マイルスにエリントン、ベイシー、シナトラ、レイ・チャールズ、ダイナ・ワシントン、レスリー・ゴーア、ドナ・サマー、スティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソン・・・11月3日に亡くなったクインシー・ジョーンズと仕事をしたビッグネームだ。1950年以降のミュージシャンのほとんどがクインシーの編成したバンドに参加したり、編曲を依頼したり、プロデュースされている。
アレンジャーに注目するのは音楽学校で編曲を学んでいる方か、吹奏楽を練習している人で、ほとんどのジャズリスナーはソロイストを目当てにアルバムを選ぶ。そのせいかトランペッターとしての実績がないだけにジャズファンの間で話題になることは少ないが、誰でもが知っている「Helen Merrill with Clifford Brown」の編曲はクインシーなのだ。メリルのため息がより艶っぽくなるスコアだ。特にイントロの数秒でそれとわかる「You’d be so nice to come home to」は素晴らしい。名イントロは数あれどこれほどインパクトが強いものはない。クインシー、何とこの時21歳。
ジャズよりのレコードでは「This Is How I Feel About Jazz」に「The Birth of a Band!」、アート・ペッパーをフューチャーした「Go West, Man!」という傑作もあるが、生涯の作品で選ぶなら89年の「Back On the Block」だ。メンバーの豪華さに圧倒される。大御所ガレスピーにエラ、サラ。この時絶好調のハンコックにジョージ・ベンソン。ジェームズ・ムーディにボビー・マクファーリンという懐かしい名前もクレジットされている。クインシーの音楽人生の集大成ともいうべきスケールの大きなアルバムで、楽曲は勿論のこと練り上げられたアレンジと熱い演奏に聴き惚れる。
ジャズからソウル、ヒップホップ、ボサノヴァ、ポップスまで音楽のジャンルを超えて幅広く才能を発揮し、活躍した音楽家はこの先出てこないかも知れない。マイルスの奥方フランシス・テイラーも惚れたというクインシーをマイルスが自伝で評している。「どの家の庭に入っても犬にかまれない新聞配達の少年がいる。クインシーがそれだ」享年91歳。合掌。
アレンジャーに注目するのは音楽学校で編曲を学んでいる方か、吹奏楽を練習している人で、ほとんどのジャズリスナーはソロイストを目当てにアルバムを選ぶ。そのせいかトランペッターとしての実績がないだけにジャズファンの間で話題になることは少ないが、誰でもが知っている「Helen Merrill with Clifford Brown」の編曲はクインシーなのだ。メリルのため息がより艶っぽくなるスコアだ。特にイントロの数秒でそれとわかる「You’d be so nice to come home to」は素晴らしい。名イントロは数あれどこれほどインパクトが強いものはない。クインシー、何とこの時21歳。
ジャズよりのレコードでは「This Is How I Feel About Jazz」に「The Birth of a Band!」、アート・ペッパーをフューチャーした「Go West, Man!」という傑作もあるが、生涯の作品で選ぶなら89年の「Back On the Block」だ。メンバーの豪華さに圧倒される。大御所ガレスピーにエラ、サラ。この時絶好調のハンコックにジョージ・ベンソン。ジェームズ・ムーディにボビー・マクファーリンという懐かしい名前もクレジットされている。クインシーの音楽人生の集大成ともいうべきスケールの大きなアルバムで、楽曲は勿論のこと練り上げられたアレンジと熱い演奏に聴き惚れる。
ジャズからソウル、ヒップホップ、ボサノヴァ、ポップスまで音楽のジャンルを超えて幅広く才能を発揮し、活躍した音楽家はこの先出てこないかも知れない。マイルスの奥方フランシス・テイラーも惚れたというクインシーをマイルスが自伝で評している。「どの家の庭に入っても犬にかまれない新聞配達の少年がいる。クインシーがそれだ」享年91歳。合掌。
