側から撮影された写真は当時の種々の機密保護法のもとに大本営の厳重な報道管制もあったせいか、きわめて少ない。

大石均氏は、あるとき古本屋で珍しい写真を見つけた。あまりにも迫力がある写真に圧倒されおもわず購入した。それは真珠湾で日本機により攻撃されている飛行場を日本機が超低空で撮影したらしいもので、いまだ公表されたことがない、いかにも珍しい写真であった。その後ヤフーオークションで偶然みつけた真珠湾と思われる飛行場爆撃の写真も入手された。

今回、大石氏から私のところにそれらの写真が送られてきて、この写真が本当に真珠湾攻撃の祭、日本機によって撮影されたものか同定してほしいとのことであった。(ごく一部の人たちの間では、私は趣味としての相当な戦記マニア、飛行機マニアとされているようです。父が海軍航空兵であった影響と思います。)
この写真を私のブログに使用してもよいとの了承を得て下記の記事を作りました。

彼のメールに下記のごとく返信しました。

メールと珍しい写真拝見しました。 


写真1 これは攻撃され炎上中の真珠湾ホイラー飛行場と思われます。日本機から撮影された極めて貴重な写真です。(過去にこの写真のみ週刊誌新潮に採用され掲載されたことがあるようです。)




写真2 この写真では 最前列に カーチスP-40 がみえますがこれは映画パールハーバーで零戦と戦ったシーンがかなり出てくるので実際に真珠湾にいたのでしょう。 P36フォーク 、F4F ワイルドキャット がめだち後方には双発のB-25ミッチェル 、最後尾には炎上中の大きな機体の翼がみえますが 大型爆撃機 B-17 でしょうか。 B-17があまり真珠湾らしくないと考える人がいるかもしれませんが当時B-17 はハワイにかなり配置されていたようです。海が見え、そこに水柱が上がっているようにも見えるのは真珠湾をおもわせますが。


写真3と写真4は、ほぼ同じところを、やや時間をおいて撮影されたものでしょうか。

写真3 ここにはは海軍の艦上戦闘機 F4Fのほか 、 P36フォーク B-25ミッチェル など見えますが 陸軍機のP39 エアコブラが目につき これがあまり真珠湾らしくないかもしれません。





写真4 は海軍のF4F のほか F2A バッファロー4機、P36フォーク、B-25 は真珠湾らしいのですが よくみるとP39 エアコブラ1機 が混じっています。この P-39 が真珠湾らしくないかもしれません。


もしかすると、写真3 写真4 は真珠湾攻撃の同日 台南航空隊が当時の米軍には信じられないような長距離を飛んでフィリピンのクラークフィールド飛行場とイバ飛行場を奇襲し、壊滅させたときの写真ではないでしょうか。( ただ、私のこの判断が正しいかどうか完璧な自信はありません。 )台湾-フィリピン往復という長距離攻撃を日本機ができることを大本営はきっと秘密にしたかったのでしょうか、真珠湾はあれほど大々的に報道した反面、こちらはさほど報道されていないようです。この攻撃のことを知らない人も多いのではないでしょうか。
この攻撃は奇襲に参加した零戦パイロットで撃墜王、坂井三郎氏の大空のサムライにくわしくでています。

私は、真珠湾攻撃よりも艱難辛苦の末、前人未踏の長距離を飛んでフィリピンに到達し攻撃を行い、空中戦まで行い、さらに再び長距離を飛んで台湾まで帰投したこの攻撃のほうがより強い感動をおぼえました。フィリピンを脱出したマッカーサー元帥は回顧録で、この日の日本機が台湾から飛んできたとは到底考えられない。きっと空母から発進したに違いないと述べています。開戦前から、この攻撃を念頭に研究が進められ巡航速度115ノット、零戦のエンジンではシリンダー爆発ぎりぎりの混合比でエンジン回転数毎分1700回転程度に押さえ、毎時67リットルのガソリン消費量でゆけば、この長距離攻撃がぎりぎり可能とされました。このような苦労のすえ当時では考えられないような長距離渡洋攻撃がなされたのでした。

子供のころ、血わき肉おどる感動で戦記雑誌 丸 でこの攻撃記録を一気読みしたことを思い出します。
この攻撃は もうひとつの真珠湾奇襲 といっても良いかもしれません。




