歌を歌えということなので、おじさんの私がおおくりする歌は、ほとんど同世代のおばさんの歌です。日本でいちばん有名なおばさんの一人といえるでしょう。ユーミンこと松任谷由実が、まだ荒井由実だった時代、1975年、昭和50年のヒット曲、「卒業写真」です。
いや、まだ歌いません。曲紹介をしなくてはいけません。そうですよね?
彼女は1954年、昭和29年の生まれですから、現在60歳ちょうど、同級生みたいなもんです。1975年というと21歳、若いですねえ。私も若かった。
こんな歌い出しです。
悲しいことがあると 開く皮の表紙
卒業写真のあの人は 優しい目をしてる
1975年、昭和50年という時代は、新・旧が入り交じり、古いものが去り、新しい事がどんどんが起きてきた、ちょうど変わり目の時代です。いろいろなことがありました。
たとえば、サイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終わり、アメリカがはじめて戦争に負けました。イギリスでは、初の女性首相、サッチャー首相が誕生しました。インターネットの巨人となるマイクロソフトをビル・ゲイツが設立した年です。
日本の首相は、田中角栄さんが失脚して三木武夫さん。日本電信電話公社、いまのNTTが「プッシュ式公衆電話機」を発売した年です。それまではジーコジーコとダイヤル式でしたね。指でダイヤル回す仕草が、(電話するよ)でした。いまは、親指を耳に小指を口に当てますね。
この年のヒット曲は、布施明「シクラメンのかほり」、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」、沢田研二「時の過ぎゆくままに」などで、子門真人の「およげ!たいやきくん」が大ヒットしました。
矢沢永吉が最初に結成した伝説のロックバンドのキャロルが解散した年でもあります。というか、YAZAWAというソロになったわけで、それから50年も活躍しているわけですね。現在も放映している『秘密戦隊ゴレンジャー』(東映 - NET系)が放送開始された年でもあります。
ユーミンが「卒業写真」という曲を作り歌った1975年、昭和50年の出来事の中で、私が印象的だなと思ったのは、この年、集団就職列車の運行が終了したんですね。詰め襟の学生服やセーラー服で上野駅や東京駅に、就職のために地方から降り立つ中卒の少年少女の姿が消えました。集団就職列車が最後になったんですね。
もうひとつは、文房具メーカーのコクヨが「Campus」ノートを発売したんです。英語のロゴが入った水色とか黄色のパステルカラーの表紙でね。30年以上続くロングセラー商品になって、いまも文房具店のノート売り場の主流です。それまでは、大学ノートという、なんか帳簿でもつけるような、陰気くさい灰色のノートが主流でした。
つまり、集団就職列車が旧とすれば、「Campus」ノートが新ですね。中卒で就職する少年少女が激減して、その多くが高校に進むようになり、その高校生の半分くらいは大学に行きたいと思うようになった。豊かな時代になった象徴的な出来事じゃないかと思ったわけです。
中学を卒業して、義務教育を終えたら、工員や店員さんになって働く、子どもからいきなり大人になることから、ほとんどの若者が青春時代を経験する時代にはっきり変わったのです。これはたいへんな変わりようです。しかし、いいことばかりじゃありません。
恋愛すればふられることもあり、受験勉強に挫けてしまったりする。青春は現実に裏切られることも多いわけです。ユーミンの「卒業写真」は、さらに胸ふくらむ青春時代を過ぎてから、現実に裏切られ挫ける苦い思いが歌われているんですね。
歌は世に連れ、といいますが、時代の変化を先取りして、青春の甘酸っぱい思い出だけじゃなく、その後の人生のほろ苦い現実も、同時に描いている。同時に味わっている私たち、青春の残骸を胸奥にしまっている私たち自身を描いています。
だから、この歌は50年以上も親しまれ、口ずさまれているんですね。1970年代以降の10代から50代、60代まで、みんなの同じ気持ちや経験を歌っている。たかだか21歳の荒井由実はそれを見通しているんですね。私は、全然、時代を見通すなんてことはできませんでした。そういう、すごい歌手のすごい歌なんですね。
はい、はい、長すぎましたね、いま、歌います、歌います。
話かけるように~ 揺れる柳の下を~
「はい、結構です。次の方、どうぞお」
「榊原里奈、17歳でえす。昭和の歌が好きなんでえ、工藤静香さんのMUGO・ん…色っぽいを歌います!」
「元気いいですね、ではどうぞ歌って」
(敬称略)
いや、まだ歌いません。曲紹介をしなくてはいけません。そうですよね?
