新宿のジャズ喫茶「DIG」とバー「DUG」の創業者、中平穂積氏が昨年12月1日に逝去された。SJ誌の広告欄を頼りに「DIG」に初めて行った時、空席待ちの行列に驚いたものだ。店内は喫茶店というよりジャズ道場と言うほうが相応しい。当時30代半ばのマスターは全身ジャズに染まったオーラがあり近寄りにくかったが、レコードを真剣に聴く学生を優しい目で見ていた。
氏はジャズ写真家としても著名な方で「JAZZ GIANTS1961-2002」(東京キララ社刊)は50年にわたり撮り続けた貴重なジャズマンの姿が収録されている。音が聴こえてくるステージも魅力だが、普段見ることができないオフショットは貴重だ。モンクと肩を組む白木秀雄、パパ・ジョーに何やら冷やかされている様子のトニー・ウィリアムス、ピアノを弾くデイブ・マッケンナの指先を真剣に見ているサッチモ、ビリヤードに興じるアンソニー・ブラクストン、「Fickle Sonance」のジャケットと同じようなチェックのバケットハットを被って羽田に降り立ったジャッキー・マクリーン・・・
なかでもニューポート・ジャズ・フェスの観客席の1枚は珍しい。マイルスが振り返って後列にいるニーナ・シモンと話をしているではないか。年代は記されていないが、シモンは70年にアメリカを離れているのでおそらく60年代後半と思われる。音楽の話だろうか。CBSとRCA、ともにメジャーにいる二人、契約のことだろうか。あるいは「シシリーとうまくやっているの?」。「フェラーリの新車買ったから乗せてやるよ」とでも。ビッグネーム二人がいても周りの観客はステージを見ている。これが本場のジャズの楽しみ方なのだろう。この写真集にあるのはファインダーから覗いたジャズの感動である。
1960年代の新宿は当時ジャズ喫茶と呼ばれていたロカビリーの聖地「新宿ACB」に、ジャズレコード専門店「オザワ」、ジャズ・ライブは「PITINN」、そして「木馬」、「PONY」、「ビザール」のジャズ喫茶が賑わっていた。その中心でジャズ文化を積極的に発信したのが「DIG」だ。ジャズを愛し、ジャズマンに愛された中平穂積氏。享年88歳。合掌。
氏はジャズ写真家としても著名な方で「JAZZ GIANTS1961-2002」(東京キララ社刊)は50年にわたり撮り続けた貴重なジャズマンの姿が収録されている。音が聴こえてくるステージも魅力だが、普段見ることができないオフショットは貴重だ。モンクと肩を組む白木秀雄、パパ・ジョーに何やら冷やかされている様子のトニー・ウィリアムス、ピアノを弾くデイブ・マッケンナの指先を真剣に見ているサッチモ、ビリヤードに興じるアンソニー・ブラクストン、「Fickle Sonance」のジャケットと同じようなチェックのバケットハットを被って羽田に降り立ったジャッキー・マクリーン・・・
なかでもニューポート・ジャズ・フェスの観客席の1枚は珍しい。マイルスが振り返って後列にいるニーナ・シモンと話をしているではないか。年代は記されていないが、シモンは70年にアメリカを離れているのでおそらく60年代後半と思われる。音楽の話だろうか。CBSとRCA、ともにメジャーにいる二人、契約のことだろうか。あるいは「シシリーとうまくやっているの?」。「フェラーリの新車買ったから乗せてやるよ」とでも。ビッグネーム二人がいても周りの観客はステージを見ている。これが本場のジャズの楽しみ方なのだろう。この写真集にあるのはファインダーから覗いたジャズの感動である。
1960年代の新宿は当時ジャズ喫茶と呼ばれていたロカビリーの聖地「新宿ACB」に、ジャズレコード専門店「オザワ」、ジャズ・ライブは「PITINN」、そして「木馬」、「PONY」、「ビザール」のジャズ喫茶が賑わっていた。その中心でジャズ文化を積極的に発信したのが「DIG」だ。ジャズを愛し、ジャズマンに愛された中平穂積氏。享年88歳。合掌。
「DIG」や「DUG」に行かれた方はご感想をお寄せください。
DIG & DUG界隈のご紹介、ありがとうございます。
私は1970年前後に新宿西口から少し歩いた所に住んで居たことがあり、当時西口には京王プラザホテルが建設を始めた時期でした。
西口のオザワには大変お世話になりましたし、学生運動が盛んな時期だったので新宿騒乱罪の現場にもいました。
オザワの青のレコード袋も鮮明に覚えています。
東口を出て、坂を少し下るとDIGがあり、コンクリートの階段を上って静かにドアを開けると、正面右に再生中のレコード・ジャケットが飾ってあり、その奥にカウンター、左側には木製の堅い椅子があって、壁に中平さんが撮影したセシル・テイラーの大きい写真が飾ってありました。
スピーカーはD-130を中心としたシステムで、小声で「ヒーコ」か、人差し指を1本出すと余り美味しくない珈琲をオーダーすることが出来ました。
DIGは新譜情報を仕入れるにはもってこいのお店で、気に入ったレコードはメモをしてその後のレコード店巡りをするのが楽しみでした。
DIGの奥にはロールキャベツの美味しい「アカシア」があり、ここにも時々行きました。
DUGは、DIGが閉鎖になってから行くようになり、時々中平さんにもお会いして、エヴァンスやモンクのポスト・カードを頂いたこともありました。
ご冥福をお祈りいたします。
