
凡そ40年前、小生がジャズを聴きだした頃は、今のようにCD店やネットで気軽に試聴できる時代ではなく、LPはシングル盤と違いレコード店でも簡単には聴けなかった。ジャズを聞き齧ると一枚でも多くのレコードを聴きたくなる。そんな渇望を満たしてくれるのはジャズ喫茶だった。そこで初めて聴くアルバム、初めて知ったプレイヤー、初めて目にするジャケット、全てが新鮮であり、ここからジャズにのめり込む人が多い。そのジャズ喫茶が70年前後をピークとして年々減少している。
1月31日を以て日本最古のジャズ喫茶である横浜の「ちぐさ」が閉店した。開店が昭和8年というから実に74年の歴史を持つ。写真は85年に神奈川新聞社から発刊された店主吉田衛さんの「横浜ジャズ物語」という著書で、日本のジャズの歴史をみるようだ。渡辺貞夫、秋吉敏子、日野皓正、今では世界に通ずる各氏も若い頃は「ちぐさ」でレコードを繰り返し聴き、採譜した様子も伝えられている。そこは情報を交換し、勉強をする場所であった。プレイヤーのみならず、多くのリスナーもここで耳を鍛え学んだであろう。ジャズに限らず音楽や芸術、文化を理解するためには知識は不可欠であり、知ることにより世界観も広がり、時には人生観までも変えることになる。
紫煙が漂う大音量のジャズ喫茶という空間はジャズ文化を啓蒙し、普及させた場所のひとつであり、この場がなければこれほどにジャズが浸透しなかったであろうし、プレイヤーも育たなかったかもしれない。数十年前に録音された名盤、名演を聴くことにより歴史を知り、ジャズ観も広がる。過去の大きなジャズ遺産を耳にする場や機会が減ることはジャズの衰退に繋がり、「ちぐさ」の閉店はひとつのジャズ文化の終焉を意味するのではなかろうか。現存するジャズ喫茶の繁栄と、そこに足を運ぶリスナーが増えることを期待して已まない。ジャズを知った一人でも多くの方に木ではなく森を見て頂きたいものだ。ジャズの森は深く、またその景色は美しい。
伝え聞くところによると「ちぐさ」最後の曲は、店主がこよなく愛したビル・エヴァンスの「マイ・フーリッシュ・ハート」だったという。三十数年前、吉田衛さんとお話する機会があった。100枚のSP盤で店を始めたものの、SP盤は片面3分で終わってしまうし、針も3曲で取替えなければレコードを傷めてしまうのでとにかく忙しい。それでターンテーブルを2台にして二機連続演奏にしたのだと当時を懐かしんでおられた。昭和8年、これから日本のジャズの歴史を刻み、ジャズ文化を発信する場の最初に流れた曲は何であったろうかと思いを馳せたくなる。
1月31日を以て日本最古のジャズ喫茶である横浜の「ちぐさ」が閉店した。開店が昭和8年というから実に74年の歴史を持つ。写真は85年に神奈川新聞社から発刊された店主吉田衛さんの「横浜ジャズ物語」という著書で、日本のジャズの歴史をみるようだ。渡辺貞夫、秋吉敏子、日野皓正、今では世界に通ずる各氏も若い頃は「ちぐさ」でレコードを繰り返し聴き、採譜した様子も伝えられている。そこは情報を交換し、勉強をする場所であった。プレイヤーのみならず、多くのリスナーもここで耳を鍛え学んだであろう。ジャズに限らず音楽や芸術、文化を理解するためには知識は不可欠であり、知ることにより世界観も広がり、時には人生観までも変えることになる。
紫煙が漂う大音量のジャズ喫茶という空間はジャズ文化を啓蒙し、普及させた場所のひとつであり、この場がなければこれほどにジャズが浸透しなかったであろうし、プレイヤーも育たなかったかもしれない。数十年前に録音された名盤、名演を聴くことにより歴史を知り、ジャズ観も広がる。過去の大きなジャズ遺産を耳にする場や機会が減ることはジャズの衰退に繋がり、「ちぐさ」の閉店はひとつのジャズ文化の終焉を意味するのではなかろうか。現存するジャズ喫茶の繁栄と、そこに足を運ぶリスナーが増えることを期待して已まない。ジャズを知った一人でも多くの方に木ではなく森を見て頂きたいものだ。ジャズの森は深く、またその景色は美しい。
