週刊新潮の今週号(5/8・15ゴールデンウィーク特大号)のトップ記事は、山中伸弥京大教授の論文疑惑でした。見出しはこうです。
論文の「データ捏造」疑惑! 本誌直撃で緊急記者会見!
単独インタビューで判明! 小保方博士は免罪されるか?
ノーベル賞「山中教授」が隠していた「小保方的」実験ノート
週刊誌の車内吊り広告は羊頭狗肉が通り相場ですが、見出しどおりの記事内容でした。とくに単独インタビューでは、4/28の山中謝罪記者会見の直後ながら、その補足にとどまらず、より踏み込んで答えています。たとえば、共同研究者の中国人留学生について。以下は、25頁の「山中教授との一事実認識問一答」から。
-この(電気泳動の)画像の生データは見つからなかった?
「はい。私が作ったのか、共同研究者にやってもらっている可能性もある。しかし、今となっては、どちらか分からない」
共同研究者の中国人留学生が持っている、のではなく、生データは行方不明ということです。
-生データが示せない以上、小保方問題と同じことだと思う。
「生データがないということは、あってはいけないこと。出せないものは、もう何を言われても仕方がない」
「電気泳動の画像」の「切り貼り」疑惑のほかに、「エラーバー」という標準偏差の棒グラフが「捏造」を疑われています。
-「エラーバー」について、不自然に長さが揃っているが、必要な実験を行わず、適当に線を引いてしまったことはないか。
「それはない。調べた遺伝子は、元々ばらつきが少ないもの。しかも微妙ながら、長さに差はある」
「Sox2の実験(23頁の写真で左側の4本のグラフ)について、僕の実験ノートにデータが全くないのです」
問題の棒グラフ/エラーバー
棒グラフの元になった数値データを明らかにすれば済む問題だが、それがないというのです。一般的に、報告書や企画書などに何らかのグラフを掲載した場合、それを裏づけるデータ表をいっしょに付けます。煩瑣を避けるためや膨大な分量の場合、掲載しない場合もあるでしょうが、裏づけとなるのは数値データです。数値データをグラフ化するのですから、当たり前のことです。元である数値データがないのはあり得ないことです。
-実験データが一つもないとなると、実験自体が行われていないと思われてもしかたがないのではないか。
「そう言われても、仕方がない。性悪説に立脚すれば、そうなるが、そんなことをやる動機や必要がない」
論文データの「改ざん」や「捏造」について問われて、「そう言われても、仕方がない」と答えるのは、ほとんどそれを認めているに等しいといえます。「動機や必要性」の有無は傍証に過ぎず、不正は作為、不作為の行為そのものを問うものだからです。
-しかし、研究者の姿勢としては問題では?
「問題があるのは、間違いありません。科学誌のエディターの判断もあるが、これがないと根本的に論文が成り立たないと認定されるなら、それこそ撤回もあり得るかもしれない」
論文の不備に逆戻りして蛇足に見えますが、そうではありません。「内容には100%の自信がある」という論文の撤回について、勧告されれば応じるという言質をとった重要な場面です。週刊新潮の意図は、小保方問題と同列視ですから、論文撤回はダメ押しの一手です。
とはいえ、山中教授が、一般週刊誌の単独インタビューに応じて、以上のように率直に語ったことは、学問と研究に誠実であり、自らの社会的責任に対して真摯であろうとする姿勢と考えられます。それを無駄にしないためにも、京都大学の内輪の調査で終わらせず、さらに、第三者機関の調査が必要ではないでしょうか。
週刊新潮らしからぬ、生真面目な記事でしたが、冒頭だけ週刊誌スタイルです。
科学界を一匹の妖怪が徘徊している。”小保方博士の怨念”という妖怪が-。
週刊誌取材なら、さらに山中教授の当時の共同研究者たちを洗い出して、「事実確認の」インタビューを取るのですが、科学誌ではないのでそこまでやるかな、と思わせる暗示的な書き出しでした。
STAP「同僚に疑いの目、嫌がる文化」…英誌
http://linkis.com/p.tl/E8Diu
米国のような研究公正局を日本にも、というネイチャー誌の提言です。他人事かよと。
(了)
論文の「データ捏造」疑惑! 本誌直撃で緊急記者会見!