70年前後のジャズ喫茶はコンボ中心でしたので、中編成やビッグバンドがかからなかったこともありクインシーは話題になりませんが、ソニー・スティットの生涯最高傑作と呼ばれる「Pen Of Quincy」や、キャノンボール・アダレイの「Julian」もクインシーのアレンジです。また、無名に近いキャノンボールが「EmArcy」と契約できたのは、クインシーの推薦があったからです。多方面で活躍した音楽家のご冥福をお祈りします。
クインシー・ジョーンズは、プロデューサーとしても活動していたこともあり、すごく長い期間音楽業界に携わったというイメージがあります。
学生時代のジャズ聴き始めの頃、クインシー・ジョーンズの編曲したレコードはよく聴いていました。ヘレン・メリルのものはもちろん、「This Is How I Feel About Jazz」にも痺れました。ビッグバンドではあるものの、コンボ風の扱いもあったりして、最高です。ここで、初めてフィル・ウッズの演奏を聴いて、あまりの上手さに、たまげたのを昨日のように覚えています。
いくつかクインシー・ジョーンズのアルバムはあるので、回想して聴いてみたいと思います。訃報の記事をありがとうございます。
ジャズ喫茶でクインシーのアレンジのレコードは度々聴くものの、リーダー作は聴く機会がありませんでした。当時はどの店もコンボ中心の選曲でした。挙げられた「This Is How I Feel About Jazz」は、SJゴールドディスクで国内盤が出てからです。「私の考えるジャズ」という邦題はしっくりきませんでしたが、内容は申し分ありません。美しくアレンジされた譜面ですので、さぞかしソロイストも力が入ったものと思われます。
映画「RAY」でレイ・チャールズとクインシーが出会うシーンがあります、ともにメジャーになろうと誓い合いますが、そうなりましたね。素晴らしいことです。
クインシーさんも、ライオネル・ハンプトン楽団をくびになった時、真剣に考えたんじゃないですか?「トランペットがダメなら、どうやって生きて行こうか?」で、アレンジャーの道へ。
佐伯氏もクインシーさんも、自己の「才能を発見」したのではなく、懸命に「才能を開発」したのではと僕は思ってますが…
ジャズ喫茶全盛時代でも、dukeさんがおっしゃるように、アレンジャー名義のアルバムをリクエストする人は少なかったですね。でも、ツボを得て快適にスウィングするアレンジは、誰でもハッピーにしてくれます。僕が持ってる彼のアルバムを数えてみると、何と9枚もありました。「AROUND THE WORLD」に収録されている「HOT SAKE」を聴くと、どうも、バリトンサックスやらトランペットが酔っ払っているように聞こえるんだけど…
経済的にも彼ほど成功したアレンジャーは空前絶後じゃないですか?成功した理由の一つが、やはり「人の良さ」なのは間違いないでしょう。ご冥福を…
誤→あっという間に一千部突破…
正→あっという間に一千万部突破…
佐伯泰英は発想が豊かな作家ですので官能小説でも売れたかも知れません。私の好きな麻雀漫画「哭きの竜」で有名になった能條純一はエロマンガを描いていましたが、人気はなかったようです。中途半端にヒットするなら全く売れない方が転向しやすいようです。
クインシーは仰るように「才能を開発」したのかも知れませんね。ヘレン・メリルは当時のクインシーは貧しかったと言っていますので、切羽詰まってのアレンジ業だったのでしょう。当時の若手トランペッターといえばクリフォード・ブラウンにアート・ファーマー、マイルスと粒揃いでしたのでトランペットでは生き残れないと思ったのは間違いありません。テナー奏者は山ほどいるのでフルート専門にしたハービー・マンに、ピアノでは食えないからオルガンを弾いたジミー・スミス。切り替えは早いほうが成功するのでしょう。
「AROUND THE WORLD」のジャケットはともかくメンバーの豪華さに驚きます。「HOT SAKE」はオリエンタル調の曲でしたね。こちらはそろそろ熱燗の季節です。バリトンサックスやトランペットは、ホレス・シルヴァーの「Too Much Sake」状態のようです。
頼まれれば嫌と言えない「人の良さ」は顔に表れていますね。