『伯林星列』(野阿梓 徳間書店)
やおい小説ながら、朝日の書評欄に掲載されるという快挙。評者は巽孝之。出だしはジリリンと鳴る電話のベル。2.26事件の決起報告を受ける北一輝からはじまる。そして、2.26のクーデターは成功する。
先の戦争で日本人が300万人。アジア人が2000万人。計2300万人死んだ。それを予見したかのように、北一輝と石原莞爾は、アメリカと衝突する南進ではなく、ソ連を敵とする北進でもない、第3の進路に賭け、蒋介石政府との講和に動き出す。
舞台はナチス政権下のベルリン(伯林)。性奴として陵辱の限りを尽くされる美少年・伊集院操青を取り巻く闇と影に棲む男たち。ナチスの高官、イギリスの伯爵、日本大使館付武官。彼らのほとんどは人でなしだが、無慈悲で残酷な戦争の時代に忠実に生きようとしている人々でもある。
ナチスであれ、大日本帝国であれ、ソ連であれ、アメリカであれ、いずれの国家にとっても2300万人死は統計に過ぎない。そこでは人間ひとりひとりの痛苦は省みられることはない。その事実を最新の知見を渉猟して、「無慈悲で残酷な時代」を憤りを込めて描いている。いまは見る影もなくなったが、ちょっと70年代の五木寛之の小説を思い起こさせる。五木の70年代より、「無慈悲で残酷な時代」の史料が整理され研究が進んだ分、情報の厚みははるかに優る。
なるほど、『占領と改革』や『吉田茂とその時代』には、戦争が巨悪であるとか、人間の痛苦や無惨な死などは書かれていない。「無慈悲で残酷な時代」を現実として、現実を忠実に生きようとする人たちにとっては、それは小説や演劇や映画が描く、浮世離れした絵空事でしかない。逆にいえば、小説や演劇や映画などにおいてのみ、浮世離れした絵空事としてしか描けない、ともいえる。
第二次世界大戦前夜、ベルリンオリンピックを間近に控えたベルリンに、16歳の淫花・操青を投げ入れることによって、つまり浮世離れした絵空事を極めることによって、醜悪陋劣な20世紀末の国家と戦争の現実を撃つことができる。「科学から空想へ」(@竹中労)である。したがって、これは「腐女子が男性同性愛を描く」ことを目的とする、やおい小説ではない。もちろん、やおい小説であってもかまわないのだが、やおいというジャンル以前に、操青は小説に組み込まれているのだ。
やおい小説ながら、朝日の書評欄に掲載されるという快挙。評者は巽孝之。出だしはジリリンと鳴る電話のベル。2.26事件の決起報告を受ける北一輝からはじまる。そして、2.26のクーデターは成功する。
先の戦争で日本人が300万人。アジア人が2000万人。計2300万人死んだ。それを予見したかのように、北一輝と石原莞爾は、アメリカと衝突する南進ではなく、ソ連を敵とする北進でもない、第3の進路に賭け、蒋介石政府との講和に動き出す。
舞台はナチス政権下のベルリン(伯林)。性奴として陵辱の限りを尽くされる美少年・伊集院操青を取り巻く闇と影に棲む男たち。ナチスの高官、イギリスの伯爵、日本大使館付武官。彼らのほとんどは人でなしだが、無慈悲で残酷な戦争の時代に忠実に生きようとしている人々でもある。
ナチスであれ、大日本帝国であれ、ソ連であれ、アメリカであれ、いずれの国家にとっても2300万人死は統計に過ぎない。そこでは人間ひとりひとりの痛苦は省みられることはない。その事実を最新の知見を渉猟して、「無慈悲で残酷な時代」を憤りを込めて描いている。いまは見る影もなくなったが、ちょっと70年代の五木寛之の小説を思い起こさせる。五木の70年代より、「無慈悲で残酷な時代」の史料が整理され研究が進んだ分、情報の厚みははるかに優る。
なるほど、『占領と改革』や『吉田茂とその時代』には、戦争が巨悪であるとか、人間の痛苦や無惨な死などは書かれていない。「無慈悲で残酷な時代」を現実として、現実を忠実に生きようとする人たちにとっては、それは小説や演劇や映画が描く、浮世離れした絵空事でしかない。逆にいえば、小説や演劇や映画などにおいてのみ、浮世離れした絵空事としてしか描けない、ともいえる。
第二次世界大戦前夜、ベルリンオリンピックを間近に控えたベルリンに、16歳の淫花・操青を投げ入れることによって、つまり浮世離れした絵空事を極めることによって、醜悪陋劣な20世紀末の国家と戦争の現実を撃つことができる。「科学から空想へ」(@竹中労)である。したがって、これは「腐女子が男性同性愛を描く」ことを目的とする、やおい小説ではない。もちろん、やおい小説であってもかまわないのだが、やおいというジャンル以前に、操青は小説に組み込まれているのだ。