世界は同時悲喜劇



   名前は忘れたが (こんなことをしていると)「1度目は悲劇として 2度目は喜劇としてやって来る」の言葉がある。

     
     しかし、内外の現状は 悲劇と喜劇が同時にやって来ているようだ。
 
      ただ お互いに気が付いていないだけかもしれない。

 大人は 地球を壊し借金の山を築きながら 子供に「愛してる」と笑顔で語り「子供を3人は生もう」と祝いの言葉を贈る。

      傲慢な人間が地球を壊しながら「地球を救おう」と主客転倒した市の呼びかけたバスが毎日走ってる。

       夕方 子供に遊びを止めて帰宅をうながす音楽で 急ぐは 買い物の老人ばかりなり。 
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鈍い反応

 


   地球と人類との関係を考えて
 
     人類は 世界の経済成長の可能が縮小しているとどれだけ現状認識しているんだろう?
     

  縮小への政治的対策は見られない。 。
     

   
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平和を乱すのは 経済の行き詰まり





人が願っているのは 一言で言うと (しあわせ)である。    


    「平和と繁栄」と並び称され、平和の問題と経済の問題が別々に論じられている その事自身 矛盾している。

      そもそも人の認識は 出来事を個別に認識して気は済まず 統合的に認識するように出来ている。

     世界の目は イランや北朝鮮の問題に焦点が当てられているが 経済の問題と切り離し 平和や安全の問題として論じられている。

     幸せを願うなら 経済と一体にして論ずるべきだろう。 

論じ方はともかく  イランや北朝鮮の問題に 経済の問題が一体で産軍複合は当然の理として認識しておくべきだろう。 

        歴史的に見ると 平和や安全を損なう主な原因は  平和の行き詰まれではなく 経済の行き詰まりであったことを思い出したら良い。


       目をそらさず 正面を見て議論した方が(しあわせ)への早道なのに…
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