伝え聞くところによると「ちぐさ」最後の曲は、店主がこよなく愛したビル・エヴァンスの「マイ・フーリッシュ・ハート」だったという。三十数年前、吉田衛さんとお話する機会があった。100枚のSP盤で店を始めたものの、SP盤は片面3分で終わってしまうし、針も3曲で取替えなければレコードを傷めてしまうのでとにかく忙しい。それでターンテーブルを2台にして二機連続演奏にしたのだと当時を懐かしんでおられた。昭和8年、これから日本のジャズの歴史を刻み、ジャズ文化を発信する場の最初に流れた曲は何であったろうかと思いを馳せたくなる。
よくぞこのブログを見付けてくれました。そして私のことを覚えていてくださってありがとうございます。当時は多くの常連さんと親交があり、頻繁に近所の居酒屋で盛り上がっておりましたので、お名前と顔が浮かんできませんが、もしお会いしたなら思い出すかも知れません。
7年ほど前に中野を訪れました。あのビルが残っておりましたので思わず涙。階段を降りるとビルのオーナーの奥様にお会いしてまた涙です。3階にある事務所に遅れた家賃を持って行った私を思い出してくれました。
あれから四十数年、長髪もいつしか白髪になりましたが、ジャズへの情熱は変わりません。今は札幌に住み「DAY BY DAY」というジャズスポットを根城にしております。こちらに来られる機会があれば是非寄ってください。
ブログは毎週日曜日にアップしておりますので、時折ご覧いただければ幸いです。
高二からジャズオーディオの常連になり、閉店間際まで通っておりました。当然DUKEさんや岩崎さんとも
近しくして頂きました。岩崎さんの黄色いオープンのジムニーに乗って振り落とされそうになったこと、64に
分けたの長髪のDUKEさんがチェンバースのアルコのソロのリズムをとりながら、コーヒーをドリップする姿、
ああ懐かしや!二人で近所の名曲喫茶クラシックに行ったこと、Uビルの1階にできた焼き鳥屋に行ったこと、
カネのない高二の私にしゃがれ声で平面バッフルのFE103を薦めてくれた岩崎さん、ドルフィーの特集のあとの
夜明けの朝靄、若き日は返らず、故障がちのガラードで皿回しをしていたDUKEさん、懐かしさで泪ものです!
>ご祝儀の件は最低限を設定します
東京と北海道では物価も相場も違うからなぁ・・・(笑)
探してみます。
ご祝儀の件は最低限を設定します。(強制的)(笑)
稲葉さんと岩崎さんのデュオいいな・・。
稲葉さんは老いてますます盛んですね。
数々のジャズ喫茶の思い出がありました。当時、レコード両面かけたのはコルトレーンの「至上の愛」くらいで、ほとんどは片面だけでした。20分ほどの片面が緊張と集中力があったように思います。ジャズ喫茶衰退の原因は様々ですが、レコードからCDに変わったことも一因かもしれません。まだまだ頑張っているジャズ喫茶も多数あります。機会があれば足を運びたいですね。
ジャズ喫茶もいいけれどライブもいい、というわけで私はこれから岩崎佳子さんと稲葉國光さんのデュオを聴きに行きます。食事付きで、私のような大酒飲みには嬉しい飲み放題です。明日は二日酔い必至、明日アップのネタもあることだし・・・何とかなるか?(笑)
お尋ねの「ウエディング」は「アフリカ組曲」に組み込まれております。私は「デザート・フラワーズ」が好きですね。こちらも綺麗な曲がデザートされていて花園のようであります。
>結婚式で弾いたら受けることましがいなし。
ご予定があるのでしょうか?娘さんだったりして・・・還暦祝いの次は結婚祝いだそうです。皆さんご祝儀の用意を。(笑)
何故モブレイがB級とかイモテナーと呼ばれたのか?そりゃあマイルス・バンドでは前任がコルトレーン、後任がジョージ・コールマンですから、その比較で言われちゃモブレイも堪らないってもんでして・・・ノリの作品、つまるところジャズ喫茶受けのアルバムが多い。あの空間ではA級でした。
入っているLPのタイトルまたはCD入手可能か、教えていただけませんか。
譜面がないのでLPかCDからコピーをしたいのです。
いい曲ですぞ!