単独インタビューで判明! 小保方博士は免罪されるか?
ノーベル賞「山中教授」が隠していた「小保方的」実験ノート
週刊誌の車内吊り広告は羊頭狗肉が通り相場ですが、見出しどおりの記事内容でした。とくに単独インタビューでは、4/28の山中謝罪記者会見の直後ながら、その補足にとどまらず、より踏み込んで答えています。たとえば、共同研究者の中国人留学生について。以下は、25頁の「山中教授との一事実認識問一答」から。
-この(電気泳動の)画像の生データは見つからなかった?
「はい。私が作ったのか、共同研究者にやってもらっている可能性もある。しかし、今となっては、どちらか分からない」
共同研究者の中国人留学生が持っている、のではなく、生データは行方不明ということです。
-生データが示せない以上、小保方問題と同じことだと思う。
「生データがないということは、あってはいけないこと。出せないものは、もう何を言われても仕方がない」
「電気泳動の画像」の「切り貼り」疑惑のほかに、「エラーバー」という標準偏差の棒グラフが「捏造」を疑われています。
-「エラーバー」について、不自然に長さが揃っているが、必要な実験を行わず、適当に線を引いてしまったことはないか。
「それはない。調べた遺伝子は、元々ばらつきが少ないもの。しかも微妙ながら、長さに差はある」
「Sox2の実験(23頁の写真で左側の4本のグラフ)について、僕の実験ノートにデータが全くないのです」
問題の棒グラフ/エラーバー
棒グラフの元になった数値データを明らかにすれば済む問題だが、それがないというのです。一般的に、報告書や企画書などに何らかのグラフを掲載した場合、それを裏づけるデータ表をいっしょに付けます。煩瑣を避けるためや膨大な分量の場合、掲載しない場合もあるでしょうが、裏づけとなるのは数値データです。数値データをグラフ化するのですから、当たり前のことです。元である数値データがないのはあり得ないことです。
-実験データが一つもないとなると、実験自体が行われていないと思われてもしかたがないのではないか。
「そう言われても、仕方がない。性悪説に立脚すれば、そうなるが、そんなことをやる動機や必要がない」
論文データの「改ざん」や「捏造」について問われて、「そう言われても、仕方がない」と答えるのは、ほとんどそれを認めているに等しいといえます。「動機や必要性」の有無は傍証に過ぎず、不正は作為、不作為の行為そのものを問うものだからです。
-しかし、研究者の姿勢としては問題では?
「問題があるのは、間違いありません。科学誌のエディターの判断もあるが、これがないと根本的に論文が成り立たないと認定されるなら、それこそ撤回もあり得るかもしれない」
論文の不備に逆戻りして蛇足に見えますが、そうではありません。「内容には100%の自信がある」という論文の撤回について、勧告されれば応じるという言質をとった重要な場面です。週刊新潮の意図は、小保方問題と同列視ですから、論文撤回はダメ押しの一手です。
とはいえ、山中教授が、一般週刊誌の単独インタビューに応じて、以上のように率直に語ったことは、学問と研究に誠実であり、自らの社会的責任に対して真摯であろうとする姿勢と考えられます。それを無駄にしないためにも、京都大学の内輪の調査で終わらせず、さらに、第三者機関の調査が必要ではないでしょうか。
週刊新潮らしからぬ、生真面目な記事でしたが、冒頭だけ週刊誌スタイルです。
科学界を一匹の妖怪が徘徊している。”小保方博士の怨念”という妖怪が-。
週刊誌取材なら、さらに山中教授の当時の共同研究者たちを洗い出して、「事実確認の」インタビューを取るのですが、科学誌ではないのでそこまでやるかな、と思わせる暗示的な書き出しでした。
STAP「同僚に疑いの目、嫌がる文化」…英誌
http://linkis.com/p.tl/E8Diu
米国のような研究公正局を日本にも、というネイチャー誌の提言です。他人事かよと。
(了)