ネットで検索すると、以下のような見出しが躍っているわけだ。中身を読んでみても、京都地裁が在特会に対して、朝鮮初級学校へのヘイトスピーチを禁じて、賠償を命じたように読める。
10月7日(月) 23時7分(毎日新聞)
<ヘイトスピーチ賠償命令>「安心して学べる」保護者、安堵
10月7日(月) 12時22分(産経新聞)
朝鮮学校への街宣は「人種差別」 京都地裁が在特会側に賠償命じる
013年10月07日13時23分(朝日新聞デジタル)
「ヘイトスピーチ」は人種差別 地裁が在特会に禁止命令
いわゆるヘイトスピーチをすると、これからは訴えられて賠償金を払わなければならなくなるのかと早合点しそうだが、どうもそういう判決ではなさそうだ。
在特会が学校至近で大音量の街宣活動をして「人種差別発言」を繰り返したことで、授業をはじめとする学校運営に支障を来したことを「威力業務妨害」、その模様を動画に撮影してYoutubeなどに投稿したことで「名誉毀損」、と民法709条の不法行為に基づく判決のようだ(判決全文は未読)。
したがって、京都地裁が在特会の主張を「ヘイトスピーチ」や「人種差別発言」と認定したわけではなく、ましてや「ヘイトスピーチ」や「人種差別発言」という行為自体に、「賠償」を命じたわけではない(と新聞記事をよくよく読むとわかる)。
むしろ、以下の判決文の一部では、在特会側の「人種差別発言」でさえ、新たな立法を待たなければ、賠償を命じることはできない、とさえ読める。
例えば、一定の集団に属する者の全体に対する人種差別発言が行われた場合に、個人に具体的な損害が生じていないにもかかわらず、人種差別行為がされたというだけで、裁判所が当該行為を民法709条の不法行為に該当するものと解釈し、行為者に対し、一定の集団に属する者への賠償金の支払を命じるようなことは、不法行為に関する民法の解釈を逸脱しているといわざるを得ず、新たな立法なしに行うことはできないものと解される。条約は憲法に優位するものではないところ、上記のような裁判を行うことは、憲法が定める三権分立原則に照らしても許されないものといわざるを得ない。(判決文66頁「5」)
では、京都地裁は反人種差別立法を求めているのかといえば、そう単純なことでもなさそうだ。「条約は憲法に優位するところではない」「三権分立原則に照らしても許されない」と人種差別撤廃条約をそのまま援用することを斥けている。
「ヘイトスピーチ(憎悪表現)を司法が初めて「人種差別で違法」(毎日新聞)と人権派やリベラルは、日本の民主主義が「前進」したように喜んでいる様子だが、京都地裁判決は現行法を適用しただけであり、ヘイトスピーチ一般への具体的な規制や賠償などについては、きわめて消極的と読めるものだ。
むしろ、民法709条の不法行為を構成する被害(財産権の侵害や精神的苦痛)の「賠償」要件から逸脱すると戒めている。つまり、人種差別撤廃条約を背景とする新たな立法がされるとしても、既存の民法と抵触する虞れがあるわけだ。
というより、なんでもかんでもヘイトスピーチと訴えられては困ると釘を刺したと読むのが妥当ではないか。そして、在特会のような「ヘイトスピーチ」については、現行法でもじゅうぶんに対処できる、と私はこの判決文を読んだ。
いわゆる「ヘイトスピーチ」にはもちろん反対だが、「ヘイトスピーチ」という言葉の使用にも、私は反対する。「人種差別(発言)」でじゅうぶんではないか。まず「ヘイトスピーチ」では子どもや老人にはわかりづらいし、なじまない。私は小学校からの英語教育にも反対だ。「朝鮮人差別はいかんよ」という老人には耳を傾けたいが、「ヘイトスピーチ云々」という老人に出くわしたら、通り過ぎるのを待ちたい。
とりあえず、京都地裁判決には賛成。しかし、まさか、「ヘイトスピーチ」という言葉は使っていないだろうね、裁判長。
とまあ、コタツ評論ですが、以下は、専門家のご意見。
平成25年10月7日京都地方裁判所判決(朝鮮学園vs在特会)をどう読むか?