ところで、西欧列強が植民地支配に悪逆のかぎりをつくし、それに飽きてきた頃、遅れてきた帝国主義国家、性悪国日本が一方的に戦争を起こし、近隣諸国の方々に多大の迷惑をかけたあげく、悪は敗れるといったパターンで連合国に完敗したと世界各国の人々はもちろん、戦勝国に主導された戦後教育からそう信じている若い日本人も多いと思われます。日本国民が東条英機氏など戦犯とされた人たちの主導で、ヒットラーに率いられたドイツみたいに突っ走ったと思われているのでしょうか。しかし、ほんの少しでも歴史を勉強すれば、当時の世界がそんな単純なものではなかったことはすぐにおわかりになるかも知れません。また、鼻息の荒い個体群が暴走し開戦に踏み切ったまでは良かったが、日本がいかにこの手の戦争に不慣れで、実際に信じられないほどいかに下手くそであったのか、いらだちを通り越してあきれ果てることでしょう。寝込みを襲うような開戦初期の作戦以外は終戦まで、ほぼ惰性的な連戦連敗。外交に至っては稚拙のきわみであった。これらの点に興味のある方は 名著 講談社文庫 ドキュメント太平洋戦争全史 上・下 亀井 宏著 を最後まで、まずは斜め読みで通読することを是非おすすめします。文庫本2冊で読み通すのにそんなに時間はかかりません。

また、近々封切られる映画 永遠のゼロ の原作本(著者 百田尚樹氏)の後半部分では軍部・政府とともに日本国民をあおりにあおって戦争に突入させ、終戦後は手のひら返しを平気で行ったジャーナリストたちに対する憤りも生々しく描かれています。ただ戦前のジャーナリストたちが当時次々と制定された種々の秘密保護法群でがんじがらめにされていった結果であったことは言うまでもありません。
(昨夜、2013-12-6 このおぞましい秘密保護法案が幽霊のように突然現れ、まばたきする間もなく国会で可決されました。将来的には同様な時代がこないとは限りません。)

この悲惨な戦争を経験した日本は、かなり利口になり、殺し合いで物事を解決してゆく空しさ愚かしさ理不尽さが骨の髄までしみこんだ世界でも稀な民族になります。誰に何と言われようと、何をされようとも、じっと我慢、巧みな外交ですりぬけ、この68年間、一度も他民族と殺し合いをしないできた日本は、結果的には本当にすごい、ひたすらすごい、まさにすごいとしか言いようがありません。堪忍袋の緒が切れて戦いをいどみ完膚無きまでに叩きつぶされることに懲りたのです。殺し合いは最悪の選択です。

ただ、阿部晋三氏はじめ国会議員のかなりの部分が 戦争を知らない子供たち になってしまった今、このすごさの意味もわからず、日本を変な方向へ舵取りしつつある気配がひしひしと感じられるのは私だけでしょうか。日本人の多くが最終的な危険を実感できないまま過ごすうち、歴史は繰り返され、水ゆでカエル(阿部晋三氏も含めて)みたいに、気がついたら茹で上げられていたということになってゆくのでしょうか。国家??という得体のしれないものが秘密を独り占めにして主権者であるはずの国民の上にそびえ立つイヤな気配が見え隠れしてきました。秘密は、ばらしたらただではすまんぞと脅すより、漏れないような管理法を徹底研究するほうが先でしょう。それでも人間は秘密をばらしたくてたまらない衝動にかられる生き物なので昨今のアメリカ(秘密保護法の大先輩)みたいに重大な秘密が次々に漏れるのは厳罰のみでは抑えられないでしょう。


