画像検索してみると、近影は別人かと思うほど、老顔に変わっていた。SF作家としては、とうに過去の人だろうが、「日本沈没」や「復活の日」の小松左京さんが亡くなる、といった「訃報」は、小松左京のファンにとっては心外だろう。小松左京はカラカラ笑うかもしれないが。これが、渡辺淳一が死んだとき、「失楽園」や「愛の流刑地」の作家死す、と報じられれば、渡辺ファンは納得し、渡辺淳一は心外だろうが。俺は小松左京ファンというほどではなかったが、映画化されたおかげで有名になった、「日本沈没」や「復活の日」が小松左京の小説としては、上出来の部類ではなかったことは覚えている。
数多い小松左京作品の中で、俺の印象に残っているのは、『日本アパッチ族』だ。ほかに、もう書名やタイトルは忘れてしまったが、小松左京の短編はずいぶん読んだ。とあるヨーロッパ小国の田舎を旅したら、村民が日本人と知った私にやたらと親しみを寄せる、そして必ず心配そうに、「朱鷺は元気か?」と訊ねてくる。心からの歓待に喜びながらも不思議に思っていると、その村にも朱鷺と同様な絶滅危惧種の鳥がいて、という怖い話などは今も覚えている。
小松左京が元気な頃には、星新一と筒井康隆を両極とすれば、その間に、半村良や平井和正、眉村卓、広瀬正、都筑道夫、光瀬龍など多彩なSF作家が綺羅星のごとく輝いていて、次々に好短編を発表していた。その中心は、小松左京で、もっとも安定した質の高い作品を書いていたように思えた。
エッセイも達者だった。冬の深夜、飼い猫の出入りにドアボーイとされてしまった小松左京が、マンションベランダのドアから首を出したまま、冷たい風のせいか、なかなか出ようとしない猫の尻をつい足で押したところ、その鋭い爪と歯でいきなり襲いかかられ、帚で反撃しているところに、騒ぎを聴きつけて起きてきた家人が、顔面血塗れでようやく立っている小松左京を無視して、「まあ、大変、あなた、OOちゃんになんてことするの!」と猫に駆け寄ったのを見て激怒した話など、大笑いしたものだ。
俺にとっては、短編小説の名手で、闊達明朗な知識人、という印象の人だった。3.11について、とくに福島第一原発の事故について、この人の考えを訊きたかった。何か書き残しているだろうか。合掌。
(敬称略)