新宿西口から少し歩いた所に住んで居たとは最高のジャズ環境ですね。当時私は小金井の岩崎千明宅に居候していましたので、新宿に出るのは厚生年金ホールのコンサートか、オザワでした。その帰りに「DIG」や「PITINN」に寄りました。オザワの仕入れはサラ回しをしていた中野ジャズオーディオ用と私のコレクションでしたのでかなり重かったこともあります。SJ誌に広告と岩崎氏がオーディオ評を寄稿している関係で発売日より早くSJ誌が届きましたので入荷数限定のレコードもいち早く入手できました。懐かしい想い出です。
当時の「DIG」の詳しい様子をありがとうございます。私は断片的ですが、おぼろげに憶えています。「DIG」のD-130は中野ジャズオーディオでも使用していましたので、馴染みやすい音でした。珈琲は私が淹れたものより数段美味しかったです(笑)
中平さんからポスト・カードを頂いたとは貴重ですね。私は残念ながら一度も話す機会はありませんでした。
中平さんはジャズを聴きながら安らかに眠られたことでしょう。
中平さんのことで、追記です。
新宿の西口の先に住んだ後は、東小金井の自動車教習所の近くに2年ほど居て、その後は埼玉県の狭山市に引っ越しました。
そこで、外科医のA氏と知り合いましたが、彼はインターンで独に住んでいたことから、ヨアヒム・ベーレントと親交があり、帰国後はその繋がりで中平さんとの往来もありました。
A氏が狭山市でジャズ同好会を立ち上げたことから私も仲間に入れていただき、中平さんや副島さんのジャズ・フィルムの鑑賞会や、ポール・ブレイを招聘してのコンサートなどの活動をしていました。
今となっては懐かしい想い出です。
ヨアヒム・ベーレントと親交がある方とジャズ同好会でご一緒とは素晴らしいご体験ですね。盛り上がったことでしょう。
副島輝人さんは、新宿厚生年金会館の帰りに寄った酋長の店「バードランド」でお見かけしたことがあります。お連れの方とご一緒でしたので残念ながらお話はできませんでした。富樫事件の時、週刊誌の記者が副島さんに話を聞きに行ったそうですが、その時の取材の様子をお伺いしたかったですね。中居騒動のように週刊誌の記者は嗅覚が鋭いのでしょう。
当時は、もうジャズ喫茶百花繚乱の時代で、毎日、都内のジャズ喫茶通いの暮らしでした。もちろん、DIGにもしょっちゅう出入りしてました。
殿山泰司さんと隣り合わせに座ったことがあります。モンクやドルフィーが好きだとおっしゃり、自分が有名俳優だなんて態度は皆無でした。そうそう、植草甚一さんもお見かけしました。懐かしい想い出です。
アメリカ大使館でビザ取得の列に並んでいると、僕の前に植草さんがいたので、思わずDIGの話をしました。人のいい好々爺でした。
今から思えば、DIGは当時の僕にとって偉大な空間でしたね。今住むスコットランドの田舎では、ジャズ喫茶など夢の夢です。訪日の機会があれば寄ってみたいです。
殿山泰司さんと植草甚一さんはDIGに通われていたそうですが、私はお見かけしたことはありません。私がお会いした著名人は高島忠夫さんです。エロール・ガーナーのコンサートでした。「彼は楽しんで弾いているね」と仰っていました。新宿では岡田眞澄さんや田中邦衛さんを見かけました。田舎者でしたので、普通に芸能人が歩いているのを驚いたものです。
ジャズ喫茶は減少傾向にありますが、まだまだ元気なお店もあります。ここ札幌もリスナーが少ないなかジャズの啓蒙と発展のため頑張っているジャズ喫茶が数店あります。日本文化ですので絶やさないでほしいものです。
先日は、札幌でお世話になり、ありがとうございました。札幌へ行く楽しみは、いろいろですが、dukeさん、Groovyのマスターとお話をすることは、格別です。
次回は、一応、6月下旬を考えていますが、どうなるか。また、連絡いたしますので、よろしくお願いします。先日のデイバイデイの記事をようやくアップしたので、暇なときに拙ブログをご覧ください。
さて、dig、dugですが、僕は学生時代を東京で過ごさなかったこともあり、その当時は、雑誌などで見かけるdigやメグ、いーぐるなどには憧れたものです。それでも、二階にあったdigだと思いますが、一回だけ入ったことがあります。もう聖地ですから、震えました。紀伊國屋の裏にあった、ピットインにも、東京で電車に乗り換える際に、朝か昼の部を聴いたことがあります。
現在の場所のdugには、2~3回入ったことがありますが、ジャズ喫茶全盛期の面影は薄れていました。それでも、結構、ジャジーな気分になれるのは、お店に伝統があるからでしょうか。
ジャズ喫茶といっても、一般の喫茶店化しているところが増えていて、東京でも行ってみて、がっかりしたことが、一度や二度ではありません。しっかりと、ジャズを聴けるお店は大事にしたいものです。
Digに一回だけでも行ったのは貴重な体験です。何せ有名店ですので私もドアを開ける時は緊張しました。居酒屋もバーも初めての店に入るのは勇気がいるものですが、当時のジャズ喫茶は度胸がなければ入れないとも言われていました。ジャズ喫茶体験記を見ますとドアの前を行ったり来たり、入るのをためらって帰ったことがあるという方もいました。それぞれいい想い出でしょう。
ピットインに初めて入った時は入れ替えのため行列でしたので、それに並んですんなり常連のような顔をして入りました(笑)
先日のお話にもありましたが、Bossaはもはやジャズ喫茶でなくジャズを聴くより会話をする店に変わりました。Bossaも開店した当時は東京のジャズ喫茶同様、会話厳禁でしたが今それを言うとお客さんはゼロでしょうね。それでもここ札幌ではGroovyのように頑張っているお店もあるのが嬉しいです。
6月にまたお会いできるのを楽しみにしています。