彼女は1954年、昭和29年の生まれですから、現在60歳ちょうど、同級生みたいなもんです。1975年というと21歳、若いですねえ。私も若かった。
こんな歌い出しです。
悲しいことがあると 開く皮の表紙
卒業写真のあの人は 優しい目をしてる
1975年、昭和50年という時代は、新・旧が入り交じり、古いものが去り、新しい事がどんどんが起きてきた、ちょうど変わり目の時代です。いろいろなことがありました。
たとえば、サイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終わり、アメリカがはじめて戦争に負けました。イギリスでは、初の女性首相、サッチャー首相が誕生しました。インターネットの巨人となるマイクロソフトをビル・ゲイツが設立した年です。
日本の首相は、田中角栄さんが失脚して三木武夫さん。日本電信電話公社、いまのNTTが「プッシュ式公衆電話機」を発売した年です。それまではジーコジーコとダイヤル式でしたね。指でダイヤル回す仕草が、(電話するよ)でした。いまは、親指を耳に小指を口に当てますね。
この年のヒット曲は、布施明「シクラメンのかほり」、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」、沢田研二「時の過ぎゆくままに」などで、子門真人の「およげ!たいやきくん」が大ヒットしました。
矢沢永吉が最初に結成した伝説のロックバンドのキャロルが解散した年でもあります。というか、YAZAWAというソロになったわけで、それから50年も活躍しているわけですね。現在も放映している『秘密戦隊ゴレンジャー』(東映 - NET系)が放送開始された年でもあります。
ユーミンが「卒業写真」という曲を作り歌った1975年、昭和50年の出来事の中で、私が印象的だなと思ったのは、この年、集団就職列車の運行が終了したんですね。詰め襟の学生服やセーラー服で上野駅や東京駅に、就職のために地方から降り立つ中卒の少年少女の姿が消えました。集団就職列車が最後になったんですね。
もうひとつは、文房具メーカーのコクヨが「Campus」ノートを発売したんです。英語のロゴが入った水色とか黄色のパステルカラーの表紙でね。30年以上続くロングセラー商品になって、いまも文房具店のノート売り場の主流です。それまでは、大学ノートという、なんか帳簿でもつけるような、陰気くさい灰色のノートが主流でした。
つまり、集団就職列車が旧とすれば、「Campus」ノートが新ですね。中卒で就職する少年少女が激減して、その多くが高校に進むようになり、その高校生の半分くらいは大学に行きたいと思うようになった。豊かな時代になった象徴的な出来事じゃないかと思ったわけです。
中学を卒業して、義務教育を終えたら、工員や店員さんになって働く、子どもからいきなり大人になることから、ほとんどの若者が青春時代を経験する時代にはっきり変わったのです。これはたいへんな変わりようです。しかし、いいことばかりじゃありません。
恋愛すればふられることもあり、受験勉強に挫けてしまったりする。青春は現実に裏切られることも多いわけです。ユーミンの「卒業写真」は、さらに胸ふくらむ青春時代を過ぎてから、現実に裏切られ挫ける苦い思いが歌われているんですね。
歌は世に連れ、といいますが、時代の変化を先取りして、青春の甘酸っぱい思い出だけじゃなく、その後の人生のほろ苦い現実も、同時に描いている。同時に味わっている私たち、青春の残骸を胸奥にしまっている私たち自身を描いています。
だから、この歌は50年以上も親しまれ、口ずさまれているんですね。1970年代以降の10代から50代、60代まで、みんなの同じ気持ちや経験を歌っている。たかだか21歳の荒井由実はそれを見通しているんですね。私は、全然、時代を見通すなんてことはできませんでした。そういう、すごい歌手のすごい歌なんですね。
はい、はい、長すぎましたね、いま、歌います、歌います。
話かけるように~ 揺れる柳の下を~
「はい、結構です。次の方、どうぞお」
「榊原里奈、17歳でえす。昭和の歌が好きなんでえ、工藤静香さんのMUGO・ん…色っぽいを歌います!」
「元気いいですね、ではどうぞ歌って」
(敬称略)
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