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コタツ評論

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カルロ・リッツィについて

2017-05-04 03:36:00 | レンタルDVD映画
CATVでまた「ゴッドファーザー」を観てしまいました。アル・ネリについては以前に書いていますが、今回はコニーの暴力亭主でチンピラのカルロが印象に残りました。

アル・ネリはチョイ役といってもおかしくないほど出番がわずかなのに、この出来そこないの義弟カルロの出演場面は同様なフレドーより多いくらいです。

ソニーの人を見る目のなさとキレ具合、コニーの浅はかさと愚かさを際立たせるために重要な役割というだけでなく、カルロにはマフィアであるコルレオーネ家の歪みが投影されています。

完璧な家長であるビトーやその後継者である冷徹なマイケルの「強さ」を裏返した、後ろ向きの「弱さ」をカルロは体現していて、一家の罪と罰を引き受ける存在といえます。

市民良識の立場から一家を批判するのがマイケルの妻ケイだとすれば、マイケルに殺されるまでカルロは出来そこない続けることで異議申し立てしているかのようです。欲得からビトーを売ったポーリーとは違って、カルロの裏切りは「弱者」の生き残りをかけたものです。

ベルトでコニーをぶちのめしながら、「お前の一家は人殺しだ!」とカルロは叫びます。出来そこないの上に卑劣だから裏切ったというだけではなく、ケイがマイケルに食ってかかるように、カルロは裏切ることでマイケルに抵抗し、自分を守りたかったようにも思えます。

カルロに裏切りの自白を迫るマイケルはまるで異端審問官のようです。出来そこないとはいえ、妹の亭主であり名付け子の父親という家族の一員を手に掛けてしまう。ここでマイケルはコルレオーネ家の「原罪」を負うのです。

それはともかく、とるに足りない男になりきって、観客の印象から除外されるほど優れた助演力をみせたカルロ役(ジャンニ・ルッソ)は見事です。「ゴッドファーザー」の第一作が何度見ても飽きないのは、カルロのように脇役たちが充実しているからでしょう。

コルレオーネ一家ではテシオやクレメンザ、敵対者ではラスベガスの大物モー・グリーン、ハリウッドの大プロデューサーのウォルツ、五大ファミリーを束ねるバルジーニなどはもちろんのこと、葬儀屋やパン屋、ビトーが入院した病院の中年看護婦など端役に至るまで、俳優たちはよい仕事をしています。

それは下敷きとなった事実に基づく原作小説からもたされた入念な造形も背景にあってのことでしょうが、監督の強力な個性によるものと思えます。

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「ゴッドファーザー」メンバーの現在の姿です。トム・ヘイゲン(ロバート・デュバル)はまるで笠智衆みたいになっていますが、並みいるスターや名優に囲まれて真ん中で主役然としているのが、フランシス・コッポラ監督です。

もっとも撮影当時、スター俳優は落ち目だったマーロン・ブランドただ一人で、デニ―ロは売り出し中、アル・パチーノはまったくの新人に過ぎず、観客を呼べるほどではありませんでした。

今日では推しも推されもせぬ名作とされ、豪華大作と思われていますが、当初は低予算のB級実録やくざ映画として企画されたものでした。

にもかかわらず、大セットを組み上げ、大勢のエキストラを動かし、上映予定時間と当初予算をはるかにオーバーする無理を通し、結果的に端役に至るまで好演する機会を与えるほど、映画を底上げしたのはコッポラ監督のカリスマ性によるものでした。まさしく彼こそ、「ゴッドファーザー」でしょう。

ところで、気づきましたか。ちょっと心霊写真っぽいのです。コッポラ監督の右肩、コニー(タリア・シャイア)の左の肩にのせられた手を変に思いませんか。ソニー(ジェームス・カーン)が後ろから伸ばした手のようですが、遠近法が狂っているように位置がおかしく見えます。

(敬称略)







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