コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

ゆうだけ番長キョドる

2012-08-19 01:36:00 | 政治


今朝の日本TVの『ウェークアップ!ぷらす』という番組をチラ見していたら、ちょっと驚くやりとりがあった。中継画像に猪瀬直樹都副知事が出演していて、めずらしくネクタイを締めていたので何を言うかと思ったら、「ちょっとその前にお聞きしたいんだが、前原さん、先ほど実力でとおっしゃった。これはどういう意味ですか?」とスタジオにいる民主党の前原誠司政調会長に質問した。突っ込みどころとなると、冷静さを印象づけるために小さめな声になるのが、かつてジャーナリストとして鳴らした猪瀬らしい。

都庁舎から中継している猪瀬の画面が、スタジオの前原や司会の辛抱治郎の背後に大きく映し出されている。発言したときには、TV画面には正面を向いた猪瀬一人しか映っていない。「竹島を実力で取り戻すという、その実力とはどういう意味ですか?」と「カメラ目線」になると、前原より視聴者へ直に問われている感じになる。スタジオの横並びの一人としての発言なら、どんな極論や暴言も一瞬のショーくらいに聞き流すのだが、ちょっとギクリとしたものだ。

そのせいか、手元のモニターを視聴者と同様に見ていたはずの前原は、ひどくあわてた。聞き間違いのないくらい、噛んで含めるように猪瀬は尋ねたのに、「えっ、どういう意味ですか?」と尋ね返した。その前原の様子は、まさに「キョドって」いた。よく聴こえなかったかのように、わざとらしくイヤホンに手を添えながら、「おっしゃっている意味がよくわからないのですが・・・」と付け足した。「いや、だからね、あなたが先ほど、実力でとおっしゃった、その意味を訊いているんですよ」と繰り返す猪瀬。

「それは武力行使という意味ですか?」とまるで猪瀬が竹島奪還に武力行使も検討せよ、といったかのように憤慨の口調になる前原。明らかに支離滅裂な返答を見かねた司会の辛抱治郎が割って入り、猪瀬に、「そういう意味(武力行使)で前原さんはおっしゃったんじゃないと思いますよ、ねえ」と前原を見やる。前原は口をとんがらしてうなづき、ようやく都政問題に話題が変わった。番組収録後、前原は辛抱に、「先ほどはどうも」くらいはいって、辛抱は「いや、猪瀬さんも人が悪い」くらいは返したかもしれない。

そんなところまで想像しながら、つくづく、しみじみ、この前原某とか、岡田某とか民主党首脳陣はダメだなあと思った。前言を翻すようで申し訳ないが、前原某に比べれば、野田首相は英明といってよいと思ったほどだ。もちろん、前原某を政調会長にしたのは野田首相なのだから、あきらかに不明というべきなのだが、いささか同情心すら覚える。karaさんではないが、いまごろ泥鰌は噛むべき臍(ほぞ/へそ)を探して腹をさすっていることだろう。

あらためていうまでもないと思うが、このやりとりでどこがダメだったか。まず第一に、突発的な質問に対処できない、頭の回転の遅さを露呈してしまったことだ。猪瀬の質問は、予定外のアドリブだったろう。それにあわてた。予定外の質問くらいにあわてるような政府首脳が、はたして国家の想定外の危機に対応できるかどうか。

第二に、前原が出演した目的は、民主党きってのタカ派らしく、韓国大統領の軽挙妄動に、「実力行使」の牽制球を投げ、併せて天皇土下座せよ発言に怒る国民の求心力を民主党政府の「断固たる対応」への期待に引き寄せる目的だったはず。ところが、猪瀬から、「実力」の中身を問われて口をモゴモゴさせる始末。誰しもが武力行使を念頭に浮かべる「実力」という言葉を使う以上、その武力行使以外の具体的な中身を問われることは、当然想定内だったはずだ。前原某は、想定内の質問にも答えられなかった。

よって、第三はいうまでもない。韓国や中国の当事者は、すみやかにこう結論するだろう。日本は、武力行使どころか、「実力」のオプションも実はない。どのような侮日挑発を継続しても問題はない。前原某の役割は、日本が持っているカードをちらつかせることにあったのだが、なんと持っていないカードを見せてしまった。常人にはできないことだ。こういう人を世間一般では、何者と呼ぶのでしょうか。正解された方には、もれなく民主党のマニュフェストパンフを進呈します。奮ってご応募ください。