人類の歴史をみれば人間は同じ過ちを絶えず繰り返しています。潜在的に、戦いや殺し合いが大好きな特性をDNA上に深く刻印された最もおろかな?生き物です。武力解決、殺し合いはいけないといっても現実はそんなに甘くない場合が出てくることを誰もが認めざるを得ないのは悲しい事実です。なにかの理由で戦争が始まり、殺し合いに懲りた頃、平和が訪れます。一方、平和ぼけで殺し合いの悲惨さを忘れた頃、必ず鼻息の荒い個体群が現れてまた殺し合いといったパターンを飽きもせず繰り返してきました。当然ながら戦争は勝者が正義、敗者は悪になり、戦後しばらくはそのような教育がなされます。残念なことですが現在の世界に目をむけるまでもなく人間の歴史において殺し合いは原罪、もしくは必然であるかに見えてしまいます。それで、いざという時の為の備えはあっても良いとは思いますが、今後とも今の体制は崩すべきではありません。かっての日本のような武力暴走が起こらないよう手足を縛る現平和憲法を変える必要はなく、いざというときには超法規的措置を発動して自衛の戦いはすぐできます。しかし、それ以前に、誰に何と言われようとあの手この手で戦争場面を回避してゆく姿勢が、最もすぐれた姿です。


昨今の国会風景をみると不安にかられますが、願わくば、他国との殺し合いの事態はできるだけずっと向こうに、出来れば永遠に先送りしたい。日本はこれまでどおり、これまでの体験を無駄にすることなくなんとか努力してゆくしかないでしょう。



PS さて、話が大きく変わって渓流の世界では 鼻息の荒い個体群( オショロコマ棲息水域の放流ニジマスとそれを容認する危険な状況 )が 在来種オショロコマを駆逐しないよう あの手この手でそれを先送りできるようにしたいと考えております。


    2013-12-8   ドリーバーデン



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ヒグマの糞に群がる夏の蝶たち

2013-12-06 10:17:08 | ヒグマの被害など
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2013-8-10 (土) 曇り

ヒグマの糞に群がる夏の蝶たち。
朝からかなり繁ってきた庭の草取りをやった。そのあと 午前11時出発、我が家から車で30分ほどの I K川水系に渓流魚の撮影と食べるためのヤマベ釣りに出かけた。 

I K川上流の林道が二股になるところの広場に比較的大量のヒグマの糞があり夜来の雨ですこしとろけたようになっていた。一般的に蝶たちはヒグマの糞が大好きだ。おびただしい数の夏の蝶たちがヒグマの糞にてんこもりに群がっていたのだが、不用意に私が近づいたために、蝶吹雪みたいに飛び立ちおおかた舞い散ってしまった。

すこしおいて、またヒグマの糞を見にいったら少ないながらまた蝶が集まっていた。




白い蝶はすべてエゾスジグロチョウ夏型♂たちです。エルタテハも1♂見えます。

今度は蝶を驚かさないように慎重に接近し、ミヤマカラスアゲハ3♂♂ コムラサキ5♂♂ エルタテハ1♂ シータテハ2♂♂ ウラギンスジヒヨウモン3♂♂ エゾスジグロチョウ♂多数 を撮影することができた。











ミヤマカラスアゲハ夏型♂  Papilio maackii tutanus 2013-Aug.10 Kitami city Hokkaido Japan.




Polygonia c-album hamigera ♂  
シータテハ♂ 後ろ羽根裏面に和名の由来であるアルファベットの C が見えます。






Argyronome laodice japonica♂ and Apatura metis substituta ♂
ウラギンスジヒョウモン♂ と コムラサキ♂







コムラサキ♂の羽根が陽光で怪しく青くギラリと光るのは構造色です。
Apatura metis substituta ♂   コムラサキ♂


   OSHOROKOMANOMORI BLOG 5 Salvelinus malma in Hokkaodo Japan



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長雨の続く知床の渓流と淡い白色調のオショロコマ

2013-12-04 20:56:32 | 渓流魚、蝶、自然
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20XX-6-5 雨ー曇-雨ー曇ー雨

長雨の続く知床の渓流と淡い白色調のオショロコマ

この日、雨は一日中断続的に降り続いた。

今回は知床半島ウトロ側の未調査水系3本の渓流の調査をすませた。

首尾良く美しいオショロコマをそれぞれの渓流で確認し撮影できた。もう相当疲れていたが最後に恒例のOT川に入った。

いつも水量があり私たちのお気に入りの渓流だ。今日は長雨の後なのでさらに水量多く、ごうごうとすごい音をたてて流れている。



最初とその次のポイントを釣った。オショロコマは淡い白っぽい色調で、この渓流独特の♂♀が15匹ほど釣れた。
































今回、この渓流のすぐとなりにある自然度最悪の渓流でまさかのオショロコマを発見したが、この自然度最悪の SK川 、OB川のオショロコマとまったく同じ外見のオショロコマであったことは興味深い。これらの渓流3本を汽水域(海)を介して同一の個体群のオショロコマがいききしている可能性があるとおもう。


