法定内のことなので、例によって写真ではなく、スケッチによって土下座の様子は発表された。各放送局に専属のスケッチ画家がいるらしく、俺はNHKとTBSの土下座スケッチを観た。どちら鈴香被告も、四つん這いになったように描かれていた。その角度から、スケッチ画家は傍聴席の右手に座っていたことがわかる。
歯列を矯正できなかったように、貧しい育ちでろくな躾も施されなかっただろう鈴香被告に、正座から上体を折って平伏する、礼に適った姿を期待したわけではなかった。それでも、不格好なものであれ、弁護士に指導されるかして、もう少しそれらしい姿かと思ったが、スケッチに描かれた土下座はどうにも様になっていなかった。
捕まって群衆に囲まれた泥棒がなんとか私刑を免れようと、服従と無防備を示すと同時に、打擲されても痛みや傷を凌ぐために、身体の背面を丸めて柔らかい腹を守ろうとするような、生き残ろうとして必死に行う土下座では、さらになかったと見えた。
もっとも、判決が出た後の遺族へ向かっての土下座であるから、命乞いという意味はすでにないのだが、ならば公判中ではなく判決後に、どのような意味を込め、どのような気持ちで鈴香被告は土下座をしたのか、忖度できるような材料をもちろん俺は持ってはいない。
ただ、俺にはどのように見えたか、に過ぎない。それも写し取ったスケッチを見たというだけの話である。四つん這いになって、頭を床にこすりつけているように見える。「申しわけありませんでした」と述べるために、その顔を上げたところを描いていた。伏せていて顔が見えなければ法廷スケッチにはならないから、当然のことだ。
もちろん、鈴香被告も、まず被告席から立ち上がり、背後の傍聴席に向き直って歩み寄り、膝を片方ずつ屈したのだろう。しかし、座してから手を付き、次ぎに頭を下げていったのではなく、正座にまで至らぬまま手指と頭をほとんど同時に床に伏したように見えるスケッチだった。腰が少し浮いているのである。
大柄な彼女の身体が、ただ俯せたように見え、それは何かで見た姿に似ていると思った。やがて、五体投地が思い浮かんだ。チベット仏教徒が全身を投げ出すように行う礼拝である。山岳地の聖地を巡礼するときなどは、小石だらけの地面に向かってこれを繰り返すために、掌が傷つかないように草鞋のような履き物を手に付けていた。地面に伏せては立ち上がり、少しは歩いてはまた伏せる、尺取り虫のようなチベット仏教徒たちの姿をを何度かTVで観たことがある。
鈴香被告の土下座を描いたスケッチは、この五体投地の途中の姿勢のように見えた。また、不謹慎の誹りやあるいは冒涜という非難を免れないだろうが、率直にいえば、後背位で男を迎え入れる格好にも少し似ているとも思った。鈴香被告について、終始そうした下卑た視線による報道が先行したことと、俺の印象はもちろん無関係ではない。
彼女をことさら貶める下卑た報道の視線を、俺も共有したという自覚はある。そうした報道は紛れもなく不快ではあったが、一方では、東北の片田舎に暮らす、とても知的に優れているとは思えない、子連れの貧しい出戻り女が、世間からどのような扱いを受けどのような視射を免れられないかについては、ある程度の推測はつくものである。
自己責任がキーワードとなったイラク人質事件に数倍する、酷い「鈴香情報」がネットには飛び交い、いまも膨大に残っている。俺にはいっそう不快な代物であるが、俺の「ある程度」を含め、やはり程度の問題ではないように思う。「イラク人質情報」と「鈴香情報」は同質かもしれないのに、前者には、終始、非難されるような筋合いはないと思っていた俺が、鈴香事件についてはなぜ下卑た視線を共有してしまったのか。
スパゲッティナポリタンを頬張りながら、TVのニュース番組が大写しにした鈴香被告の土下座スケッチから、チベット仏教徒が行う五体投地やセックス時の後背位にも似た、動作中の中途半端な身体をなぞったその描線から、「事件」以後は報道に代表される社会に、「事件」以前は狭い世間に、見られてきた鈴香被告を見たような気がした。
鈴香被告はつねに俺たちに見られる存在や対象としてあった。TV画像や写真画像を通過する限りにおいて、それは疑いようのない事実であったわけだが、スケッチという別の手法を通すことによって、鈴香被告の身体性がより際立ったように思うのだ。大柄な身体は痩せやつれ、若く張っていた頬はくぼんだ、と見ているスケッチ画家の眼を我が眼としていた。
