父の残したアマリリス、今年も咲きました。
今日は、応用ドラマ教育論で裁判員制度をとりあげました。
裁判官、被告、弁護士、検事、検事側の証人が登場する台本で模擬裁判を演じてもらい、他の人は裁判員になってその裁判を見守り、被告人が有罪か無罪かの判断をするというもの。
実はこれは、昨年学生がやったものを拝借。
昨年は、被告が有罪が無罪かをめぐって、グループで活発な話し合いがされました。
けれど証拠不十分の被告を有罪とするグループが多く、被告に対する偏見を感じざるをえませんでした。
ところが今年は、「証拠不十分で無罪」が圧倒的で、話が弾みませんでした。
昨年この授業をした学生に「なんでかなあ」と訊くと、「昨年はグループ内で被告や検事の役をやったので、自分のやった役に感情移入したので議論が活発だったんですよ」
なるほど、今年は裁判員の立場で見守ったので、それほど感情移入せずに、客観的に見ることができた。
議論を活発にするには、あまりにも証拠不十分な台本だったわけです。
今回の台本は、被告は一貫して「やっていない」と主張していますが、このぐらい証拠不十分でも自白があると有罪になったりするかも。
話し合いでは、そこをもう少し突っ込んでも良かったかも。
同じ台本なので、ここまで結果が変わるとは予想していませんでした。
どういう役をするかでこうも反応が変わったとすると、ドラマの手法はなかなか曲者。
まだまだ経験不足です。