コタツ評論

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今夜は、小さな願い

2018-08-17 19:39:00 | 音楽
アレサ・フランクリンが亡くなりました。「ソウルの女王」らしい代表曲や名唱はほかでいくらでも紹介されているだろうから、こちらは「小さな願い(I Say A Little Prayer)」を。

Aretha Franklin - I Say A Little Prayer


ゴスペル育ちらしく若きアレサの you はこれはもうゴッドです。天上から射す神の光をスポットライトにしたように、いつも仰ぎ見る視線でコール&レスポンスするゴスペルそのものです。続いて、アレサとは対照的に、名声も富も家族も失い野垂れ死にした美しいホィットニー・ヒューストンです。

Whitney Houston - I Say A Little Prayer For You 1997


麻薬代にする100ドルを無心して回ったといわれる無残な晩年を伝え聞くせいか、ホィットニー・ヒューストンの you は神ではなく、裏切り裏切られてきた欠点だらけの人間に思えます。

ほとんど諦めてなげやりな、改悛しないマグダラのマリアような彼女の you は、人の子でもあったイエス・キリストではない気がします。彼女が見ているのは天上ではなく、観客である人々か、そうでないときは、少しうつむき加減に目を閉じ、これから歩んでいく数歩先を見ているようです。

人間の内に神性を見出そうとしている。そう云いたくなるほど、スリリングに美しくソウルフルな歌いぶりです。

さて、趣きをがらりと変えて、コーラスも入れずギター一本、ほとんどアカペラで歌うのは若いリアーナです。
Lianne La Havas - Say a Little Prayer (Live)


女性たちがハッピーになる歌なんですね。リアーナの you は神でもなく男でもなく、女性です。「ねえ、そういう気持ちになるってあるよね」と語りかけています。アレサやホィットニーと世代や経験の違いがよくわかりますね。

日本ではディオンヌ・ワーイックでヒットしたはずですが、Youtubeではアレサのcoverが圧倒的に多くを占めます。一人(たぶん)、「この歌は、ディオンヌ・ワーイックのために書かれた、彼女を越えることはできない」としつこくアレサ cover にコメントして回る微笑ましいファンがいました。画質がよくないので載せませんでしたが、二人がこの歌をデュエットしている動画もあります。

以下のような映画で使われたせいか、「てんとう虫のサンバ」(古すぎるか?)のようなアメリカの結婚式ソングになっているようです。

https://www.youtube.com/watch?v=3IlzGRBnino

ルパート・エベレットのなんたるひどい声!

https://www.youtube.com/watch?v=Kg-ObkEK8Ac

歌っているアナベラ・シオラは「 #metoo 」運動の口火を切った一人です。マット・ディロンのポカン顔に見とれてしまいます。

作曲はバート・バカラックです。ハル・デビッドの歌詞は以下の通り、可愛い女ごころを歌っています。

ウェイカップとメイカップ、ヘアーとウェアー、バスとアスなど、音韻が気持ちよいですね。バスとアスに続く dear は「愛しいあなた」「ねえ」くらいのニュアンスなのでしょうか。それと、「プゥトオン」がまず耳に残りますね。あなたにも当分の間、「ァセアリルプレフォーユー♪」が脳内リフレインするはずです。

http://musiclyrics.blog.jp/archives/9700224.html

The moment I wake up
Before I put on my makeup
I say a little prayer for you
While combing my hair now
And wondering what dress to wear now
I say a little prayer for you


目覚めた瞬間
メイクアップする前
貴方のために祈りを捧げる
今 髪をとかしながら
着ていく服に迷っている間も
貴方のために祈るのよ


Forever and ever, you'll stay in my heart
And I will love you
Forever and ever, we never will part
Oh, how I love you
Together, forever, that's how it must be
To live without you
Would only mean heartbreak for me


ずっといつまでも 貴方はこの胸の中にいる
そして私も愛していく
ずっといつまでも 2人は決して離れない
これほど貴方を愛してる
一緒に いつまでも 
あなた無しで生きていくなんて
胸が張り裂けるほどの悲しみでしかない


I run for the bus, dear
While riding I think of us, dear
I say a little prayer for you
At work I just take time
And all through my coffee break time
I say a little prayer for you


走ってバスを追いかけ
乗っている間もずっと2人を思い
貴方のために祈ってる
仕事をしている時も
珈琲を飲んで休んでいる間も
貴方のために祈りを捧げてる


Forever and ever, you'll stay in my heart
And I will love you
Forever and ever we never will part
Oh, how I'll love you
Together, forever, that's how it must be
To live without you
Would only mean heartbreak for me


ずっといつまでも 貴方はこの胸の中にいる
そして私も愛していく
ずっといつまでも 2人は決して離れない
これほど貴方を愛してる


おまけ
https://www.youtube.com/watch?v=3Lp3s4ygDw0

(敬称略)

