学級、学校の偽装建築

今学校は、どこも「基礎学力・ゆとり・特色ある学校・競争・自由化・地域との協力」等々魅力的なワンフレーズ看板がいっぱいだ.ちょとしたら、マンションの「安くて広い」という売り出し広告なみか。
基礎学力が低下してきたといって、授業時間を延ばしたり、学力検査で競わせたり文科省から最寄の小中学校の教室にいたるまで「はちゃっき」(北海道の方言でむやみやたらとがんばることの意味)だ。
ところで子供が学習する学級の状態は今どうなっているでしょうか。
私はどの学年を担任したときでも4月当初の保護者会で学級経営(学級作り)の施政方針?もどきの抱負を話しました。20年近く同じ3つの言葉でした。
それは子供一人ひとりや学級全体の①自主性・主体性 ②集団性 ③文化性 を育てたいというものでした。勿論経験をつむに従いその言葉のもつ意味は大きくなっていきましたが言葉を変える必要はありませんでした。学級作りについて先輩から教わり、本を読み、サークルにも参加して勉強しました。
私が特別だったのではなく当時は普通の多くの教師がそうだったと思います。
職員室でも喫茶店でも一杯飲み屋でも行き着くところは子供の話で、おたがいにしょうがないなーとぼやきながらやっぱりやっていました。
今はどうでしょうか。先生方は遅くまで仕事をしていますが、教育書はおろか新聞も読んでいるかなと思うほどです。学級や子供の話題もずーと影を潜めました。サークルなどは、直近の3校ではほとんど出かけるせ先生を目にしません。それはいいとしても、上記のような
学級作りの話題がないだけでなく、どの教室を見てもそれらしい学級作りが見当たらないのです。長い教職生活の中で教育委員会の指導主事や学校の管理職は器用であったりある分野で精通していて人はいても学級作りの実践家や理論家にはほとんど会うことができませんでした。その辺を系統的に指導したり実践して見せてくれる上司がいないのが今日の現実だと思います。ですから学級作りの技術の継承も暫くは難しいでしょう。ですから 子供たちの学力低下や不適応行動は当然今後も増えるだろうと確信しています。耐震の鉄骨を抜いたような耐震偽装した学級でどうして子供は安心して勉強ができるでしょうか。安心した学校生活ができるでしょうか。
ここでは具体的な論証はしません。ちょと想像すればわかることです。えらそうに言う老人のたわごとと思われてもいい。学級が一つの生き物のように主体的に、有機的なつながりを持って、意味や価値を求める学級の見られる時代の来ることを願っています。学校・学級が偽装建築になっていないか。見破れるかどうかだけの現実があまりにも多い。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )