関東は雨の日が続いています。今日は12月中旬の気温だそうです。
「命より大事な仕事など、この世にない」両親会見
http://www.asahi.com/articles/ASKBF5TYZKBFULFA033.html
電通社員やNHK記者の過労死事件について、正直、あまり関心はなかった。
どちらも業界最大手にして高給で知られるエリート企業で、「個人事業主」的な過酷な職務があることは知っていたし、とくにそれを異常とは思わず、当たり前くらいに思っていたからだ。
若い新聞記者などは、「時給換算すると、コンビニの店員くらいですかね」と苦笑するほど、勤務時間が長いというより、ほとんど家には帰れない。
「サツ回り」と呼ばれる「夜討ち朝駆け」に励めば、夜は12時過ぎまで、朝は4時くらいから、警察幹部の家々を訪ね、その帰宅を待ち構える日課を何年も続けるものだ。世間でもっとも人好きのしない警察官相手に。
率直に言えば、同情心も薄かった。この佐戸未和さんの同僚のように。
未和の100カ日の法要に都庁クラブの同じチームの方もみえました。その夜の会食の席で、家内がその方に「未和は我が家のエースでした」と言いました。その方は、びっしり埋め込んだ自分の手帳を見せながら、こう言われました。「要領が悪く、時間管理ができずに亡くなる人はエースではありません」。同じ職場にいた方の言葉とも思えませんが、当時の都庁クラブのチームワークの実態を垣間見る思いがします。個人事業主の意識の強いグループで、一番弱い未和が犠牲になったのではないかと思うと、親としてはやりきれません。
ほんとうの個人事業主はもっと辛い。日本人の自殺率の高さの何割かは、生命保険金目当ての個人事業主が占めるだろうし、その下で働けば、雀の涙ほどの給料で「激務」をこなしている人も少なくない。
実際、中小のブラック企業では過労死や自殺に追い込まれる社員が相次いでいる。しかるに、監督官庁はその企業名を公表せず、そうした企業から広告を受注しているマスコミもそれに倣っている。
労基局が捜索に入ったり、労組があるようなエリート企業で、若い女性の過労死だったからニュースになった側面は否めない。結局、電通に科されたのは、たった50万円の罰金に過ぎなかった。
安倍首相の「働き方改革」に便乗した、労基局や労組のアピール効果はあっただろうが、実際的な抑止効果や防止対策はほとんどない。
「よくあること」が「いつものような」「茶番劇」で終わった。そこでお茶を濁したかったのだが、次を読んでいて、やはり涙を禁じえなかった。未和さんはけっして、「要領が悪く、時間管理ができず」の人ではなかった。
その後、未和の引っ越しに次女と2人で手伝いに行ったときには驚きました。暑い夏の盛りに、私たちはただぼーっとテレビをみている間に、未和は1人でちゃちゃっと立ち働き、ハヤシライス、キュウリトマトのサラダをつくってくれたのです。学生時代の未和からは考えられない手早さに、仕事が人間をつくるってこういうことなんだなあと感心しました。また、後にも先にもたった1回だけ実家に泊まりにきてくれたことがありました。私がいろいろと作った夕食をまるで飲むように平らげ、ささっとカラスの行水。自分でヨガを済ませると、すぐお布団へ。あまりのスピードぶりにぽかんとしていると、未和は「記者は早飯、早なんとかで、食べられるときに食べ、寝られるときに眠るんだ。ママも早く寝てよ」と言ったのでした。彼女は眠ったあと、私は天にも昇る気持ちで、未和がいとおしくて、いとおしくて、眠るのがもったいなく、いつまでもおでこをなでていました。未和のにおい、未和の体の温かさ、私はこれからも忘れることはありません。
そう言い返したかったご両親の無念を思う。そして、未和さんやご両親、この記事の書き手や私をも含め、私たちが「仕事が人間をつくる」という抑圧的な通念に囚われていることにも気づく。
「仕事が人間をつくる」のではなく、「人間が仕事をつくる」のが当たり前なはずだ。この事実と歴史は忘れ去られ、人間が主体ではない「ひとでなし」世界がどこまでも広がり続いていくことに、途方に暮れて泣きたくなった。
(止め)