しかし、対象を写実的に描くとということではプロのスケッチ画家の網膜に映じた鈴香被告を追体験したのではなく、土下座する身体の動きの途中で起きた不格好な姿形の一瞬に、もうひとつ別のもっと大きな眼が加わったような気がする。これまでの不幸な半生において、彼女がどのように見られ、見てきたかを象徴的に形作ってみせた、彼岸の眼というようなもの。
見られるということは、そのように強いられるということにほかならない。抗っても、そう見られてしまう憤りが、逮捕前に報道陣に声を上げる鈴香被告から伺えた。あれは、「子ども殺し視」する報道陣への怒りというより、「女だと思ってバカにして」という憤りに見えた。そう、俺たちは、「女だと思ってバカにして」いたのではないか。
事実としても、あのとき俺たちは彼女が自分の娘を、娘の友だちを殺していたかどうか確信を持てなかったのだから。そして彼女自身にとっても、自らが、「子ども殺し」であるかどうかはすでに第一義的な問題ではなかったのだから。したがって、正確には、あのときの見られる彼女と見る俺たちの関係は、犯罪容疑者への疑惑の視線などではなく、「いかにも」な若い女・母親への蔑視にほかならなかったといえるだろう。
俺たちはそのように見ていた。そして彼女は、あのスケッチが描くような姿勢と位置から俺たちを見ていた。スケッチに描かれたことで、ようやく気づいたのだ。それは不格好で奇妙な姿形であるが、まぎれもなく彼女が生きていた姿であった。スケッチに描かれた現在の彼女は、かつてのそうした生の残骸のように見えた。もはや、彼女はそこでは生きていないように思えた。いま彼女は何も見ていないように見えた。
検察と弁護側が同時に行うという異例の精神鑑定によって、心神耗弱による無罪や減刑こそなかったが、「精神的に不安定だった」という判断を裁判所は下して、死刑は免れ無期懲役の判決が下った。何の罪もない2人の子どもを連続して殺害したが、そこに「計画性はなかった」と法廷は判断した。何らの利益や欲望にも基づかず、衝動的に、弱者がさらに弱者を殺した。鈴香事件のやりきれなさを言外に込めた裁判長の良識は疑いようがないと思う。
報道によれば、鈴香被告は終始無表情で、そのありふれた謝罪の言葉以上の感情や気持ちは、報道陣には伝わってこなかったようだ。あの数枚の法廷スケッチを見る機会は再びはないだろう。(敬称略)
歯列を矯正できなかったように、貧しい育ちでろくな躾も施されなかっただろう鈴香被告に、正座から上体を折って平伏する、礼に適った姿を期待したわけではなかった。それでも、不格好なものであれ、弁護士に指導されるかして、もう少しそれらしい姿かと思ったが、スケッチに描かれた土下座はどうにも様になっていなかった。
捕まって群衆に囲まれた泥棒がなんとか私刑を免れようと、服従と無防備を示すと同時に、打擲されても痛みや傷を凌ぐために、身体の背面を丸めて柔らかい腹を守ろうとするような、生き残ろうとして必死に行う土下座では、さらになかったと見えた。
もっとも、判決が出た後の遺族へ向かっての土下座であるから、命乞いという意味はすでにないのだが、ならば公判中ではなく判決後に、どのような意味を込め、どのような気持ちで鈴香被告は土下座をしたのか、忖度できるような材料をもちろん俺は持ってはいない。
ただ、俺にはどのように見えたか、に過ぎない。それも写し取ったスケッチを見たというだけの話である。四つん這いになって、頭を床にこすりつけているように見える。「申しわけありませんでした」と述べるために、その顔を上げたところを描いていた。伏せていて顔が見えなければ法廷スケッチにはならないから、当然のことだ。
もちろん、鈴香被告も、まず被告席から立ち上がり、背後の傍聴席に向き直って歩み寄り、膝を片方ずつ屈したのだろう。しかし、座してから手を付き、次ぎに頭を下げていったのではなく、正座にまで至らぬまま手指と頭をほとんど同時に床に伏したように見えるスケッチだった。腰が少し浮いているのである。
大柄な彼女の身体が、ただ俯せたように見え、それは何かで見た姿に似ていると思った。やがて、五体投地が思い浮かんだ。チベット仏教徒が全身を投げ出すように行う礼拝である。山岳地の聖地を巡礼するときなどは、小石だらけの地面に向かってこれを繰り返すために、掌が傷つかないように草鞋のような履き物を手に付けていた。地面に伏せては立ち上がり、少しは歩いてはまた伏せる、尺取り虫のようなチベット仏教徒たちの姿をを何度かTVで観たことがある。