(敬称略 一部匿名)
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蝉死暮れ

2012-08-17 01:35:00 | ノンジャンル


連日、マスコミとネットは韓国叩きでおお賑わい。みんな李明博大統領が大好きですね。僕はあんな発言をする元首は持ちたくないが、みんな韓国や中国に向けて、李明博大統領みたいな発言や行動を実はしてもらいたいわけでしょうね。「弱腰外交」って批難はそういう願望の裏返しですね。でも、希望はあります。あなたたちには、橋下徹大阪市長がいます。彼なら、「毅然とした態度」で「断固たる処置」をしてくれるはず。よかったですね。

ヤマ感ですけどね、五輪サッカーの韓国代表の処分は穏便なものになると思います。みんなが期待するような、銅メダル剥奪まではいかないんじゃないかな。理由は、韓国は欧米でこれまでいっしょうけんめいにロビー活動してきたからです。日本はな~んにもしてきてない。名刺交換すらしてないでしょう。日本のエリートはほんとうに働かなくなりました。昔も働かなかったが、いまはけんめいに働いている振りをするだけ。かなり以前から、日本の最大の弱点はそこだなと僕は思ってきました。

くらべて下層はよく働いてます。居酒屋の呼び込みやコンビニやファミレスの店員、セールスマン。パートやアルバイト、派遣、契約、そして名ばかりの正社員が、これほどまじめに働く例は日本のほかにないと思う。下層が売り上げや利益の責任を負い、上層は負わない。上層になればなるほど、ほとんどの責任を免れる。その結果、日週月今期の成績に現場は血眼になっているが、会社の存続や成長を真剣に考えている者が誰もいない。だから下層は、橋下徹大阪市長や石原慎太郎都知事や李明博大統領が大好きなんでしょう。あんな人が上役だったらいいなと思う。

その気持ちはわかる。わからないやつの気持ちがわからないくらい、よくわかります。でも、会社は日本じゃないし、日本は会社じゃない。韓国や中国は競合他社じゃなくて、一衣帯水の隣国です。どんな大企業より、日本のほうが大きい。あの東電より、日本が大事ということはよくわかったじゃないですか。その日本は、アメリカやロシア、ヨーロッパとは闘っても、アジアとはけっして闘わない。それは戦後だけでなく、戦前から変わらぬ日本のレゾンデートルなのです。戦中に大きく間違ったが。

<span style="font-weight:bold">蝉死呉れと鳴く子猫(こ)かな
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Smoke Friends House

2012-08-13 01:23:00 | 一服所


この炎暑に渋谷の人混みを歩いていると、ひんやりした空気の流れる静かな場所で、氷を浮かせたジンジャエールを喉に流し込んだら、と思うわけです。しかし、「文化果つる」渋谷にそんなところはありません。その反対の場所ならたくさんあるのですが。

そこで、ひさしぶりに一服所のご紹介です。砂漠のオアシスには、行ったことも見たこともないけれど、喫煙者にとってはまさにそこです。一服どころか、何服しようが、気がねいらずの全席喫煙可。そのうえ、珍しい銘柄の手巻き煙草を無料で振る舞ってくれます。

渋谷駅から5分。246を渡って明治通りを恵比寿方向へ歩いて右の並び、コンビニのサンクス隣のビルの2階ですベラスケスという名のすばらしい、画家とボクサーと音楽家を輩出した豊かな色彩文化のメヒコながら、躍動するイエローのユニフォームに比べ、黒髪に濃いグリーンのユニフォームはピッチではどうしても地味に映ります。

ブラジルの得点は時間の問題に思えましたが、結果は周知のとおり。2得点以外にも絶好の好機は3度もあったほどでした。もちろん私は、メキシコの金メダルをすでに知っていたのですが、店主は知らないらしく、シュートのたびに歓声と落胆の声を上げています。客は私一人なので、「メキシコの勝ちですよ」ともいえず、店主の応援に合わせていました。とはいえ、スポーツニュースで結果を知っていただけで、試合を観るのははじめてでしたから、実際、メキシコが勝つとはとても思えないくらい、ブラジルの黄色い豹のような突破には目を丸くしていました。

さて、シンプルなインテリアの店内に腰を落ち着けると、やはりジンジャエール(500円)を注文しました。「開店したばかりのBARのきれいな空気が好きだ」といったのは放蕩児テリー・レノックスですが、自転車に乗って路上禁煙区域だらけの渋谷にやってきたフィリップ・マーロウとしては、とりあえずタバコをくわえたいばかりです。「フレーバーか、ノンフレーバーか、どちらにしますか?」と店主が尋ねてきます。この店は、お勧めの手巻き煙草を巻いてくれるのです。煙草の銘柄などわかりませんが、匂い付きのことなら、焼酎から女性まで、私は匂い付きを好みます。もちろん、ほどほどにですが。