http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2013/10/vs-95f0.html
10月7日(月) 23時7分(毎日新聞)
<ヘイトスピーチ賠償命令>「安心して学べる」保護者、安堵
10月7日(月) 12時22分(産経新聞)
朝鮮学校への街宣は「人種差別」 京都地裁が在特会側に賠償命じる
013年10月07日13時23分(朝日新聞デジタル)
「ヘイトスピーチ」は人種差別 地裁が在特会に禁止命令
いわゆるヘイトスピーチをすると、これからは訴えられて賠償金を払わなければならなくなるのかと早合点しそうだが、どうもそういう判決ではなさそうだ。
在特会が学校至近で大音量の街宣活動をして「人種差別発言」を繰り返したことで、授業をはじめとする学校運営に支障を来したことを「威力業務妨害」、その模様を動画に撮影してYoutubeなどに投稿したことで「名誉毀損」、と民法709条の不法行為に基づく判決のようだ(判決全文は未読)。
したがって、京都地裁が在特会の主張を「ヘイトスピーチ」や「人種差別発言」と認定したわけではなく、ましてや「ヘイトスピーチ」や「人種差別発言」という行為自体に、「賠償」を命じたわけではない(と新聞記事をよくよく読むとわかる)。
むしろ、以下の判決文の一部では、在特会側の「人種差別発言」でさえ、新たな立法を待たなければ、賠償を命じることはできない、とさえ読める。
例えば、一定の集団に属する者の全体に対する人種差別発言が行われた場合に、個人に具体的な損害が生じていないにもかかわらず、人種差別行為がされたというだけで、裁判所が当該行為を民法709条の不法行為に該当するものと解釈し、行為者に対し、一定の集団に属する者への賠償金の支払を命じるようなことは、不法行為に関する民法の解釈を逸脱しているといわざるを得ず、新たな立法なしに行うことはできないものと解される。条約は憲法に優位するものではないところ、上記のような裁判を行うことは、憲法が定める三権分立原則に照らしても許されないものといわざるを得ない。(判決文66頁「5」)
では、京都地裁は反人種差別立法を求めているのかといえば、そう単純なことでもなさそうだ。「条約は憲法に優位するところではない」「三権分立原則に照らしても許されない」と人種差別撤廃条約をそのまま援用することを斥けている。
「ヘイトスピーチ(憎悪表現)を司法が初めて「人種差別で違法」(毎日新聞)と人権派やリベラルは、日本の民主主義が「前進」したように喜んでいる様子だが、京都地裁判決は現行法を適用しただけであり、ヘイトスピーチ一般への具体的な規制や賠償などについては、きわめて消極的と読めるものだ。
むしろ、民法709条の不法行為を構成する被害(財産権の侵害や精神的苦痛)の「賠償」要件から逸脱すると戒めている。つまり、人種差別撤廃条約を背景とする新たな立法がされるとしても、既存の民法と抵触する虞れがあるわけだ。
というより、なんでもかんでもヘイトスピーチと訴えられては困ると釘を刺したと読むのが妥当ではないか。そして、在特会のような「ヘイトスピーチ」については、現行法でもじゅうぶんに対処できる、と私はこの判決文を読んだ。
いわゆる「ヘイトスピーチ」にはもちろん反対だが、「ヘイトスピーチ」という言葉の使用にも、私は反対する。「人種差別(発言)」でじゅうぶんではないか。まず「ヘイトスピーチ」では子どもや老人にはわかりづらいし、なじまない。私は小学校からの英語教育にも反対だ。「朝鮮人差別はいかんよ」という老人には耳を傾けたいが、「ヘイトスピーチ云々」という老人に出くわしたら、通り過ぎるのを待ちたい。
とりあえず、京都地裁判決には賛成。しかし、まさか、「ヘイトスピーチ」という言葉は使っていないだろうね、裁判長。
とまあ、コタツ評論ですが、以下は、専門家のご意見。
平成25年10月7日京都地方裁判所判決(朝鮮学園vs在特会)をどう読むか?
http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2013/10/vs-95f0.html
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