「命より大事な仕事など、この世にない」両親会見
http://www.asahi.com/articles/ASKBF5TYZKBFULFA033.html
電通社員やNHK記者の過労死事件について、正直、あまり関心はなかった。
どちらも業界最大手にして高給で知られるエリート企業で、「個人事業主」的な過酷な職務があることは知っていたし、とくにそれを異常とは思わず、当たり前くらいに思っていたからだ。
若い新聞記者などは、「時給換算すると、コンビニの店員くらいですかね」と苦笑するほど、勤務時間が長いというより、ほとんど家には帰れない。
「サツ回り」と呼ばれる「夜討ち朝駆け」に励めば、夜は12時過ぎまで、朝は4時くらいから、警察幹部の家々を訪ね、その帰宅を待ち構える日課を何年も続けるものだ。世間でもっとも人好きのしない警察官相手に。
率直に言えば、同情心も薄かった。この佐戸未和さんの同僚のように。
未和の100カ日の法要に都庁クラブの同じチームの方もみえました。その夜の会食の席で、家内がその方に「未和は我が家のエースでした」と言いました。その方は、びっしり埋め込んだ自分の手帳を見せながら、こう言われました。「要領が悪く、時間管理ができずに亡くなる人はエースではありません」。同じ職場にいた方の言葉とも思えませんが、当時の都庁クラブのチームワークの実態を垣間見る思いがします。個人事業主の意識の強いグループで、一番弱い未和が犠牲になったのではないかと思うと、親としてはやりきれません。
ほんとうの個人事業主はもっと辛い。日本人の自殺率の高さの何割かは、生命保険金目当ての個人事業主が占めるだろうし、その下で働けば、雀の涙ほどの給料で「激務」をこなしている人も少なくない。
実際、中小のブラック企業では過労死や自殺に追い込まれる社員が相次いでいる。しかるに、監督官庁はその企業名を公表せず、そうした企業から広告を受注しているマスコミもそれに倣っている。
労基局が捜索に入ったり、労組があるようなエリート企業で、若い女性の過労死だったからニュースになった側面は否めない。結局、電通に科されたのは、たった50万円の罰金に過ぎなかった。
安倍首相の「働き方改革」に便乗した、労基局や労組のアピール効果はあっただろうが、実際的な抑止効果や防止対策はほとんどない。
「よくあること」が「いつものような」「茶番劇」で終わった。そこでお茶を濁したかったのだが、次を読んでいて、やはり涙を禁じえなかった。未和さんはけっして、「要領が悪く、時間管理ができず」の人ではなかった。
その後、未和の引っ越しに次女と2人で手伝いに行ったときには驚きました。暑い夏の盛りに、私たちはただぼーっとテレビをみている間に、未和は1人でちゃちゃっと立ち働き、ハヤシライス、キュウリトマトのサラダをつくってくれたのです。学生時代の未和からは考えられない手早さに、仕事が人間をつくるってこういうことなんだなあと感心しました。また、後にも先にもたった1回だけ実家に泊まりにきてくれたことがありました。私がいろいろと作った夕食をまるで飲むように平らげ、ささっとカラスの行水。自分でヨガを済ませると、すぐお布団へ。あまりのスピードぶりにぽかんとしていると、未和は「記者は早飯、早なんとかで、食べられるときに食べ、寝られるときに眠るんだ。ママも早く寝てよ」と言ったのでした。彼女は眠ったあと、私は天にも昇る気持ちで、未和がいとおしくて、いとおしくて、眠るのがもったいなく、いつまでもおでこをなでていました。未和のにおい、未和の体の温かさ、私はこれからも忘れることはありません。
そう言い返したかったご両親の無念を思う。そして、未和さんやご両親、この記事の書き手や私をも含め、私たちが「仕事が人間をつくる」という抑圧的な通念に囚われていることにも気づく。
「仕事が人間をつくる」のではなく、「人間が仕事をつくる」のが当たり前なはずだ。この事実と歴史は忘れ去られ、人間が主体ではない「ひとでなし」世界がどこまでも広がり続いていくことに、途方に暮れて泣きたくなった。
(止め)
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