結婚式で弾いたら受けることましがいなし。
以前、ピアノの青木弘武君がよく弾いていまして、彼のCDには収録されているのですが、オリジナルが聴きたいのです。
宜しく、この場をお借りしてお願いします。
確かに皆様の仰るように、ジャズ喫茶でうけるアルバムってあるようですね。
モブレイのようなB級(私はそう思っていませんが)と言われるジャズメンの人気が高かったように思います。
これって面白い現象ですね。
彼らには超絶技巧はないのですが、持っている歌心が大音量のなかで聴衆の心をつかんだのではと思っています。
ガーランドはリクエストが多く、ジャズ喫茶向きピアニストの一人でしょうか。
チェンバース参加の「Garland of Red」も人気盤でしたが、家で聴くと・・さほどインパクトなし。ベースマニアの bassclef さんに喧嘩売るようですが、(笑)チェンバースは家で聴いても面白くないですね。特にロリンズではありませんが、ギターが入った「オン・トップ」はジャズ喫茶限定盤と思えます・・・
レッド・ガーランドの「Garland of Red」も、私的には、凄いジャズ喫茶名盤です。
アフリカン・ピアノは黒っぽいので、ジャズ喫茶で映えるのでしょうね。ブランドは家で聴くとダラダラーします。
私はフリー系はジャズ喫茶で聴くべきと思います。なぜかよく聴こえます。まぁ、家だと直ぐに針を上げますね。(笑)
って、皆さん、なんかありませんか?
私は、「アフリカン・ピアノ/ ダラー・ブランド」。
家で聴いたら、つまらんかった(笑)。
社会人になるとジャズ喫茶やジャズから遠のくものです。落ち着くとまた聴くという傾向にあるようです。学生の頃はジャズと対峙しながら自己の内面を探りがちですが、社会人ともなれば時に己を殺さなければなりません。非日常の生活から日常の感覚に変わることでジャズに対する捉え方も変化するものと思われます。
>どいう心境の変化なのでしょうか?
還暦のなせる業でしょうか?「ルッキン アヘッド」は、ドルフィーにせよシーソー・テーラーにせよ今聴いても古さはありませんね。ある意味これらのアルバムは数十年先のジャズを展望し先知したともいえます。
>アビー・リンカーンの叫び声
「ウィ・インシスト」の叫び声をいつもより大音量でかけたら警察官が来たことがありました。女性の悲鳴が聞こえたと通報があったとか・・・おまわりさんにその悲鳴を聴かせたら拳銃に手がいきましたよ。条件反射でしょうか?(笑)
1970年に社会人になりました。以来、すこしづつジャズ喫茶から遠ざかりました・・ジャズ喫茶も本来の姿を変え始めました。
僕は、生音のライブハウスに行くようになりました。
ハードな前衛からも距離をおくようになりました。
人間如何に生きるべきか・・・というテーマから日和見的にシフトをした時期ですね。
最近、また前衛を素直に受け入れるようになりました。どいう心境の変化なのでしょうか?
「ルッキン アヘッド」なんかを引っ張り出したりして・・・。(笑)
因みに僕はかつてジャズ喫茶ではアマノジャクなリクエストはしませんでした、シャイですから・・・リクエストなんてとても!
