なぜ、吉田茂なのか。なぜ、ジョン・ダワーが吉田茂の評伝を書いたのか。下巻の第10章でようやくわかってきた。以下、①~③は本書で引用された吉田茂の言葉である。言葉遣いは現代風に直した。
①国家の正当防衛権による戦争は正当だということですが、私はこういう考えを認めることは有害だと思います。近年の戦争の多くが国家防衛権の名において行われたことは顕著な事実です。それゆえ、正当防衛権を認めることは、ときに戦争を誘発する理由となると思います。憲法の交戦権放棄に関する条項の期待するところは、国際平和団体の樹立です。国際平和団体の樹立によって、あらゆる侵略を目的とする戦争を防止しようとするものです。しかしながら、正当防衛による戦争がもしあるとすれば、その前提として、侵略を目的とする戦争を目的とした国があることを前提としなければなりません。したがって、正当防衛、国家の防衛権による戦争を認めることは、ときに戦争を誘発する有害な考えであるだけでなく、もし国際平和団体が樹立された場合には、正当防衛権を認めるということ、それ自体が有害であると思います。(1946年6月29日の国会議事録から。日本共産党の野坂参三の質問に答えて)
②新憲法は戦争の放棄を規定したものであり、この点において日本は世界に先んじています。「しかし、日本は敗戦国で、一兵ももたず戦争を行う力もないではないか」という論者もなかにはいるでしょう。だが、われわれは日本が名実ともに独立国になったあとでも、悲惨な戦争を繰り返したくないというのが真実です。いまや戦争に敗れ、一兵も残っていないということは、永久に戦争を放棄する絶好の機会です。(1946年9月)
③わが国の安全を保障する唯一の道は、新憲法に宣言されたように、わが国は非武装国家として、世界に先んじてみずから戦争を放棄し、軍備を撤去し、平和を愛する世界の世論を背景に、世界の文明と平和繁栄に貢献しようとする国民の決意をますます明らかにして、文明国世界のわが国に対する理解を促進することが、平和条約を促進する唯一の道と私は考えます。敗戦の過去の事実を回想すると、過去においてわが国が国際情勢に充分な知識を欠き、自国の軍備を過大に評価し、世界の平和を破壊して省みないことが、ついにわが歴史を汚し、国の隆盛を妨げ、国民に、その子を、その夫を、その親を失わせ、世界を敵として空前の不幸をもたらしたのです。軍備のないことこそ、わが国民の安全と幸福の保障であり、世界と信頼で繋がる根拠なのです。(1949年11月8日の施政方針演説から)
ちなみに、①は日本共産党・野坂参三の質問に答えたもの。その質問要旨は、「正義の戦争と不義の戦争を区別する必要がある」「日本の侵略戦争に対する自衛のための正当な戦争として中国とアメリカは戦わざるを得なかったのではないか?」というもの。吉田は、満州事変から大東亜戦争まですべて自衛の名による戦争であったとして、自衛のための戦争こそ否定している。
背が低くて風采が上がらず、英国は尊敬するが中国は見下しアメリカは軽んじ、英語ができず人とうち解けず、論理的でないから世界の理論水準にはついていけず、そのくせ夜郎自大な世界観や歴史観を振り回し、交渉事では相手の要求はことごとく自分に都合に合わせて、サボタージュするか実際では骨抜きにする。その吉田茂の言葉である。典型的な日本人の姿である。その熱意を除けば、世界的にはほとんど凡庸という評価にしか値しない一人の日本人が到達した言葉である。
①国家の正当防衛権による戦争は正当だということですが、私はこういう考えを認めることは有害だと思います。近年の戦争の多くが国家防衛権の名において行われたことは顕著な事実です。それゆえ、正当防衛権を認めることは、ときに戦争を誘発する理由となると思います。憲法の交戦権放棄に関する条項の期待するところは、国際平和団体の樹立です。国際平和団体の樹立によって、あらゆる侵略を目的とする戦争を防止しようとするものです。しかしながら、正当防衛による戦争がもしあるとすれば、その前提として、侵略を目的とする戦争を目的とした国があることを前提としなければなりません。したがって、正当防衛、国家の防衛権による戦争を認めることは、ときに戦争を誘発する有害な考えであるだけでなく、もし国際平和団体が樹立された場合には、正当防衛権を認めるということ、それ自体が有害であると思います。(1946年6月29日の国会議事録から。日本共産党の野坂参三の質問に答えて)
②新憲法は戦争の放棄を規定したものであり、この点において日本は世界に先んじています。「しかし、日本は敗戦国で、一兵ももたず戦争を行う力もないではないか」という論者もなかにはいるでしょう。だが、われわれは日本が名実ともに独立国になったあとでも、悲惨な戦争を繰り返したくないというのが真実です。いまや戦争に敗れ、一兵も残っていないということは、永久に戦争を放棄する絶好の機会です。(1946年9月)
③わが国の安全を保障する唯一の道は、新憲法に宣言されたように、わが国は非武装国家として、世界に先んじてみずから戦争を放棄し、軍備を撤去し、平和を愛する世界の世論を背景に、世界の文明と平和繁栄に貢献しようとする国民の決意をますます明らかにして、文明国世界のわが国に対する理解を促進することが、平和条約を促進する唯一の道と私は考えます。敗戦の過去の事実を回想すると、過去においてわが国が国際情勢に充分な知識を欠き、自国の軍備を過大に評価し、世界の平和を破壊して省みないことが、ついにわが歴史を汚し、国の隆盛を妨げ、国民に、その子を、その夫を、その親を失わせ、世界を敵として空前の不幸をもたらしたのです。軍備のないことこそ、わが国民の安全と幸福の保障であり、世界と信頼で繋がる根拠なのです。(1949年11月8日の施政方針演説から)
ちなみに、①は日本共産党・野坂参三の質問に答えたもの。その質問要旨は、「正義の戦争と不義の戦争を区別する必要がある」「日本の侵略戦争に対する自衛のための正当な戦争として中国とアメリカは戦わざるを得なかったのではないか?」というもの。吉田は、満州事変から大東亜戦争まですべて自衛の名による戦争であったとして、自衛のための戦争こそ否定している。
背が低くて風采が上がらず、英国は尊敬するが中国は見下しアメリカは軽んじ、英語ができず人とうち解けず、論理的でないから世界の理論水準にはついていけず、そのくせ夜郎自大な世界観や歴史観を振り回し、交渉事では相手の要求はことごとく自分に都合に合わせて、サボタージュするか実際では骨抜きにする。その吉田茂の言葉である。典型的な日本人の姿である。その熱意を除けば、世界的にはほとんど凡庸という評価にしか値しない一人の日本人が到達した言葉である。