くだくだ

2018-08-17 17:05:00 | ノンジャンル
顔写真をさらすほどのことはないからしないけれど、ソニービルの販促企画でしくじったプラントハンター氏。俺はこの手の如才ない顔が嫌いだな。万人向けの優しそうな笑顔で、自分でクリエーターとか言ったらもうダメ。むかつくことに、この手の顔に落ち着いた声で話されると、無内容な自己啓発本あたりのネタでも、女はイチコロなのね。

PR会社にいたころから、この手の顔にはずいぶん会ったものだけれど、ろくでもなかったなあ、たいていは。男はね、というか、女でもそうだけど、才能あるやつとか、仕事をするやつはもっと圭角が立った顔というか、万人向けの優しそうな笑顔なんてしないな。もちろん、訓練してそういう顔もできるけれど、違う表情のときの方が多いわけ。

俺? おれはダメだったなあ。頭がものすごく高速回転しているときは蚤とりしているオランウータンみたいな顔だし、少しでも賢く見せようとするときは目が浮いちゃってキョトキョトしているそうだ。自分にできないから、やっかんでいるのかな。

下で紹介した「鈴木敏夫プロデューサーが語る高畑勲監督」なんだけど、「天才と凡人」の葛藤とすると、天才のことは凡人にはわからないから、結局、わからないままになってしまう。これを高畑勲という一人の個人主義者と集団主義的なスタッフとの軋轢としてみると、かなりわかってくる気がするね。

たとえば、「誠実」ってこと。あの人は誠実な人だよと太鼓判を押すとき、周囲に思いやりがあって、裏表のない人ってイメージだよね。これは他者に向けられた他者からの目なんだよ。しかし、これを「おのれに誠実」って、自分限定にする場合もある。自分の思想信条信念、仕事への姿勢、方法論とかに忠実ってことだ。

集団への誠実なら、集団とは融和的になるけれど、自分への誠実となると、集団とぶつかる場合も当然出てくるよね。自分が属する集団に合わせて、あるいは忖度して、自分の考えを変えたり、いいかげんに妥協したりするのは、自分が自分に誠実ではないことになるわな。

自分に誠実であろうとすれば、意に沿わない方向に流されまいと、強引に流れを引き戻そうとして、周囲の人と言い合いになったり、ときに怒鳴ったりすることもあるだろうし、部下なら「やらない!」とか、上司なら「やり直せ!」といったりすることもあるね。

「誠実」って、美徳じゃないんだな、彼にとっては。いわばルールなんだ。個人主義者は内なるルールがあるんだ。先のクリエーター氏にはそんなものはなく、ただのパクリをクリエイティブに偽装する厚顔だけがあるのね。そう、厚顔なんだよ、あの手の顔は。ジャッキー・コーガンだって、マネーの話をするときは厳粛な顔をするんだからね。あの手の厚顔は、金なんかどうでもいいですって、顔しているけど。

ジャッキー・コーガンって映画は、ブラッド・ピット主演なんだが、殺し屋が最後に演説する変わった映画だった。「アメリカは国じゃない。ビジネスだ」って、アメリカ論ぶつのね。ブラピの殺し屋は仕事を請け負い、下見をしたり、応援を呼んだり、中間報告したり、応援の尻ぬぐいに手間どったり、殺す人間があまり苦しまないようにしたり、それなりに苦労するの。

やれやれと仕事を終えて集金となると、注文主がケチってきたので怒りも露わに持論をぶつのね。つまり、この映画は殺し屋映画じゃなくて、アメリカ経済や経営論の映画だったの。勉強になったなあ。「ま、今回は泣きますがね、次からは埋め合わせ、頼んますよ、社長!」では、日本経済論や経営論にはならないねえ。

ジャッキー・コーガンのような、ときには顧客を怒鳴りつけても自らの仕事のルールやスタイルを守ろうとする人間を誠実な人というんだよ、たぶん、アメリカでは。そんな頑として譲らない人を日本では「誠実な人」とは言わないし、それどころかずっとネガティブに思ってしまうよな。せいぜい、あいつは仕事はできるが変人だから、付き合うのは注意した方がいいよ、くらい。もう、全然、「誠実な人」なんかじゃない。

ところが、逆に、「ま、今回は泣きますがね、次からは埋め合わせ、頼んますよ、社長!」なんて、契約内容も守らない(守れない、守ろうとしない)ような男は、アメリカ人からみれば、「誠実な人」じゃないんじゃないかな。ま、日本語の「誠実」って言葉が、英語にあるかどうかわからないけど、あ、「誠意」ならあるかもね。

あるいは、誠=まこと=真実ってことかな? そうか、真実が外から来るのと内に在るの違いかあ。クリエイト=創造ってのは、外部入力はもちろん必要だけど、内発的なものだろうからな。

(止め)