「フレーバーでお願いします」。最初はマンゴー、つづいてエスプレッソ、それからパイナップル、それぞれの香りがする手巻き煙草を楽しみました。いつも吸っているマルボロに比べれば、1/2ほど細くて1/3ほど短めなのに、ずっと長く保たすことができます。本来の煙草は、こんな風にゆったりくゆらせ、のんびり吸うものなんだなとわかりました。ストレス解消のためや口唇愛期の幼児のように、せわしなくフィルターに吸いつくのでは味や香りをだいなしにするようです。

店主が巻いてくれるところを見せてもらいました。袋から摘まみ出した煙草を解しながら、ローラーの溝に均等にならし詰め、ローラーをクルクル廻して形を整えてから、仕上げに紙を入れて廻せばできあがり。さすがに、あざやかな手際。フィルター近くは草の高さを合わせるが、先に行くにしたがってわずかに末広がりになるくらい、草の量を多くするのがコツらしい。つくり置きせず、吸うたびに巻くほうがずっと美味しいそうです。

できあがった手巻き煙草は、小さな箱型のトレイに立てかけて、席まで運んでくれます。紙巻をくわえると、すかさずジッポのライターで火をつけてもくれます。茶室で茶を供されたようなといえばオーバーでしょうが、ちょっとした紳士貴顕の気分にさせてくれます。基本的にはBARのようですから、お酒を飲まないなら、午後か夕方に訪ねるのがお客も少なくてよいでしょう。渋谷に出かけることがあったら、覚えておいて損はない店です。

でも、あの超人的なブラジル選手の猛攻をしのいで金メダルに輝いたメキシコに、オリンピック直前に一度勝ち、準決勝でも善戦したのですから、日本代表もたいしたものです。韓国に負けて銅メダルを獲れなかったからといって、あの快進撃を帳消しにして、なでしこジャパンに比べれば無視扱いというのでは、いかにも酷というものです。韓国や北朝鮮の選手のような強さは日本の選手には似合いません。日本らしい強さの見本をみせてくれた、なでしこジャパンの真価を見失ってはならないでしょう。
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今夜はウォーレン・ジボーン

2012-08-03 01:59:00 | 音楽
Warren Zevon Lawyers, Guns and Money


Keep Me in Your Heart, Warren Zevon(lyrics)

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アメリカの弱点みっけ!

2012-08-03 01:08:00 | ブックオフ本
  

 つい読んでしまった、アメリカのハードボイルドミステリ小説。手持ちの本を読んでしまい、飛び込んだ古本屋の特価コーナーでつかんだ。ババではなかった。読み出したら、止まらない上出来本だった。

『サイレント・ジョー』(T・ジェファーソン・パーカー 早川書房)

 舞台は南カリフォルニア、メキシコからの不法移民がコミュニテイをつくっているオレンジ郡。赤ん坊のときに、実父に硫酸をかけられ、母親の育児放棄から施設に預けられたジョーは、郡政委員の養父に引き取られ、24歳の新米保安官補となり、州立刑務所に看守として勤務している。勤務が終わった後は、養父のボディガード兼政治の裏工作にも携わっている。

 そんなある夜、養父が銃撃に倒れ、守れなかったジョーは自責に打ちのめされるが、深い悲しみを胸に犯人を追いはじめる。 州の政治を牛耳る強欲な富豪や権力欲と私腹を肥やす役人、絶大な人気を博すTV伝道師などがめぐらす策略と罠。貧しいメキシコ移民たちと下手人と目されるベトナム系のギャング団のつながり。やがて、偉大だったはずの養父の意外な顔がジョーを困惑させる・・・。

 とまあ、よくある勧善懲悪の「西部劇」の焼き直しなのだが、だからこそ、西部劇映画とウェスタン小説の美学を踏まえて、泣かせる場面がいくつかある。その白眉がこれ。

 わたしはひどく疑り深くずいぶん臆病な五歳の子供で、本に夢中だった。いや、夢中という言葉では正確に言い表わしたことにならない。本を読んでいるときは下を向いているから誰もわたしの顔の悪いほうの半分を見ることはできない。皮膚と筋肉がおぞましく痛々しいどろどろした赤いかたまりになっているのを誰にも見られることはない。普段はその顔で世界と向きあわねばならなかった。

