見失った言葉の役割




人心の荒廃が激しい日本は 著しく言葉の機能を失っているようだ。 

  公や報道機関が事実と真逆に言葉を使うことが 特別ではなくその影響下にある巷の庶民にも拡がっている。

    社会病理が一線を越えた一つの姿だろう。

    大臣が辞職したり総辞職で済むようなレベルではなく国民の一人一人が問われており 先ずは会話を取り戻すことか。  
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「社会問題」は一線を 越えている




1960年頃 日本が高度成長期に入って間もなく 若者の間で「人間疎外」「「スポイル」の言葉が流行って使われた。

   機械文明に対する警戒だった。

   あれから60年 機械文明は当時の想像をはるかに超え 社会の病理化も想像を越えたものになっている。

     ところがあの言葉や それにあたる言葉が 今は 見当たらない。

     警戒どころか自覚すら無くなったようだ。 まさに社会は「社会問題」の概念の一線を越え 広く深く病んでしまったようだ。

     完全に自然を絶やしてはいないのだから やりなおすつもりで 何処からでも再生の芽を見つけ育てたいと思う。

      


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