コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

はじめての金井美恵子

2011-08-23 00:03:00 | ブックオフ本


ブックオフではなく町の古本屋がおもしろいのは、特価本コーナーにあきらかに誰かの本棚の一角が並ぶところだ。持ち主が亡くなったか、引っ越したのか、あるいは介護をするとか受けるとか、何か室内を整理する必要が起きたためか。さまざまな推測ができるが、一人の本読みから売り払われたと思える、傾向の定まった本のまとまりを100円コーナーに見つけることがある。

『チャタレー夫人の恋人』の英日対訳本(これは買った)やサドの『悪徳の栄え』、『O嬢の物語』といった官能小説の古典ばかりが黄ばんだ背表紙をみせたり、廣松渉や黒田寛一といった書き込みが目立つ左翼本がかたまっていたり、保存のよい角川春樹の句集や斉藤茂吉の随筆がならんでいたりする。

蔵書というより、一度は読み込んだことのある愛読書、そんな手垢のついたどこか懐かしい佇まいがあって、未知の著者や分野なのに、つい手にとって頁をめくってみたり、たぶん読まないだろうなと思いつつ、ふと買ってしまったりする。そういうことって、ありませんか?

目白雑録』『目白雑録 2』(金井 美恵子 朝日新聞社)もそんな一冊だった(すでに3が出ている)。ほかに名前だけは知っている女流作家の小説が数冊いっしょにあり、珍しく中年女性の本棚の一隅から引っ越してきたようだった。

書名には、「ひびのあれこれ」とルビが振ってあり、なんと売る気のない手抜きのタイトルかと呆れたが、少し立ち読みすると、「日日(ひび)」ではなく著者が住む豊島区「目白(めじろ)」だった。「日日」と「目白」はちょっと見、同じ字にみえる。大岡昇平の「成城だより」を踏まえて、しかし、「目白雑録(めじろざつろく)」ではなく、混同しやすい「日日」と「目白」をあえてかけ合わせ、「目白雑録(ひびのあれこれ)」と読ますわけで、手抜きどころか、なかなか凝った書名だとわかる。

もしかすると、「あ、なるほどね」と表紙を眺め直させることで、その美しい装丁に気づかせる仕掛けなのかもしれない。ピンクの地に、ワインのコルク栓や赤の毛糸、小さな人形、小鳥、木の枝、木の実、麻布などが配置されたタブローの写真が表紙になっている(2の巻だ)。ちょっと変わっているけれど、可愛いらしい「あれこれ」。そんなほのぼのとした身辺雑記という内容では、まったくないのだが。

辛口とか、めった斬りとか、あるいは辛辣といえば、著者から、「バカ」「陳腐」と悪口されることは間違いない。悪意のない率直さとでもいおうか。時事トピックも扱っているが、「文壇」や「書評」批判が多い。石原慎太郎や島田雅彦や村上龍、文芸評論家の誰それや政治学者その他を実名をあげて批判しているのに、ちょっとびっくりする。

インターネットの出現によって、匿名で悪口なら誰でも書けるようになった。ときには実名でも書けるだろう。しかし、それなりの有名性がある人が、実名をあげて批判はなかなか書けないものだ。それも自らが属する業界の人々について、朝日新聞社発行の「一冊の本」という書籍情報誌の誌面を借りては。

小説家・金井美恵子の名は知っていたが、その小説は読んだこともなく、エッセイもこの本がはじめてだった。改行が少なく長々と続くというところが似ているだけでなく、どこか野坂昭如のエッセイを思わせる。ちなみに貶すとは反対に、金井美恵子が褒めている、ないしは認めている人たちをあげてみると。

その野坂昭如、深沢七郎、蓮見重彦、中上健次、映画監督では成瀬 巳喜男、マキノ雅弘、田壮壮など。海外の映画監督では、ジョン・フォードを高く評価しているらしく、またサイレント映画の監督やドキュメンタリ映画監督など、俺の知らない映画や監督の話題も頻出するが、その率直で確信的な口調に、観てみたい気分がそそられもする。

俺はその映画が観たくなる感想文や批評がいちばん正しい書き方だと思っている。だから、金井美恵子はいいです。しかし、この人、自分の作品を褒めた書評にも、「まるで、読めていない」と容赦なく噛みついている。

(敬称略)
コメント (1)
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