鈴香被告の土下座を描いたスケッチは、この五体投地の途中の姿勢のように見えた。また、不謹慎の誹りやあるいは冒涜という非難を免れないだろうが、率直にいえば、後背位で男を迎え入れる格好にも少し似ているとも思った。鈴香被告について、終始そうした下卑た視線による報道が先行したことと、俺の印象はもちろん無関係ではない。
彼女をことさら貶める下卑た報道の視線を、俺も共有したという自覚はある。そうした報道は紛れもなく不快ではあったが、一方では、東北の片田舎に暮らす、とても知的に優れているとは思えない、子連れの貧しい出戻り女が、世間からどのような扱いを受けどのような視射を免れられないかについては、ある程度の推測はつくものである。
自己責任がキーワードとなったイラク人質事件に数倍する、酷い「鈴香情報」がネットには飛び交い、いまも膨大に残っている。俺にはいっそう不快な代物であるが、俺の「ある程度」を含め、やはり程度の問題ではないように思う。「イラク人質情報」と「鈴香情報」は同質かもしれないのに、前者には、終始、非難されるような筋合いはないと思っていた俺が、鈴香事件についてはなぜ下卑た視線を共有してしまったのか。
スパゲッティナポリタンを頬張りながら、TVのニュース番組が大写しにした鈴香被告の土下座スケッチから、チベット仏教徒が行う五体投地やセックス時の後背位にも似た、動作中の中途半端な身体をなぞったその描線から、「事件」以後は報道に代表される社会に、「事件」以前は狭い世間に、見られてきた鈴香被告を見たような気がした。
鈴香被告はつねに俺たちに見られる存在や対象としてあった。TV画像や写真画像を通過する限りにおいて、それは疑いようのない事実であったわけだが、スケッチという別の手法を通すことによって、鈴香被告の身体性がより際立ったように思うのだ。大柄な身体は痩せやつれ、若く張っていた頬はくぼんだ、と見ているスケッチ画家の眼を我が眼としていた。
しかし、対象を写実的に描くとということではプロのスケッチ画家の網膜に映じた鈴香被告を追体験したのではなく、土下座する身体の動きの途中で起きた不格好な姿形の一瞬に、もうひとつ別のもっと大きな眼が加わったような気がする。これまでの不幸な半生において、彼女がどのように見られ、見てきたかを象徴的に形作ってみせた、彼岸の眼というようなもの。
見られるということは、そのように強いられるということにほかならない。抗っても、そう見られてしまう憤りが、逮捕前に報道陣に声を上げる鈴香被告から伺えた。あれは、「子ども殺し視」する報道陣への怒りというより、「女だと思ってバカにして」という憤りに見えた。そう、俺たちは、「女だと思ってバカにして」いたのではないか。
事実としても、あのとき俺たちは彼女が自分の娘を、娘の友だちを殺していたかどうか確信を持てなかったのだから。そして彼女自身にとっても、自らが、「子ども殺し」であるかどうかはすでに第一義的な問題ではなかったのだから。したがって、正確には、あのときの見られる彼女と見る俺たちの関係は、犯罪容疑者への疑惑の視線などではなく、「いかにも」な若い女・母親への蔑視にほかならなかったといえるだろう。
俺たちはそのように見ていた。そして彼女は、あのスケッチが描くような姿勢と位置から俺たちを見ていた。スケッチに描かれたことで、ようやく気づいたのだ。それは不格好で奇妙な姿形であるが、まぎれもなく彼女が生きていた姿であった。スケッチに描かれた現在の彼女は、かつてのそうした生の残骸のように見えた。もはや、彼女はそこでは生きていないように思えた。いま彼女は何も見ていないように見えた。
検察と弁護側が同時に行うという異例の精神鑑定によって、心神耗弱による無罪や減刑こそなかったが、「精神的に不安定だった」という判断を裁判所は下して、死刑は免れ無期懲役の判決が下った。何の罪もない2人の子どもを連続して殺害したが、そこに「計画性はなかった」と法廷は判断した。何らの利益や欲望にも基づかず、衝動的に、弱者がさらに弱者を殺した。鈴香事件のやりきれなさを言外に込めた裁判長の良識は疑いようがないと思う。
報道によれば、鈴香被告は終始無表情で、そのありふれた謝罪の言葉以上の感情や気持ちは、報道陣には伝わってこなかったようだ。あの数枚の法廷スケッチを見る機会は再びはないだろう。(敬称略)