コタツ評論

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恋に疲れた女ばかりじゃない、京都わ

2012-08-20 00:00:00 | 新刊本
そうそう、この本を紹介するのを忘れていました。リンク先の感想にほとんど同感ですが、「Lady Samurai」という着眼は、「戦略的セルフオリエンタリズム」を越えていると思います。

『ハーバード白熱日本史教室』(北川 智子 新潮社)
http://book.asahi.com/reviews/column/2012081200004.html?ref=book



本書でも「Lady Samurai」の代表とされている太閤秀吉の妻ねね、後の北政所(ほくせいしょではなく、きたのまんどころと読みます、そこの若い衆)に宛てた織田信長のユーモラスながら情理を尽くした手紙を読んだことがあります。「あの禿ネズミ(秀吉のこと)の女好きは困ったものだが、病気と考えて内助の功を尽くしてくれい」という内容で知られていますが、その前段として、ねねが足繁く信長周囲に愚痴や憤懣を漏らしていくので信長の知るところとなり、一筆啓上となったようです。つまり、ねねにはあの信長を引っ張り出す政治力があったわけです。すでに、若きねねの頃から。

それが北政所となれば、いまや大名の福島正則や石田光成も、小姓の頃から知っている子どものようなもの。手紙で注意したり、呼びつけたり、あるいは彼らから相談を受けていてもおかしくありません。敵も味方も昔なじみ顔なじみ、ちょっと立ち寄りました、茶など一服所望といって、打ち解けた話ができるのは、女房以外に適任はいません。また、戦国時代の武将とは、今日でいえば、暴力団の親分衆のようなものと誰かが書いていた記憶があります。すると、山口組三代目姐が思い浮かびます。姐さんの前では、山口組の若頭も親分衆も、呼び捨てか、ちゃん付けです。

武士道が形而上学的になるのは江戸時代から。鎌倉時代の地侍や織豊時代の武将たちは、ずっと地場の生産や交易に近かったはずですから、一族郎党の家計を束ねる女房はパートナー、それも優れたパートナーではなくては勤まらなかったかもしれません。「Lady Samurai」の視点を導入すると、硬直した武士道日本史が風通しのよいフラットな感じになります。NHKの大河時代劇では、やたら、妻や側室、娘などがしゃしゃり出てきて、「戦(いくさ)はきらいじゃ」「男は勝手なもの」「私は好きなように生きたい」などと、戦後民主主義的な駄弁を弄するのにうんざりしていましたが、あるいはもしかしたら、「Lady Samurai」の兆候のひとつなのかもしれません。

戦国武将の妻や側室たちは、もともと政略結婚の道具だったのですから、はじめから政治的な存在と考えれば、そのなかには秀吉の妻ねねのように、じゅうぶん政治家といえるほど成長を遂げた女もいたはず。そういうくっきりした視点の「大河時代劇」なら、ホームドラマの焼き直しにならず、歴史好きの男も楽しめるでしょう。いきなり、正統な日本史に「Lady Samurai」は無理でしょうから、手はじめには映画や演劇、TVドラマ、その原作となる小説にそんな題材がほしいものです。


北政所と彼女が祀られている京都東山の高台寺参道

さて、ほんとうに「Lady Samurai」が武士の陰に活躍していたなら、その資質とは何で、どんなことだったでしょうか。現代に「Lady Samurai」を見出すとすれば、たとえば、本書の著者北川 智子さんのような女性だったのかもしれません。男がする刻苦勉励とは違って、もっとまっすぐ伸びやかに努力し続ける資質を持つ女性が「Lady Samurai」だった気がします。いわゆるエリート女性ではないけれど、めげず臆せず、試行錯誤を重ねて、ハーバード大学1の不人気講座日本史を、随一の人気講座にするまでの話です。さらっと書いていますが、理学から歴史学へ転向など相当な努力の末のことです。いろいろな才能がありますが、努力を続けられる、努力が苦にならない、そういう才能もあるのだなとあらためて感心しました。

何匹目か知らないけれど、こういう泥鰌なら歓迎です。サンデル先生の本より、断然お勧め。
コメント
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