孫のAちゃんと従姉妹たちの学習会、第2弾。1回目は5月で時計でした。
今日は、親のリクエストに応えて2年生のAちゃんとSちゃんは長さ。
3年生のKちゃんは割り算。
まず3人で長さから。
床に5メートルの巻き尺を伸ばし、巻き尺に沿って各々10歩の長さを測ってみる。
Aちゃん、10歩 4m57cm。
Sちゃん、10歩 4m63cm。
ところがKちゃんは5mからはみ出してしまい、測れない。
それで私「じゃあ、Kちゃんは5歩で測ってみよう」。
Kちゃん、5歩 2m95cm
それぞれの歩数と長さを夫お手製の黒板に書く。
私「ああ、でも困ったね。誰が一番長いか比べたかったけれど、Kちゃんは5歩だから、比べられないね。比べるにはどうしたらいい?」
私の予想では、「Kちゃんは5歩だから10歩に合わせて2倍したらいい」「1歩の長さをだせばいい」てな話になると思っていたのですが、
(あとから考えると5mからはみだしたKちゃんが一番長いのは、測るまでもない。
こういう愚にもつかない質問を、お勉強だからと一生懸命考えてくれたのね。
ということは、お勉強となったとたん、思考が日常の経験から切り離されるということか?)
Kちゃん「一歩足せばいい」
私「えっ?どういうこと?」
するとAちゃんも「そう、一歩足せばいい」
さっぱりわからない私。
するとKちゃんが、巻き尺のところへ行き、スタート地点(巻き尺の0のところ)から一歩後ろに下がって、歩き出した。
Kちゃん「ほら、こうすれば越えないでしょう」
なるほど、そういうことだったのか。
私「うん、わかった! じゃあ巻き尺のこっちに一歩足してもいい?」
と聞くと「それでもいい」というので、巻き尺の先に30cmの定規をおく。
Kちゃんが10歩あるくと、5m25cmだった。
さっきより歩幅が小さいけれど。
まあいいか。
小学生の言いたいことを理解するって、難しい!
そのあと、2年生たちが定規で長さを測って比べたり、指定された長さの線を書いたりしているうちに、Kちゃんは24個のイチゴを分ける計算。
Kちゃんがイチゴを食べようとするのだけれど、そのたびに人が増えて、ひとりあたり何個になるかを計算しなおさないといけなくなる。
イチゴがないので、アラレで代用。
「ふたりで分ける」「3人で分ける」までは順調だったけれど
「4人で分ける」で7個だという。
私「あれ?本当にみんなに同じ数だけ分けた?数えてみて?」
すると5個のところと6個のところと7個のところがある。
Kちゃん「ああ!6個だ」
「ひとつずつ順序良くきちんと配っていく」ということがあんがい難しいこともあるのだと知った。分ける人数が増えると、余計に混乱する。これができないと、「一人当たり」の意味が分からないわなあ。
ところが、文章問題ではなく
24÷4=
24÷6=
24÷8=
の問題は、難なくやってのける。
いじわるで出した
24÷12=
できなかった。二桁で割るのは習っていない。
でも、さっき「24個のアラレを12人で分けるとひとり2個ずつ」をやったばかりだ。
そのとき式も書いたのに~!
私「もう一回、アラレ分けてみる?」
私は頭を抱える。
この子にとって、アラレでやったことが式と結びついていないのは明らかだが…。
なんで?
学校では、おそらく計算式の答えがそこそこ書けているので
この子のつまずきを先生は分かっていないかも。
そして、こういう子どもは多そうだ。
私は、とうてい小学校の先生はできません。
言いたいことを伝えるのも難しければ、向こうの言っていることを理解するのも相当難しい。
3人の子どもでも難しいのに、30人も40人も、無理!
2年生が測ったり、線を引いたりを終わってしまったので、割り算はここまでとなり、
あとは定規できっちり長さを測って箱をつくった。
それぞれ1辺が3cm8mm、4cm1mm、4cm4mm、4cm7mmの立方体の箱をつくる。
Sちