コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

読書の秋におすすめ

2011-11-21 07:55:00 | ノンジャンル

著者近影(こんなブサ面なのに、彼女がいるとは!)

とても優れた文芸作品。レスとその返事も含めて完成度が高い。京極夏彦と舞王城太郎を読んでいるくらいで(読んだことないのだが)、「バックレ」場面のカタルシスをこれほど巧みに描けるのかと感服。下手な小説や映画、TVドラマなんて及びもつかないが、この水準のものが、ネットにはいくらもありそうなところが怖ろしい。清ちゃんも、もっとボコられなけりゃ、ダメだな。

2ヶ月間で8回ボコられた話を聞いてくれhttp://vipsister23.com/archives/4335311.html
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カーネーション

2011-11-19 22:34:00 | ノンジャンル


NHK朝の連ドラ「カーネーション」が好調だ。昭和初期の大阪岸和田を舞台に、貧乏なというほどではないが、傾いた呉服店の長女が洋裁店を開いて成功するまでの奮闘記。親子兄弟、近所の人々が助け合い支え合う様子に、女の出世と自立をからませ、日本人が大好きなおなじみの筋立て。しかし、お茶の間はとっくに払底しているはず。みんなどんな風に、このお茶の間ドラマを観ているのだろうか。

俳優陣が好演している。まず、小原糸子役の尾野真千子。私のとっては初お目見えだが、どこにこんな巧い娘がいたのか。お母さん役の麻生祐未も新境地。ライバルの栗山千明も美しい。十朱幸代がお婆さん役をするようになったかと感慨。宝田明もよい味だ。しかし、もっともすばらしい演技を見せているのは、正司照枝おばあちゃんである。きっと、これから正司照枝にキャスティングが相次ぐだろう。

残念ながら、娘にも嫁にも、母親にも食われているのが、小林薫だ。戦前の男が似合うショーユ顔から起用されたのだろうが、大阪の男の軽味や父の哀しみ、そこから漂う男の色気を少しも感じさせず、ただのバカ親父になってしまっている。CMばかり出ているから、こんな体たらくになる。おかげで、理不尽な父に反発しながら愛している糸子の説得力を減じさせている。これで正司照枝が出演していなかったら、ただの「お茶の間コント」である。

唐十郎の状況劇場に属していた頃から、人気では根津甚八にはるかに及ばなかったが、この父親役を根津甚八に演らしたらと考えてみると、あの華のある笑顔が浮かんだ。病気らしいが、ライバルだった根津甚八が元気なら、小林薫もこうまで無様な姿は晒さなかったのではないか、と二人の俳優を惜しむ気持ちになった。

(敬称略)

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福島第一原発の近影

2011-11-18 06:35:00 | 3・11大震災
私たち日本人はどうしても、原発に原爆イメージを重ねるところがある。広島の原爆ドーム丸木位里の凄惨な絵が思い浮かぶ。若い世代なら、マンガ「はだしのゲン」の描線だろうか。

英語を読み書きする人も、Nuclear Power から、やっぱり Nuclear bomb を連想し、あの盛り上がる巨大なキノコ雲を思い浮かべてきたのだろうか。311以降は、骨組みを晒した四角な残骸がそれにくわわったのだろうか。

2011年3月11日14時46分、三陸沖でマグニチュード9.0の地震が発生し、その直後の15時41分、福島第一原発の1号機、2号機、3号機のディーゼル発電機が故障停止した(福島第一原発事故の正確な事故発生時間は確定していない)。

この鮮明な画像は、7か月後の10月12日に撮影された。そこでは地震や津波とは別の、凄まじい自壊が起きたことがわかるだけでなく、あたりの原風景を変えてしまったことがわかる。そして、そのなかで私たちが生きていかなくてはならないことも。

Fukushima Daiichi Nuclear Power Station
12 November 2011
http://cryptome.org/eyeball/daiichi-111211/daiichi-111211.htm
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TPP中国抑止論

2011-11-16 22:20:00 | ノンジャンル


TPP擁護論には、「自由貿易は大切だ」というほかに、「中国を抑制する」というのもある。これは後者に属するものだが、なおかつ野田首相の外交手腕を高く評価している珍しい記事だ。

【佐藤優の眼光紙背】アメリカに対して異議申し立てをきちんとする野田佳彦首相を外務官僚は全力で支えよhttp://news.livedoor.com/article/detail/6029235/
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ナベツネはいつからナベツネだったのか。

2011-11-15 21:35:00 | ノンジャンル


ナベさんとか、ツネさんと呼ばれる人は、全国にたくさんいるだろうが、「ナベツネ」といえば、この人しかいない。

渡邉恒雄、1926年(大正15年)生まれ、85歳。読売新聞グループ本社代表取締役会長兼主筆、株式会社読売巨人軍代表取締役会長。旭日大綬章。「読売のドン」「日本球界のドン」「政界フィクサー」として知られ、その傲岸不遜の独裁者的な振る舞いから、通称、「ナベツネ」と呼ばれる。

この「ナベツネ」とは、けっして、愛称ではないはずだ。「ナベツネさんが、こういった、あんなことをした」と敬愛を込めて語られるという場面は、ちょっと想像できない。しかし、「ナベツネ」もあの仏頂面の85歳で生まれてきたわけではない。信じられないが、彼にも青年の日々があった。そのとき、「ナベツネ」は愛称だった。いや、やはり、通称だったかもしれない。

実は、「ナベツネ」は、あの「ミヤケン」(上掲写真)になりそこねたのである。「ミヤケン」こと宮本顕治は、元日本共産党議長。やはり、「ミヤケンさんが」と敬愛を込めて語られるという場面は、ちょっと想像できない、日共の独裁的指導者だった。そして、もしかすると、「ナベツネ」は「ミヤケン」の後を継いで、日本共産党委員長「ナベツネ」となり、「代々木のドン」と呼ばれていたかもしれない。

昭和21年(1946年)、「ナベツネ」こと渡邉恒雄は、東大新人会を率い、日本共産党東大細胞のキャップであった(今日流にいえば、日本共産党東大支部長ですね)。その青年時代から、「ナベツネ」は「ナベツネ」と呼ばれていた。その前に、敗戦直後の昭和21年当時、日本共産党員にして、東大細胞のキャップがどういう立場だったか。今日では、ちょっと想像できないかもしれない。

ある意味では、現在の85歳「ナベツネ」より、当時の21歳「ナベツネ」のほうが、エラかった。東大細胞のキャップは、全国の学生運動の、というより、日本の大学生の頂点だった。それくらい、当時は、マルクス主義全盛、ソ連は労働者の祖国、スターリンは比類なき世界の指導者、日本共産党は輝ける前衛党、「空想から科学へ」、資本主義から共産主義への未来は科学的な必然であり、日本は「革命前夜」であった。

今日からみれば、理解に苦しむばかりだが、その時代にあって、「ナベツネ」の名は全国に轟いていた。現在のような悪名としてではなく。「ナベツネ」が一声かければ、東大の学生だけでなく、全国の学生数千人が馳せ参じるのである。1947年に起きた「吉田内閣打倒」を掲げる日本初のゼネラルストライキである二・一ゼネストでは、学生代表として「ナベツネ」は演説しているくらいだ。

ところが、「ナベツネ」は、その後、大躍進することになる日本共産党の幹部をめざさなかった。翌22年、「ナベツネ一派」は、日本共産党中央指導部を批判して、除名処分になっている。このあたりは、ややこしい日共の路線問題の確執があり、その背景には戦後思潮の転換などがあるわけだが、解説するのは私には荷が重いし、あまり興味もない。一言でいうと、「ナベツネ」は社会民主主義に接近し、反スターリニズムに傾いていた。

それからの「ナベツネ」は、ご存じのとおり、読売新聞に入社して、「将来は社長になる」と広言する政治部記者になり、自民党保守政治家に食い込んで頭角を顕わしていくのだが、東大の学生時代から、新聞記者時代を通じて、日本共産党の同志や学生仲間たち、読売の同僚たちからも、ずっと、陰では「ナベツネ」と呼ばれ続けてきた。やっぱり、若い頃から傲岸不遜で嫌なやつだったらしい。

徳望に欠けたにもかかわらず、現在の「ナベツネ」になったのだから、その辣腕を認めないわけにはいかない。「ナベツネ」と陰口を叩くところからすでに負けているのである。学生時代からは、180度変わっているはずなのに、「ナベツネ」に思想的な「転向」にともなう、懊悩といったものはうかがえない。「ナベツネ」はつねに権力を望んだだけにみえる。

日本共産党員時代も、人民に権力を、ではなく、俺に権力を、そんな風に思える。そこが逆に「ナベツネ」の強さに思えるが、そんなありきたりな「ナベツネ」分析はどうでもよくて、本題はここからだ。いや、すぐに終わります。つまり、「ナベツネ」は、戦後の左翼学生の軌跡に先んじていた。60年安保のブント、70年の全共闘、「挫折」して企業社会に組み込まれ「社畜」となる戦後世代の大先輩であり、そして「勝ち組」であると。

だから、マスコミに入るような人間は、どこか「ナベツネ」に萎縮し、畏怖して批判ができない。「ナベツネ」も気持ちよく彼らを「小僧」扱いできる。心の底では、もう少し人望のある「ナベツネ」になら、実は「小僧」もなりたかった。そういう、ある予定調和と劣情のうえに、「ナベツネ」が君臨してきたわけ。「ナベツネ」が悪いというより、「ナベツネ」を許すという形で、保身に走ってきた団塊の世代までが悪いのだ、というお粗末。

(敬称略:だから結局、「ナベツネ」は愛称なのである。「ナベツネ」に投影される自己愛の別称なのだ)



ナベサダは元気かしら。
コメント (2)
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