コタツ評論

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いいじゃないの 幸せならば

2018-08-14 22:20:00 | ノンジャンル
凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から「天才」を守るか?
http://yuiga-k.hatenablog.com/entry/2018/02/23/113000

データや理論などの根拠はないが、実感としてはかなり納得できました。

「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」―鈴木敏夫が語る高畑勲 #1
「高畑勲監督解任を提言したあのころ」#2
「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」#3

通読にはかなり時間をとられますが、「天才」がいる現場や職場がどうなるか、少しでも理解したい人にはぜひお勧めです。

上の「天才」論をなぞれば、高畑勲という一人の「天才」が、作品を創るためにどれほど周囲の「凡人」の「共感」を排除したかという話です。

また、「秀才」の天才へのコンプレックスについて、マスコミ界の大物の一人だった氏家齊一郎徳間康快や正力松太郎、高畑勲に寄せて率直に語っています。

「徳さんはすごかったな。会社から映画まで自分でいろんなものを作った。あの人は本物のプロデューサーだった。おれの人生は、振り返ると何もやってない。70年以上生きて、何もやってない男の寂しさが分かるか」

「読売グループのあらゆるものはな、ぜんぶ正力(松太郎)さんが作ったものなんだ。おれたちはそれを維持してきただけだ。おれだって何かひとつ自分でやってみたい。そうしなければ死んでも死にきれない」。

「おれがジブリの作品の中でいちばん好きなのは『となりの山田くん』だ。そりゃあ万人受けする作品じゃないかもしれない。でも、死ぬまでにもう1本、おれはどうしても高畑の作品が見たい。おれの死にみやげだ。頼むぞ」

「高畑の映画には詩情がある。おれはあいつに惚れてるんだ。あの男にはマルキストの香りが残っている」


凡人が天才を排斥するのは、理解不能というだけでなく、仕事や現場にとって大迷惑になるからです。凡人が天才視する秀才が仲裁できるかといえば、天才の眼中に秀才は入りません。むしろ、凡人にこそ共感を求めているのです。

したがって、高畑にとっては優秀なスタッフという眼前の凡人もまた眼に入らず、ただただ、「観客」という「大凡人」に仕えたつもりだったのでしょう。結論、優秀ではない凡人がいちばん幸せなのであります。

(敬称略)


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