「亡くなった田中邦衛さんは、加山雄三さんの映画若大将シリーズで青大将を演じられ、ライバル役でいらっしゃいました」とアナウンサーが言いやがった。
アナウンサー氏が原稿を書いたか、構成台本にそう書かれていたのか不明だが、「ライバル役でいらっしゃいました」はないだろう。
「バカ丁寧」には他者への悪意は込められないものだが、この場合は、他者をバカにしてかかる丁寧といえる。
田中邦衛をいくぶん軽んじているようで、じつはニュースを、放送を軽んじている表れで、ようするに心底では視聴者をバカにしているからこそ、こんな低劣な原稿が本番にまかり通るわけだ。
誰が手を入れても、「亡くなった田中邦衛さんは加山雄三さんの映画若大将シリーズで、ライバル役の青大将を演じました」となるはず。
それはさておき、映画若大将シリーズが田中邦衛の代表作の一つであることは間違いない。
加山雄三という太陽に照らされて目立ってしまったニキビのように、自らの小心臆病卑怯にもがきながら挑み続け、つねに一敗地に塗れる「青大将」のイメージが田中邦衛のその後の役どころを予約した。
⑱帰ってきた若大将 / 手紙奪回作戦・東京編(1961)
最初に絡むおばさんは、悠木千帆という芸名だった頃の樹木希林である。田中邦衛ははじめから田中邦衛だったが、樹木希林も悠木千帆から変っていない。
むさくるしい容姿にして、弱者そのものの見苦しさの田中邦衛を、なんと大企業の社長御曹司に扮させるという二重のミスキャスティングには、あらためて考えさせるところがありそうだ。
けっして階層上位の強者ではありえず、弱者ながらも懸命に生きる田中邦衛のTVドラマの代表作が、「若者たち」(フジ 1966)の「太郎兄(たろうにい)」だろう。映画もつくられたが、TVドラマのほうが圧倒的によかった。
若者たち ザ・ブロード・サイド・フォー
映画 若者たち ③~金より強いんだ!人間は!!
田中邦衛をなんどか東横線で見かけたことがある。いつも座席には座らず、ドア近くに立っていた。まぶかに野球帽をかぶり、サングラスをつけた顔がいつもうつむき加減で、なるべく目立たないようにしている様子が見てとれた。
ただし、私はすぐに目をやってしまった。ジャンパーの肩にショルダーバックを下げた、ごくありふれた格好なのだが、白のスリムジーンズの裾が異様に短かかった。中年男がツンツルテンのスリムジーンズを穿いて、靴下さえを丸出しにしているのは、ちょっと驚くほど目立つものだ。
こんな珍妙なジーンズを穿いているのはどんな奴だろうと目を上に上げていって、あの特徴ある分厚い唇と長く伸ばしたモミアゲから、田中邦衛とわかった。やはり電車でよくみかけた川谷拓三もツンツルテンのスリムジーンズを愛用して、短足を強調していた。芸能界は変なものが流行する。
さて、弱者・弱虫の見苦しさを体現した田中邦衛に、狡猾冷酷をくわえた映画「仁義なき戦い」の暴力団幹部・槇原政吉役は、強烈な記憶を残した。
【田中邦衛名場面集】仁義なき戦い 1973
オドオドウロウロしながら、口を尖らせて責任逃れの言い訳を重ね、相手の様子を上目遣いにうかがい、そこに同情の色やうんざり眉を寄せたとみるや、一気に胸元にすがらんばかりに近づき、必死の表情で唾を飛ばさんばかりにかき口説く。一転、ふいと離れて立ち尽くし、伏し目がちに口篭(ごも)るように内心を吐露する。
弱者であり弱虫であること、その小心臆病をむしろ武器に相手を油断させ、隙あらば冷酷非情に裏切り陥れる。嘘と知りながら、生き残ろうとする懸命さに胸を打たれる。病気の犬のように眼は潤み、斜めにかしいだ卑怯者の立ち姿に哀愁さえ漂うのだ。
映画ゴッドファーザーに比すなら、フレド(ジョン・カザール)に匹敵する役柄と名演ではないか。
「若大将シリーズ」の「青大将」、「若者たち」の「太郎兄」をさらに陰影深くさせた「槇原政吉」役こそ、田中邦衛の集大成にして代表作だと思える。
おいおい、まさかこれで終わりではないだろうな。田中邦衛の代表作として、あれを忘れてやしませんか、という声も多いだろう。大変申し訳ないが、却下させていただく。
もちろん、田中邦衛はいつでもどこでも田中邦衛を熱演して、私たちを納得させてくれるのだが、あのドラマの脚本がどうにも我慢ならない。人によっては大御所、日本を代表するドラマ作家なのだろうが、私にはひどい過大評価にしか思えない。
あのドラマのむさくるしい五郎の見苦しい振舞いを見ていて、たとえば、あの名脚本家には「卑屈」というのが「下手に出る」くらいの理解しかないのがわかるのだ。あのドラマのファンにはとうてい納得できないだろうが、「変なの」と見過ごしていただきたい。
