コタツ評論

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吉田茂とその時代

2008-03-02 00:16:00 | ブックオフ本
占領と改革』を読んだせいか、Book ofで『吉田茂とその時代』を買ってしまった。上下巻合わせて684頁なのに各100円ではJ・ダワーさんに申し訳ない気がする。

『吉田茂とその時代 上 1878-1945』
『吉田茂とその時代 下 1945-1954』
(ジョン・ダワー 大窪 愿二訳 TBSブリタニカ 1981年刊)

原題は、Empire and AftermathーYOSHIDA SHIGERU AND JAPANESE EXPERIENCE,1878-1954

上巻には読んだ形跡があるが、下巻はまったく読まれた形跡がない。真新しく白い頁や版元の「出版案内」や栞ひもの位置から、それは容易にわかる。この2冊をBook ofに売った人は、たぶん上巻を読んで期待を裏切られたのだろう。その落胆した気持ちはよくわかる。

「出版案内」と一緒に挟み込まれていたTBSブリタニカの付録には、著者のジョン・ダワー・訳者の大窪 愿二・占領期研究の袖井林二郎の座談会が収録され、その後、01年に『昭和天皇』を出して話題になったハーバート・ビックスが司会をつとめている。座談会の口火は、「近年の吉田ブーム」である。

この本が刊行された80年代といえば、バブル景気の真っ盛り。日米自動車摩擦が起こり、日本企業がロックフェラーセンターを買収するなど、日本経済がアメリカ経済を脅かすほど膨張した頃だ。その基盤となったのが、吉田内閣の「軽武装・経済重視」という戦後の舵取りだったとされ、吉田茂再評価の機運が高まり「近年の吉田ブーム」が起きていたのだろう。

Book ofに売った人は、日本のサクセスストーリーにとって、いわば「創業者」である吉田茂をもっと知りたいと期待して、この評伝を買ったのかもしれない。吉田茂の「偉大さ」とまではいわないが、吉田茂が発揮した「賢明さ」、あるいは時代の「幸運」といったものを後づけた本ではないかと思ったのかもしれない。

実は俺も、多少はそういう期待もあって買い求めたのだ。まだ上巻の半分ほどしか読んでいないのだが、そういう本ではまったくない。吉田茂についてほとんど無知な欧米の読者に向けて書かれたというだけでなく、そもそも戦後の日本の経済成長と吉田茂を関連づけるような視点がない。無謀な開戦から敗戦に向かうまでの外交官・吉田茂の事跡なのだから、日本の読者の溜飲を下げるような記述がないのは当たり前だが、吉田茂に対して、その筆致はほとんど冷淡なほどだ。まだ上巻の半分、戦前の外交官時代の吉田茂を読んでいる限りではだが。

吉田茂は戦後、67歳で新生民主日本の首相となった。当時も今も67歳は老人である。戦犯に問われて自殺する前の近衛文麿は、吉田について、「いまだに大日本帝国の意識しかない」と危惧しているが、これが吉田を表すひとつのキーワードとして本書では扱われている。アメリカの占領下で民主化される日本の首相としてふさわしいのは自分であり、敗戦後も大日本帝国を信奉しているかのように平然としている吉田が政権を担当することが近衛にとっては、理解に苦しむことだったのだろう。

吉田茂は戦後にズレていた。それだけでなく、戦前の外交官時代ですら、すでにほとんど時代錯誤になりかけていた欧米の植民地帝国主義を頑迷に信奉していたらしいのだ。よって、欧米の外交官の間では、外交官・吉田への評価はきわめて低かった。くそみそに近い。とりわけ中国をめぐって根本的な利害が対立していた大英帝国との関係回復に躍起となっていた吉田茂の努力はことごとく、英国の外交担当者にとってはよくいって困惑の対象であり、仲間内では「支離滅裂な主張」と斥けられていたようだ。