 だが、顔を見られないようにしていればそんなことは忘れることができた。心の中で自由に時間と空間を行き来することができた。ヒルヴュー・ホームから何千マイルも離れたところへ、二百年前のアメリカの平原へ行くことができ、シャグというすばらしい野性の生き物がグリズリーと戦い、狩りをする人間たちの矢を受け、生き残ったわずかな仲間たちとともにイエロ-ストーンへ逃げ込むさまを見ることができた。

 あのときもわたしはシャグとともにイエローストーンにいた。
 だから、誰かが図書室に入ってきて向かいの小さなテーブルに腰をおろしたときもまったく注意を払わなかった。シャグと一緒にいたからだ。その男は-足音とコロンのにおいから男だということはわかっていた-テーブルをこつこつと指でたたいた。それでもわたしはシャグと走り続けた。
「ぼうや」彼はようやく口を開いた。「こちらを見なさい、きみを見ている者がここにいるんだから」

 言われたとおりに顔を上げた。そこにはこれまで見た中で最も思慮深く思いやりにみちた顔があった。悲しみとユーモアを漂わせたとてもハンサムな顔だった。そんなことはそれまで一度も考えたことがなかったにもかかわらず、その男を見たときに男とはどうあるべきかわかった。彼だ。それはシャグにとってイエローストーンに逃げ込まなければならないのと同じくらいわたしにとって明らかなことだった。

「そいつはただの傷痕だ。誰だって持っている。きみのは外にあるというだけのことだ」 もちろん、そう言われたときにはすでに顔をそむけていた。だが、何とか勇気を振り絞ってささやくような声で答えた。「シャグもクマと戦ったときの傷が脇腹にあるんだ」
「ほらね? 全然恥じるようなことじゃないんだよ」

 いったい何がわたしに次のセリフを言わせるような途方もない勇気を与えてくれたのか今でもわからない。とにかくわたしはこう言った。「あなたのはどこにあるの?」
「きみがもう一度わたしを見てくれたら答えよう」
 わたしはそうした。
 彼は拳(こぶし)で軽く自分の胸をたたいた。「わたしはウィル・トロナというんだ」 そう言って立ち上がると部屋を出ていった。
(p163~)


 養父ウィル・トロナと後の養子ジョー・トロナがはじめて会う場面だ。

だが、何とか勇気を振り絞ってささやくような声で答えた。」とこれは日本の小説でもあり得ない場面ではない。殻に閉じこもる子どもが、かたくなな心を開いて他者を受け入れる場面として。しかし、日本の小説なら、そのすぐ後のような展開にはきっとならない。「いったい何がわたしに次のセリフを言わせるような途方もない勇気を与えてくれたのか今でもわからない。とにかくわたしはこう言った。」とこれはまっすぐに、父子間の勇気の契りの場面になるのだ。こんな勇気を語る場面は、日本の小説ではちょっとない。日本で「泣かせる」場面となると、どうしても母子間の情愛に訴えるものになりがちだ。

この場合の「勇気」とは「傷痕」をめぐる男と男の対話として示されるのだが、実は父にとって息子こそ自らの傷痕そのものであったことが、最後の最後にわかる。父と子は、男と男は、情愛によってではなく、むしろ傷痕によって深く結ばれている。傷つけ、傷つけられる行為がなされた後に、はじめてお互いをつなぐ絆に気がつく。愚行や過誤の末に、大切なものを失う代わりに、醜い傷痕を得るという連鎖。それを断ち切る「勇気」の物語であることが明らかにされる。

ようするに、どうしようもない父親と健気な息子の話なのだが、アメリカの小説や映画では、それでも息子はどうしようもなく父親を愛している場合が多い。アメリカ人にはご先祖というものはなく、建国した移民者が初代の父親であり、それから後は「アメリカの息子」が続くだけなので、こんな近親憎悪と紙一重の父子の物語ができるのだろうか。

また、郡政委員ウィルと保安官補ジョーを通して、アメリカの政治の原点が、西部劇時代に保安官が活躍するような「スモールタウン」にあることがよくわかる。さしあたり中央集権以外に記憶がない日本からみると、勇気と暴力が一体になったアメリカの正義や友愛には、違和感があるが、アメリカ人が勇気という言葉に弱いということだけはよくわかった。アメリカ人が心動されるキーワードは、どうも勇気らしい。「勇気ある撤退」とか「わが国は勇気を示す用意がある」とか、勇気をまぶした文言を使うなど、そこいらへんを日本も外交的な戦術に加えると、日米関係も少しは噛み合うような気がする。

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