(敬称略)
アナウンサー氏が原稿を書いたか、構成台本にそう書かれていたのか不明だが、「ライバル役でいらっしゃいました」はないだろう。
「バカ丁寧」には他者への悪意は込められないものだが、この場合は、他者をバカにしてかかる丁寧といえる。
田中邦衛をいくぶん軽んじているようで、じつはニュースを、放送を軽んじている表れで、ようするに心底では視聴者をバカにしているからこそ、こんな低劣な原稿が本番にまかり通るわけだ。
誰が手を入れても、「亡くなった田中邦衛さんは加山雄三さんの映画若大将シリーズで、ライバル役の青大将を演じました」となるはず。
それはさておき、映画若大将シリーズが田中邦衛の代表作の一つであることは間違いない。
加山雄三という太陽に照らされて目立ってしまったニキビのように、自らの小心臆病卑怯にもがきながら挑み続け、つねに一敗地に塗れる「青大将」のイメージが田中邦衛のその後の役どころを予約した。
⑱帰ってきた若大将 / 手紙奪回作戦・東京編(1961)
最初に絡むおばさんは、悠木千帆という芸名だった頃の樹木希林である。田中邦衛ははじめから田中邦衛だったが、樹木希林も悠木千帆から変っていない。
むさくるしい容姿にして、弱者そのものの見苦しさの田中邦衛を、なんと大企業の社長御曹司に扮させるという二重のミスキャスティングには、あらためて考えさせるところがありそうだ。
けっして階層上位の強者ではありえず、弱者ながらも懸命に生きる田中邦衛のTVドラマの代表作が、「若者たち」(フジ 1966)の「太郎兄(たろうにい)」だろう。映画もつくられたが、TVドラマのほうが圧倒的によかった。
若者たち ザ・ブロード・サイド・フォー
映画 若者たち ③~金より強いんだ!人間は!!
田中邦衛をなんどか東横線で見かけたことがある。いつも座席には座らず、ドア近くに立っていた。まぶかに野球帽をかぶり、サングラスをつけた顔がいつもうつむき加減で、なるべく目立たないようにしている様子が見てとれた。
ただし、私はすぐに目をやってしまった。ジャンパーの肩にショルダーバックを下げた、ごくありふれた格好なのだが、白のスリムジーンズの裾が異様に短かかった。中年男がツンツルテンのスリムジーンズを穿いて、靴下さえを丸出しにしているのは、ちょっと驚くほど目立つものだ。
こんな珍妙なジーンズを穿いているのはどんな奴だろうと目を上に上げていって、あの特徴ある分厚い唇と長く伸ばしたモミアゲから、田中邦衛とわかった。やはり電車でよくみかけた川谷拓三もツンツルテンのスリムジーンズを愛用して、短足を強調していた。芸能界は変なものが流行する。
さて、弱者・弱虫の見苦しさを体現した田中邦衛に、狡猾冷酷をくわえた映画「仁義なき戦い」の暴力団幹部・槇原政吉役は、強烈な記憶を残した。
【田中邦衛名場面集】仁義なき戦い 1973
オドオドウロウロしながら、口を尖らせて責任逃れの言い訳を重ね、相手の様子を上目遣いにうかがい、そこに同情の色やうんざり眉を寄せたとみるや、一気に胸元にすがらんばかりに近づき、必死の表情で唾を飛ばさんばかりにかき口説く。一転、ふいと離れて立ち尽くし、伏し目がちに口篭(ごも)るように内心を吐露する。
弱者であり弱虫であること、その小心臆病をむしろ武器に相手を油断させ、隙あらば冷酷非情に裏切り陥れる。嘘と知りながら、生き残ろうとする懸命さに胸を打たれる。病気の犬のように眼は潤み、斜めにかしいだ卑怯者の立ち姿に哀愁さえ漂うのだ。
映画ゴッドファーザーに比すなら、フレド(ジョン・カザール)に匹敵する役柄と名演ではないか。
「若大将シリーズ」の「青大将」、「若者たち」の「太郎兄」をさらに陰影深くさせた「槇原政吉」役こそ、田中邦衛の集大成にして代表作だと思える。
おいおい、まさかこれで終わりではないだろうな。田中邦衛の代表作として、あれを忘れてやしませんか、という声も多いだろう。大変申し訳ないが、却下させていただく。
もちろん、田中邦衛はいつでもどこでも田中邦衛を熱演して、私たちを納得させてくれるのだが、あのドラマの脚本がどうにも我慢ならない。人によっては大御所、日本を代表するドラマ作家なのだろうが、私にはひどい過大評価にしか思えない。
あのドラマのむさくるしい五郎の見苦しい振舞いを見ていて、たとえば、あの名脚本家には「卑屈」というのが「下手に出る」くらいの理解しかないのがわかるのだ。あのドラマのファンにはとうてい納得できないだろうが、「変なの」と見過ごしていただきたい。
(敬称略)
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