元運転手「ホテルに送った記憶ない」 陸山会事件公判
以前、映画「それでもボクはやっていない」で書いたように、公判廷での証言より、検事調書の方がずっと証拠価値が高い。自白は重視されるのに、公判証言が軽視されるのは、一見、矛盾しているようにみえるが、自白は調書になっているのに対し、公判証言は調書に裏づけられていないため、信憑性に欠けると判断されるためだろう。「推定有罪」の怖さを映画は訴えていた。「推定無罪」の立場に拠れば、調書も証言もフラットに評価できるはずなのだが、それでは裁判官と検察官主導の裁判ゲームは成り立たない。したがって、この元運転手の証言は、5000万円授受の事実関係立証への影響はほとんどないとみられる。にもかかわらず、ではなぜ、こうした記事を書いたか、掲載したか。記事と新聞社の「公正・中立」のためである。陸山会事件を「公正・中立」に扱うためではない。
マスコミは、ときに、自らを「公正・中立」に見せかける記事を掲載する。「一方的ではなかったか」と追及されたとき、「それは一面的な批判です」と答えるために、あるいは、風向きが変わったときのために、10のうち、9は賛成しておきながら、1の疑問や反対をさりげなく、紙面のどこかに書いておく。たとえば、法案の審議が実質的に終わった後や可決された後など、大勢に影響を与えない時期を選んで。そうした記事をアリバイ記事と呼ぶ。逆の見方をすれば、アリバイ記事が出たなら、すでに大勢は決しているともいえる。陸山会事件で小沢有罪が決まっているというより、小沢の政治的復権はないという見込みだろう。「それでもボクはやっていない アリバイがあるから」
3.11以前、マスコミに脱原発や反原発の論調はほとんど見かけなかった。いま、マスコミに原発推進の論調をまったく見かけない。以前がおかしいというなら、以降もおかしいと考えるのが、メディアリテラシーというもの。しかし、二元論や極論に比べ、中庸の議論はきわめて難しい。正論と本音を中和して説得するかにみえるものは、どっちにでもいずれ転べるアリバイ論と批判される場合が多い。然り。どちらの論にも一定の理解を示すからだ。然れども、そこに説得があれば、多少なりとも前進が見込める。中庸の議論があるのではなく、説得による漸進こそが、中庸の議論そのものではないか。正しいか間違っているかはわからないが、とりあえず合意できる結論を、具体的な行動指針を出そうという立場は、アリバイを必要としない。「それでもボクはやっつけてはいない アリバイはいらないから」
(敬称略)
正義の女神(Lady Justice)は、目隠しをしていて、真理を見ることはできない。ただ、秤のバランスを感じている。そして、剣を携えている。アリバイを言い立てる盗賊どもを斥けるために。
以前、映画「それでもボクはやっていない」で書いたように、公判廷での証言より、検事調書の方がずっと証拠価値が高い。自白は重視されるのに、公判証言が軽視されるのは、一見、矛盾しているようにみえるが、自白は調書になっているのに対し、公判証言は調書に裏づけられていないため、信憑性に欠けると判断されるためだろう。「推定有罪」の怖さを映画は訴えていた。「推定無罪」の立場に拠れば、調書も証言もフラットに評価できるはずなのだが、それでは裁判官と検察官主導の裁判ゲームは成り立たない。したがって、この元運転手の証言は、5000万円授受の事実関係立証への影響はほとんどないとみられる。にもかかわらず、ではなぜ、こうした記事を書いたか、掲載したか。記事と新聞社の「公正・中立」のためである。陸山会事件を「公正・中立」に扱うためではない。
マスコミは、ときに、自らを「公正・中立」に見せかける記事を掲載する。「一方的ではなかったか」と追及されたとき、「それは一面的な批判です」と答えるために、あるいは、風向きが変わったときのために、10のうち、9は賛成しておきながら、1の疑問や反対をさりげなく、紙面のどこかに書いておく。たとえば、法案の審議が実質的に終わった後や可決された後など、大勢に影響を与えない時期を選んで。そうした記事をアリバイ記事と呼ぶ。逆の見方をすれば、アリバイ記事が出たなら、すでに大勢は決しているともいえる。陸山会事件で小沢有罪が決まっているというより、小沢の政治的復権はないという見込みだろう。「それでもボクはやっていない アリバイがあるから」
3.11以前、マスコミに脱原発や反原発の論調はほとんど見かけなかった。いま、マスコミに原発推進の論調をまったく見かけない。以前がおかしいというなら、以降もおかしいと考えるのが、メディアリテラシーというもの。しかし、二元論や極論に比べ、中庸の議論はきわめて難しい。正論と本音を中和して説得するかにみえるものは、どっちにでもいずれ転べるアリバイ論と批判される場合が多い。然り。どちらの論にも一定の理解を示すからだ。然れども、そこに説得があれば、多少なりとも前進が見込める。中庸の議論があるのではなく、説得による漸進こそが、中庸の議論そのものではないか。正しいか間違っているかはわからないが、とりあえず合意できる結論を、具体的な行動指針を出そうという立場は、アリバイを必要としない。「それでもボクはやっつけてはいない アリバイはいらないから」
(敬称略)
正義の女神(Lady Justice)は、目隠しをしていて、真理を見ることはできない。ただ、秤のバランスを感じている。そして、剣を携えている。アリバイを言い立てる盗賊どもを斥けるために。