「原発作業60歳以上で」 165人応募、議論呼ぶ
http://www.asahi.com/national/update/0523/TKY201105230230.html
>福島第一原発に作業員を派遣している企業幹部らによると、長期化に伴い、作業員の人繰りがつかず、苦慮しているという。
「派遣している企業幹部ら」とは、いったい、何という会社の誰なんだろう。いつまでたっても、作業員の実態がはっきりしない。東電系列のアウトソーシング会社や人材派遣会社があるだろうなくらいは想像がつくが、ほかに何社も入っているのだろうか。1.2.3号機までメルトダウンしているというのだから、助っ人なら願ってもない申し出ではないかと思うが、なぜ、「議論を呼んだり」するのだろうか。
たぶん、この人たちに現場に入られては困る事情があるのだろう。たとえば、この人たちに対して、ひどいピンハネはできないだろうし、するとほかの作業員たちの待遇も同じにしなくてはならない。あるいは、「協力会社」が下請け孫請け曾孫請けといった雇用関係ならば、「守秘義務」を名目に東電に不都合な事実を口封じできるが、この人たちにはそうした圧力は通用しない etc etc。ようするに福島第一原発の内情を晒したくないわけだろう。
不都合な事情が明らかになれば、いままでが隠蔽にしろ、与り知らぬにしろ、その責任は東電だけでなく、内閣と政府にも及ぶ。しかし、政治家も官僚も、責任を逃れるだけでよしとはしない。政治家なら、より「大きな責任を引き受ける」という権力の獲得に邁進するものだし、官僚なら、より以上の「予算配分と管掌権限の拡大」を計るものだ。そして、福島第一原発事故はすぐには収束されないという前提で、すべては動き出している。
少なくとも、当面の政局の安定と補正予算の成立にとって、福島第一原発事故の深刻な状況が強い追い風になっている。換言すれば、福島第一原発事故が収束に向かうのでは、今後の予定に大幅な狂いが生じることになる。また、マスコミも、事故の沈静化より深刻化に危機に、改革の断行もしくは挫折に、より大きなニューズバリューを見出すものだ。ここにおいて、政治官僚マスコミの利害は完全に一致する。
それは、当然のことながら、国民の利害とは一致しない。消費税10%に値上げ、年金支給年齢の引き上げ、社会保障費用の削減等々。改革も復興も、結局は国民の懐を財源としているからだ。脱原発も東日本復興も、すぐには実現しない。長い年月を必要とする。ならば、使える原発はできるだけ使い回し、復興予算の国民負担はできるだけ避けるべきだろう。しかし、それでは政治官僚マスコミの利害と一致しない。
浜岡原発の停止要請以来、日本は脱原子力に舵を切ったかにみえる。そこに国民的な議論もなければ、意思表示を表す投票もない。では、以前の原子力推進と現在の脱原子力に、なにほどの違いがあるだろうか? 国策の名において、またひとつ、収奪装置が増えるだけではないか。「国がきちんと対応すべきだ」という異議を申し立てにくい主張や指摘は、結局、国策に委ねることを是としてしまう。ほんとうにそれでよいのだろうか。
結局、「いたずらに人命を危険にさらすわけにはいかない」と165人の「決死隊」は実現しないだろう。結局、「雇用や所得につながる復興計画」と際限のない公共投資が復活するだろう。「がんばれ日本」という美名に隠れて、結局、何が行われ、何が行われなかったか。結局は、思い知らされることになるだろう。何かがはじまるとすれば、そこからなのかもしれない。それまでは、何もはじまらず、何も終ることはない。