でも勇気をだして言うときは、家では聴けないような、でも聴きたいという、例えばアビー・リンカーンの叫び声とか・・・「パーカッション・ビタースイート」なんかを大音量で。
ある時、これをリクエストし、暫くして振り返って見たら、お客がみんな帰ってしまっていた、特に女性客は直ぐに帰ってしまった。
僕一人になった・・・内心「ザマー見ろ」とほくそ笑んだ。(笑)
吉田さんの戦前からのコレクションは私も雑誌等で目にしております。貴重なものばかりです。文化遺産として遺してほしいですね。
>十数年前くらいからジャズ喫茶でおしゃべりができるようになった
こうなるとジャズ喫茶ではなく、ジャズを流している喫茶店にすぎません。ご存知のように中野のジャズ・オーディオにはカウンターもありましたので、常連さんと会話をすることもありましたが、基本的にはしゃべらないのがルールでしたね。耳を鍛える場所ですから会話無用の世界です。あの大音量の中でしゃべりまくるカップルがいて、注意しましたらコーヒー代払わずに帰りました。私はアイスピック持って追いかけましたよ。(笑)
私が中野のジャズ・オーディオにいたのは71年6月からです。4438miles さんとは入れ違いのようですね。店にないレコードとかリクエストしそうだな・・・会わなくてよかった。(笑)
「ディグ」「デュエット」「イントロ」懐かしい店ばかりです。K.S氏に限らずジャズ喫茶のマスターは偏屈な方が多いようです。ジャズに対する思い入れが強くなるほど偏屈になり、傍から見ると変人、奇人にみえるようです。お客も知らず知らずに偏屈傾向になり、こういう名物マスターに何の違和感もなくなるものです。私の場合はジャズに対する思い入れが強すぎて偏屈を超えて変態よばわりされております。(笑)
NHKのニュースは録画をしました。
ヒノテルさんが最終日に来た話・・・そして実は数日前による食事をしに白金に行きましたら、偶然となりにヒノテルさんが一人で来まして、ちぐさのニュース見ましたよと言ったら、寂しいねと一言・・カウンターでお互いにお好み焼きを食べました。
吉田さんの戦前からのコレクションの話は本にもSJ誌にも、多く書かれています。一読すべしですね。
ところでジャズ喫茶ですが、十数年前くらいからジャズ喫茶でおしゃべりができるようになった・・・とか言われ、そして衰退の道を・・。
修行なんて、ウザイの一言で片付けられるのでしょうか?
高校生のころ、学校帰りに禁止されている喫茶店に学生服で行き、ジャズを聴いていました。
学校の位置の関係で有楽町の「ママ」にはよく行きました、隣の席に猪俣猛さんが座ったりしました。
でも考えてみると、ほとんどのジャズ喫茶にはいっていますね・・・中野のジャズ・オーディオには1968年から1969年そう大学生の頃に行ってます。
当時DUKEさんいましたか?
中央線沿線は弱点なのですが、吉祥寺の大学のバンドと交流があり、中野にも何回か立ち寄りました。
行きなれないジャズ喫茶にはいる心境は、他流試合に道場へゆくような気持ちでしたね。
きりが無い話ですね・・・だから我々はこうしてお互いにBLOGなどを書いているのですね。
書きましょう・・・いろいろなことを。
たかがジャズ・されどジャズ・・・です。
新宿「ディグ」
渋谷東急本店前の「デュエット」
高田馬場「イントロ」
「ディグ」は20年以上前に、「デュエット」は10年前に
閉店になっています。
残念なことです。
「デュエット」のマスター、K.S氏、
ちょっと偏屈で取っ付きにくかったけど、ジャズに
対する思い入れは凄いmのがあったなぁ・・・。
以前は「ジャズ批評」に評論をたまに書いておられたが、
最近は見かけません。
どうしておられるのか?・・・・
仰るようにジャズ喫茶というのは、不思議な空間でして、自宅に最良のオーディオを備え、数千枚のレコードを置いても、あの空気だけは作ることができません。店が醸し出すジャズの魔物を、お客全体が共有するからでしょうね。