流れが強く、いつもは透明な水もこの日は笹濁りで撮影しにくかった。撮影させていただいたオショロコマたちは全て丁寧にリリースしました。

帰路、川をくだってゆく途中で同行のF氏が滑って頭からザンブとばかり川に突っ込んだ。

幸いなことに怪我はなかったが彼は最近ダイナミックな転倒をするようになった。昔は川で転倒などあり得なかったので年のせいでしょうか。

ここの川沿いには野生のおいしいミツバがある。この日も少し摘ませてもらいました。




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知床の超チョロ川河口でまさかのオショロコマ

2013-12-02 22:07:00 | 渓流魚、蝶、自然
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2009-6-5  雨ー曇-雨ー曇ー雨

知床の超チョロ川河口でまさかのオショロコマ発見

知床半島ウトロ側のシャリキ川は悲しいほどの細流、チョロ川。夏場にはしばしば枯れ川みたいになってしまい流れる水がなくなる。




いかにも大げさな砂防ダムが3つも並んでいる小さな川、シャリキ 川に初めて入った。

長年、知床の渓流をしらみつぶしに調査してきたのだが、これまでこの川は見向きもしなかった。

環境最悪で、あまりにも川らしくない川なので、オショロコマは生息しないものと勝手に決めつけていた。

しかし一度くらいは調査しておかなければ物は言えない。ということでだめもとで竿を入れてみたのであった。

いつもの枯れ川と違って、このところの降り続く長雨で細いがまあまあ川としての流れができている。

ダム下などの小さなたまりを入念にさぐっていったが魚信なし。










あきらめかけてもう少しで海に出る付近の畳半分ほどのたまりにそっと振り込むと、いたーっ。美しい1♀がかかった。

近くの渓流オショバオマブ川のオショロコマとそっくりの外観をしている。









しかし、それでおしまい。そのすぐ先は河口でオホーツク海となる。この1♀は本当にこの細流シャリキ川に棲んでいたのだろうか。

それとも、隣の渓流から汽水域をつたってこの川にたどりつき遡上してきたのだろうか。

海で渓流竿でオショロコマを釣ったことがある私たちとしては後者の可能性も考えたいところだが真偽のほどはわからない。


とても貴重なこのオショロコマは丁寧に海から数mにあるたまりにリリースした。




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知床半島の付け根SMT川源流域のオショロコマは黄色調の♂、白色調の♀

2013-12-01 20:57:51 | 渓流魚、蝶、自然
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20XX-6-15  雨ー曇-雨ー曇ー雨

知床半島の付け根SMT川源流域のオショロコマは黄色調の♂、白色調の♀。

朝から雨。かなり降っていたが8時過ぎには小やみとなった。3wぶりの渓流釣りにF氏と3人で小雨のなか知床へ出発。

この日は、種々の理由で調査がきわめておっくうなため、いまだ十分に調べていなかった3本の知床の渓流でオショロコマの撮影を試みることになった。


まず知床半島の付け根にあるSMT川上流の2カ所で釣った。この渓流の下流域はよくオショロコマの撮影に入るが上流域は木々がうっそうとしているうえ、多数の砂防ダム建造で荒れ果ててしまっている。かっては大型オショロコマで知られた渓流であったらしい。































今回、オショロコマの個体数はあまり多くなかった。個体の大きさもごく普通サイズだ。

川面に木々がかぶさり竿を振り込みにくくとても釣りにくい。そのうえ流れが速く釣ったオショロコマを撮影するのにとても苦労した。

ここのオショロコマは黄色調の♂、白っぽい♀が特徴的である。撮影させてもらったオショロコマたちはすべて丁寧にもとの場所にリリースした。

今日は朝から天候が不安定だ。降ったり止んだりしていたが、ついに空をひっくり返したみたいな土砂降りとなり、一旦釣りを中止せざるを得なかった。


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