読売新聞社会部次長のこの人に、会ったことがある。裏社会がからむ事件物のネタが好きで、あとでこの人が書いた3面を大きく占めた記事を読んで驚いたことがある。ある経済事件の構図に関する記事だったが、登場人物がAだのNだのイニシャルだらけだったからだ。そんな週刊誌記事みたいな新聞記事を読んだのは初めてだった。
新聞記事としては、あきらかに邪道めいた、そんな記事を載せることができるのは、彼がいくつものスクープ記事をものしたやり手だったからだが、新聞記者の臭みを感じさせず、こちらを警戒させないにこやかな物腰ながら、どこか武骨で素朴な人柄を隠すことができず、町工場の社長や地方の商店主が似合いそうな第一印象だった。
読売巨人軍の球団代表に就任したのを知ったときは、意外な出世と転身に驚いた。渡辺恒雄会長によほど覚えめでたかったのだろう、と思った。政治部記者として中曽根内閣に深く食い込んで以来、政界フィクサーを任ずるナベツネは、読売伝統の社会部を冷遇したことでも有名だったから、つまり、どれほどのゴマをすったのか、と少し憮然とした。
今回の「ナベツネ告発」記者会見のニュースを聞いたときは、やはりナベツネも85歳、とうとう叛乱の狼煙が、読売巨人軍という周縁から上がったのか、と妙に納得し、清武さんは、そういうやり手でもあったのかと驚いた。ところが、すぐさま、桃井球団社長が反論の記者会見を開いたから、綿密な根回しが済んだクーデター計画ではなさそうだとがっかり。
腹に据えかねたこと、二十度や三十度ではないにしても、「涙の抵抗」という年齢じゃなかろう。やはり、この人に、クーデターや陰謀は似合わない。しかし、ナベツネからみれば、球団ナンバー3とはいえ、末端の使い走りくらいにしか思っていないだろう部下に「告発」されるとは、その威光が翳りはじめた徴候でもある。
案外、これが「蟻の一穴」となってナベツネの零落がはじまるかもしれない。そうなってほしいものだが、たとえそうなっても、清武さんに論功行賞はないだろう。そういうものだ。でも、初対面の印象通り、愚直な人だったと思い直すことができて、ちょっと嬉しい気がした。新聞記者を続けていたなら、とっくに第一線を退く年齢だ。わるくない進退ではないかと思う。
巨人・清武代表、渡辺会長の人事介入涙の告発!「球団私物化許せない」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111111-00000032-dal-base
注:蟻の一穴
<堤防も蟻が開けた小さな穴が原因となって崩れ去ることもある>そうだが、それは蟻とは無関係な設計ミスである。私は、「蟻の一穴から堤防も決壊することがある」と思っていたし、こちらが正しいだろう。水流が蟻の一穴をズンズン広げて、またたくまに堤防が壊れるのである。臨場感に溢れているではないか。ちなみに、「ありのいっけつ」と発音する。「ありのひとあな」ではない。漢字が複数になったら、訓ではなく音読みが基本である。類語に「一穴主義」がある。これは生涯にわたって妻以外の異性もしくは同性と交合せず、貞操を守ることを信念とするものだが、「いっけつしゅぎ」というから潔い語感と響く。「ひとあなしゅぎ」といったら、マヌケに聞こえるだけでなく、次にひとが通れるほどのあなを想像して、呆然とするではないか。
(敬称略)