端的に言うと

諸般の事から、(表向きとは別に)実質的な支配高構造のトップに君臨しているのは財界だろう。

 新勢力がクーデターで真っ先に手中にするのはメディアである。

権力者はそれが表であれ裏であれメディアを手中にしてから支配する。

 権力の最も強い形は、形があるような無いような(有象無象)が最も強いのは歴史が示し支配者や支配層が最も苦慮するところではないだろうか? 現在の世界も大きく違っているようには見えない。

 財界がメディアを手中にし、官僚や政治家を動かし、専門家を操る。

民主主義や主権在民は 時に支配者の道具として使われる。

 権力者がどうあれ良いものは良いのだが、財界は地球に属する財や自然の摂理より当面の利潤追求が任務だから、不都合が起きる。

 

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その時、私たちはいない

子供のころ、物を粗末にすると親から「バチがあたる。」としかられた。

たった6文字の言葉だが、何故か効き目があって、いまだに畳の縁や敷居をまたぐとき咎め、食べ残しが出来ない。

 今は、大量消費の時代と言われ、生活パターンは変ってしまったが、バチの心配はなくなったのだろうか?

地球の財を我先にと奪い合い、消費するのは、バチを言ったりその【意味を解する人】がいなくなったからかもしれないが、バチは人間の意思で下す罰とは違うから、オバマさんも野田さんにも分かりはしない。

「親の因果が7代…小にたたり。」とか言うが

 自然の摂理を無視した現代文明をチェンジしないとバチは孫子の代にあたるかもしれないのに

 素知らぬ顔した我々の厚顔無恥ぶり。

どれだけ権威を持つ人間であろうと、 バチが当たるようなことに手を貸事に政治生命をかけ責任を持つと言われても、その時あなたはいない。

 根本が根本だから、日本も世界も人心が乱れるのは必然で、そんな体制の世の中で我々は生きんがために黙々と働きアクセクしているのかもしれない。

  

 

 

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