即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後
アジサイの季節です。今年はうまく咲きました。
表題のフェスティバル、一昨年までキジムナーフェスタとして沖縄市を中心に実施されていました。
昨年は、一部東京、一部那覇で開催されました。よく見ずに、沖縄に居る日の東京演目チケットを買ってしまいましたが。
今年は愛称をリッカリッカ・フェスタと改め、東京(7月26-27日)、那覇(7月27日-8月2日)で開催されます。
国内外から、評価を受けた児童・青少年向けの演劇・人形劇・パフォーマンスなどが終結します。
今年の私の一番の関心は、スリー・イン・ワン「愛と憎しみ…。パレスチナから平和を求めて」。
https://ja-jp.facebook.com/nuchigusuifest.jp
チケットの先行受付は5月30日から6月2日。
ドクダミの花、満開です。焼酎漬けが虫刺されに効くそうなのでつくりました。
さて、前回の授業に続いて。
大飯原発差し止め裁判判決要旨のおさらいをしたのち、川内原発の判決要旨を読みました。
さらに、高浜原発と川内原発の判決文の比較。
そのあと、自分が裁判官だったら、どちらの側の判決をするか、「福井地裁側」「鹿児島地裁側」「わからない」に分かれて、コの字型に座りました。
まず少数派の「鹿児島地裁側」からの意見。
どこかで線引きをして、原発を動かさないと、火力発電所に頼ることになり、地球温暖化が進む。
現にあるものを、すべて動かさないというのは合理的ではない。
それに対して、「福井地裁側」からは、地球温暖化の環境汚染は悪くて、放射能汚染は悪くないのか。環境汚染をひとつの尺度で測るのはおかしい。
万一事故が起こったときに、福島のようにならないという保障がどこにもない。
「鹿児島地裁側」からはさらに、原子力協定があって、そんなに原発を止めるのは簡単な問題ではないという指摘が。
そこで新たな論点として、「原発政策、欠けた視点」と題する藤垣裕子さん、寺島実郎さんの主張(新聞記事)を読みました。
話し合いは、国民はいても、市民(自立的自覚的市民)がいない。市民(私たち)があまりにも無関心だったのではないか。教育の果たす役割は? という方向へ展開していきました。
これから、彼らが環境問題に関してプレゼンをして、それに基づいて討論します。
楽しみです。