もしかして

 

     総選挙の争点は 各党が準備してこれから出てテーブルに載せるだろうが、(もしかして)政府与党やマスコミ(新聞・ テレビ)は こぞって安倍政治の全体やアベノミクスの経済政策ではなく、消費税10パーセントを延期するのを争点化して(民意)を問うのではないだろうか?

     その結果なら選挙をしなくても分かるのだが、(正常)が問われる社会やマスコミにあっては (願ってはいないが)可能性として有り得る。

   

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どうして?

 

  妻は 言う。

   「人間以外に 下品な顔をした生き物はいない。」

 すぐさま、同意して

   「赤ちゃんの目は 仏様のように 全てが解かっているかのようだ。」と私。

   そこで自分の顔と人々の顔が登場して ヤレヤレ。

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評価や認識に垣根は邪魔

 

 何時の頃からか、欧米人が 日本人である私たちより(優れている)ような見方になっていた。

  戦争に負けたからなのか、経済的に貧しかったからなのか、文明や文化で取り入れ追いつき追い越そうとしていたためなのか。

   刷り込まれていたそんな思いは今も根深くあるとは思うが、この歳になると少し違ってはくる。

   今の時代だから、かつてなく外国の情報や映像に接する機会は増え、国内の遠隔地の事情を判断するのとは さほど違いはなくなってきている。

   欧米人は見た目には(今も)体格や目の色や髪の色も,かつてと変わらないが、合理的だと思っていた欧米人が 私たちとさほど区別するほどの事も無い事を知ることが多くなってきた。少々の個性の違いを、ややオーバーに考えていたようだ。

 最近は逆に、政治・経済・社会制度や価値観などでも 驚くほど合理性を欠いた行動をしているが目につく。

 特別な垣根をもうけることなく、このぐらい(お互い様ぐらい)で、見えるのが良いのかもしれない。

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不思議な現象

    何を求めるかによって 物の見え方の焦点が決まる。 人の目やレンズのカメラは焦点の周りはぼやけたり、見ている場面から外れる。

   その社会が お金で回っていれば、お金が焦点になり、棲んでいる環境やもともと求めていた幸福すら ボヤけるだろう。

   これを宇宙的に見ると、多くの生物の中で 人間が自らを霊長類に分類しているのが 不思議になる。

     

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最低の意味はある

 

    空爆から地上軍へ、異次元の金融緩和から総選挙へ。

      意味不明な両者の動きも 最低、「成功のもと」を作る意味はある。

   時代転換期の動きは こんなものかもしれない。

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終活

 

     宇宙飛行士の山崎直子さんは 「宇宙は遠い存在ではなく、私たちのふるさと。」だと言う。

   全く同感だが、その中で 地上(人の心)は 荒廃し 「 目下 自然中心のグローバリゼイション(地球規模化)で立て直し中。」が 私の希望的な心象風景である。 勿論、現実との距離は 否定できない。

   

    

   

   

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正気度

 

     自然も社会もこんなに荒廃が 目立つのに スイッチをいれると どこも 買い物とグルメとお笑いばっかし。

   借金を山積させる一方なのに 「景気がますます良くなる。」と論者も人々も言う。

   最近、「社会と出回る情報の正気さが問われている。」の声が 特別には聞こえない。 

  

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 虫の声 

 

      秋深く どこへ行ったか 虫の声 

   

     (ついでに) 地の上は 民の思いは 虫の声

    

    

   

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歴史的な取り違え

 

憲法であれ国連憲章であれ自然と人間の基本的な関係を定めた法は無いが、法の規定のある無しに関わらず、自然無しに人間は存在しない(出来ない)のは 自明な事実である。

この自明な事実が 現代社会ではどう取り扱われているだろう? 現代人の感覚や認識加えて価値観は どうなっているだろう?

  いつの間にか取り違えてはいないだろうか?

 

 

    

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辛抱のしどころ

 

    世界的に物や人が移動する時間は短縮され、情報の共有と即時性は 日進月歩で進んでいる。

    人類は 対立抗争を繰り返すも、 心理的な空間意識は確実に狭まっている。

    空間意識の共有が進めば、対立抗争が如何に非人道的で非生産的な行動であるかが 、だれの目にも明らかになるだろうと思う。

    特に子どもや若い人たちは そこに希望をもって、暫くは(期間は不明だが)辛抱のしどころ。

   この時代が お伽噺のように語られるのは そんなに そんな!に 遠くは無い。

    

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