「ジャズ・オーディオ」の噂はご存知でしたか。当時、東京都内で一番でかい音といわれておりました。ただでかいだけではなく、私はメリハリのある音量で鳴らしましたね。ピアノトリオはおさえて、ビッグバンドはでかく、一枚のアルバムでも曲によって調整しておりました。エルヴィンのバスドラなんか壁が壊れるかと思いましたよ。隣の小料理屋から何回苦情がきたことか。少し下げても他の店よりはでかかった。(笑)
てっきり大音量でパーカー聴きながら、不味いコーヒーすすり、ジャズメンの絵を描いていたかと思っておりました。昨日営業していた店が、翌日廃業もあります。まだ老舗の本格的なジャズ喫茶も残っておりますので是非足を運んでください。自宅ではなかなか大音量で聴けないものです。大きな音で聴くと、馴染みのアルバムもまた違って聴こえたりするものです。
ジャズ喫茶の片隅でスケッチブックを開き、イメージの赴くまま筆を走らせる。津田耕の作品のように音が聴こえる絵を・・・ジャズ喫茶の女性は美しく見え、絵になりますよ。暗いから・・・暴言多謝。
荻窪にお住まいとは奇遇です。確かKAMI さん、25-25 さんも荻窪のはず。私も数ヶ月でしたが荻窪におりました。素行が悪いので追い出されましてね、その後は小金井の岩崎千明さん宅に居候しておりました。当然中央線のジャズ喫茶が多く、どこかで隣り合わせだったりして・・・
現ジャズシーンに瞠目するものがないのがジャズ喫茶衰退の一因とも考えられますが、それが仰る「有り難味が軽くなった」ことにもつながります。確かに浸透し、居酒屋でもBGMにジャズが流れる時代です。それはただ「おしゃれ」だからという理由に過ぎず、本格的にジャズをかけ、積極的に聴くジャズ喫茶とは大きな隔たりがあります。どんな形であれジャズが流れるの喜ばしいことで、そこからファンが増えることを願うばかりです。
「おしゃれ」とか「ファッション」だけで聴いてほしくないですね。ある男性雑誌にちょいもてオヤジの条件のひとつに、「好きなジャズアルバムを3枚挙げれること」とありました。私なんざぁ、30枚挙げてももてませんがねぇ。(笑)
ファンキー以下、馴染みの店は私も通いました。今はなき A&F のオーナー大西さんは当地の出身で、当時は懇意にさせて頂いたのですが、今はどうされているのでしょうね。閉店、廃業が続いておりますが、仰るように意地と執念でやってほしいですね。そこからまた新しいジャズファンが増えることと思います。確かな耳を持ったファンが増えることは、低迷している現ジャズシーンを活性させることにもなります。
ジャズ喫茶というのは、不思議な空間ですよね。同じ音源(レコード)でも、家で独りで聴くより、妙に「よく」聞こえるレコードもあったりして(その逆もあるかも)生の演奏でもないのに、その時のお客全体の「ノリ」が、高揚したり、しなかったり・・・。ああいうのは・・・きっとマスター(あるいはレコード係り)の、その場の「空気」を読んでの「選曲」なども大いに影響するんでしょうね。
ジャズ喫茶~得がたい空間だと思います。
聞いた話しですと・・・dukeさん基地だった「ジャズ・オーディオ」は、とにかくでかい音だったらしいですね。JBLのD130だと・・・(よく知りませんが)エルヴィンのバスドラなんかが「ッド!ッド!」と空気を震わせたんでしょうかね・・・。う~ん・・・聴いてみたかった。
ジャズ喫茶全盛の頃は、まだガキンチョで、ジャズのジャの字も知らずにいました。
それで、ジャズを聴き始めて、ジャズ喫茶に行こう!と思ったら、昔あったはずのジャズ喫茶が、な、な、な、ない。
というわけで、本格的なジャズ喫茶は未経験なのです。
でも、最近できたというところもあるようですから、行ってみよ。
当時、中央線の荻窪に住まっていた私めは吉祥寺、高円寺、中野あたりが時間つぶしの場所で決ってジャズの流れている店にたむろしていて、間違いなくdukuさんの酸味の利いたコーヒーを飲まされていたと思います(^^)。なんせ日に4回も5回もあちこちのジャズ喫茶に入り浸ってうだうだしていましたから。ただ残念なことに特別ジャズを聴く目的で「ジャズ喫茶」に入った記憶がなく思い出などないのが正直なところです。そのせいかプレイヤーやアルバムの知識は真に乏しいものがあり、今頃になってへぇ~と感心することが多く、それが楽しいです。