吉田茂といえば、リベラルな英米派のイメージがあるが、自他共に認める中国専門家であり、日本単独ではなく、英米と協調して中国に軍事介入すべきと内閣や英国に繰り返し提言した「強硬派」だったようだ。当然、その貴族意識から頑迷な反共主義者であるだけでなく、アメリカに典型的な理想主義的なリベラルを嫌い侮り、軍事力を背景とした力の外交を信奉していた。反動保守といえるだろうが、皇道派のような求心性のない保守の人だったようだ。

外務省次官を務めた後は、英国大使となり、断らなければ米国大使にもなっていたのに、吉田茂は英語ができなかったらしい。吉田を高く評価し、友人として接したアメリカのジョセフ・グルー駐日大使は、英国大使に決まったとき、吉田の能力について、以下のような忌憚のない意見を述べている。

吉田には、英国で信望を集めるような人間的な特質に欠ける。英語の理解力や表現力に大きく劣る。そのせいか、何を言いたいのかよくわからないときがある。英国人の率直さを理解する弾力性に欠ける、などだ。その通りに思っていたとすれば、いったい、グルーは吉田の何を高く評価したのだろうかと首を捻ってしまう。

吉田の「英米協調」路線の対象となった英国外交官たちには、当初吉田は、「特に個性を感じさせない、弱気な印象の人物」に過ぎなかったが、やがて吉田の熱心な日本との宥和交渉につきあううちに、「最低のへま男、よくいっても相手にせず放っておくべき男」にまで、その評価は下落する。そのきっかけになったのは、吉田による日英交渉がほとんど何の進展も見られなかったのに、日本本国向けに、「無内容でもいいから、何か良き方向に進展中だ」という書き付けを吉田がねだったからだ。

にもかかわらず、欧米の外交担当者が吉田の言葉に耳を傾けたのは、傾けざるを得なかったのは、吉田が大日本帝国を対外的に代表する外交官であったからだ。終始、本当に代表しているのか、英国側から疑念をもたれていたようだが。欧米から見れば、手前勝手で的外れなために空回りばかりだった吉田の「日英宥和交渉」はいったん立ち消えになったが、日支事変が起きるや、あれほどバカにしていた吉田提案に英国はあわてて乗ろうとする。ナチスドイツと宥和して、ヨーロッパ侵略の道を開いた過ちを英国は日本に対しても行おうとしていたわけだ。

「一部の軍国主義者」によって、亡国的な戦争に突入していった日本という理解が実に皮相に思えてくる。この言説は、吉田が繰り返し欧米の外交担当者に説いていたところであり、吉田自身が終生信じ続けていたものだ。「一部の軍国主義者」と同一の中国の植民地化を目的に邁進した吉田茂の主張を、戦後の中国が採用することになるのは皮肉なことだ。

職業的な能力に劣り、人間的な魅力に乏しく、その認識は時代遅れ、当然、自らが立てた見通しは次々にはずれるが、それは政府首脳や官僚に「決断力がなく」、欧米に対しては「説明下手だから」うまくいかなかったのだ、とまったく反省しない、まことに困った人。それが吉田茂なのだ。ここまで、読んできて、そう理解するしかない。

しかし、下巻をひもとくことなくBOOK OFに売った人とは違って、俺にはおもしろい。そんな「愚かしい」とさえいえる人物の評伝を、なぜジョン・ダワーが書いたのか、吉田茂ほど思い入れることが困難な人物も珍しいのに。もしかしてこの先に何か思わぬ逆転があるのか、政治家・吉田茂はまた別なのか。「その時代」において、吉田茂は何を代表し、何の典型だったのか、先の読めない迷路を進むようで、おもしろいのだ。

「バカヤロー解散」など、狷介な吉田には暴言失言が多いが、南原繁東大総長の「非武装中立論」に対して、「曲学阿世の徒」と非難した発言も有名だ。実は、この発言の元は、「曲学阿民」だったらしい。愚民視が当然であるほどの強烈な貴族意識の持ち主が、「リベラル」なGHQが指導する「民主日本」の首相になるという巡り合わせ。頭を抱えるアメリカの図が下巻のハイライトなのかもしれない。興味津々である。