もうひとつ、野田首相記者会見で見逃してはならないのは、李明博大統領の天皇謝罪要求発言について触れなかったことだ。これは賢明なことだったが、野田首相が何をいったかより、何をいわなかったかに、やはり韓国側も注目したようだ。
日本に反韓、嫌韓の空気が一気に高まったのは、李明博大統領の竹島訪問より天皇への「不敬発言」によるものだ。そうした「見方」が韓国の政府高官筋やメディアから出てきている。たしかに、日本のメディアの連日の韓国叩きや国民の憤りは、ほぼこれを裏づけている。島根県民以外は、竹島についてほとんど関心などなかったのだから。
【記者手帳】天皇への謝罪要求、何が間違っているのか
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/08/20/2012082000968.html
ただし、この「見方」は、天皇の戦争責任問題という最終的なカードをめくる布石や伏線となり得る。先の戦争当時、韓国や北朝鮮という国はなく、「内鮮一体」としてともに同じ日本人だったのだから、日本の戦争責任を問う立場や資格はないという主張は、韓国にはもちろん形式論として斥けられ、中国をはじめ他のアジア諸国からも受け入れられないだろう。
日本の天皇は、歴史的に国際法的に戦争犯罪人であるという主張がアジアの一角から出されたとき、日本の天皇に戦争責任はないと、はたして野田首相は否定できるだろうか。日本の天皇に戦争責任ありというのは形式論であり、実態や実際は違っていたと論理展開できるだろうか。まさか、極東軍事裁判に昭和天皇が起訴されなかったことを論拠にするわけにはいくまい。
アメリカの極東戦略の都合により、象徴天皇として残ったことが、天皇の免責や免罪として承知されたのは日本国内だけのことではないか。戦後の日本が平和国家であることは認められるかもしれないが、天皇の戦争責任について、アジア諸国から免責や免罪の同意署名を得たことがあるだろうか。あるいは得られるだろうか。
「天皇謝罪発言さえなければ」となかば嬉しげに韓国批判の口火を切る人が少なくない。そうした「庶民感情」に引きずられるほど、まさか民主党政府も愚かしくはないだろうが、「虎の尾を踏んだのはどちらか?」という風向きになってきているのではないか。日本国内ですら、天皇の戦争責任については、ほとんどタブー扱いなのに、日本側に駁論の用意があるとはとうていあるとは思えない。
竹島問題に関する野田親書の受け取りを、韓国が拒否し返送してきたのに対し、玄葉外相は、「非礼」という言葉を使った。「天皇謝罪発言」についても、「非礼」という言葉を使っていた。不用意な言葉遣いだと思う。分けなければいけない問題について、同じ言葉を使ったがために、一方に顔色が変わったことを見抜かれてしまっている。
泥鰌は今夜も、臍(ほぞ/へそ)を噛もうとむなしく腹をさすっているだろう。