そして、今も往きつけの店はレストランであれ、定食屋さんであれラーメン屋さんであれ全てBGMにジャズが流れているところ限定です。
私見ではありますがジャズクラシックは十分音楽として世界に浸透したとも感じますしあの過激であったバップや一部のフリージャズですら異様でなく普通に聴こえる時代になっていると思うのと、高級オーディオの普及で皆がマランツやdenon,JBLなど持つようになったこともあり、「ジャズ喫茶」の有り難味が軽くなったように思うのです。
願わくば、おいしいコーヒーを戴けてセンス良いジャズの流れる快適な空間がほどよく残ってくれないものかと。美味しいケーキとキレイなウエイトレスが揃えばいうことないです。立ち飲みのコーヒーなどいくら旨いと言ってもお金を出したくない。
KAMIさんのパウエルが近くだったら毎日お昼を食べにいくとこですぅ。
私も若い頃、ジャズ喫茶通いをしていました。
ファンキー、メグ、A&F、DIG、木馬、響・・・。
ジャズ喫茶は、日本独自の文化です。
そして私にとっては、ジャズと対峙する場であり、現実からの逃避の場でもあったのです。
でも、そのジャズ喫茶も廃業が目立つようになりました。
現在残っている店は、店主が意地と執念でやっているか、他に副業がある店ではないかと思います。
それに対し、酒の肴にジャズを垂れ流しにする軟弱な店が増えているのは、嘆かわしい事です。
ジャズ喫茶頑張れ!!!
私はジャズ喫茶で随分勉強しました。当時でも10万種はあるといわれたジャズ・アルバムです。一生かかっても全部は聴くことができませんが、一枚でも多くのアルバムを知りたいですね。こうなると豊富な音源を持っているジャズ喫茶が一番です。
さすがに「ちぐさ」は有名な店らしく、閉店の様子はNHKのニュース番組でも伝えられました。現存するジャズ喫茶がいつ閉店してもおかしくない時代です。機会があれば足を運びたいですね。
dukeさんはジャズ喫茶で鍛え上げたのですね。
私は東京在住時代は池袋のジャンゴというジャズ喫茶にたまに行ってましたが、かなり昔に店を閉められていますね。
ちぐさも閉店されたのですね。
行こうと思えば行けた場所なのに、一度も行かなかったことが悔やまれます。
日本ジャズの聖地に巡拝しそこねました。反省。残念です。
「ちぐさ」に行かれましたか。狭い店でしたが、ジャズの空気がいっぱい詰まっておりました。この場所で秋吉敏子さんが、パウエル聴きながら必死に採譜していたんだなぁ思うと感慨もひとしおでしたね。
私もスイングジャーナル誌片手に都内のジャズ喫茶はほとんど回りました。リストを見て聴いたことがないレコードをリクエストし、ジャケットの隅から隅まで見て、ターンテーブルを覗き込みラベルデザインをチェックする嫌な客でした。当時コーヒー1杯で粘れるのは2時間でしたが、あっという間に過ぎたことを思い出します。そのジャズ喫茶も今ではほとんど姿を消したのは寂しいですね。
ジャズ喫茶が減っている現状ですので、naru さんのレコードコンサートはジャズ文化発信として有意義なものです。遠くから応援しておりますので続けてください。
故オーディオ評論家岩崎千明氏がオーナーの中野「ジャズ・オーディオ」を閉めたのは73年初頭でした。当時、店を任されていた私が最後にかけたレコードは、お城のジャケットと呼ばれているビル・エヴァンスの「モントルー・ジャズ・フェス」でした。最後は拍手の入ったライブ盤をと思ったのは、よく鳴ってくれた JBL D130 への拍手が欲しかったからです。この店はエヴァンスのジャケットほど立派な城ではありませんでしたが、私にとっては大きな城でした。この城と多くのジャズ喫茶で聴いた数千枚のアルバムは記憶のどこかにあります。そんな記憶を紐解きながら展開するアドリブ帖ですが、今後とも宜しくお願い致します。
「ちぐさ」またジャズ喫茶の思い出等、今週もたくさんのコメントお待ちしております。
中野「ジャズ・オーディオ」に行ったことがあるという方は是非コメントをお寄せください。お前が入れたキリマンジャロは不味かった・・・とでも。(笑)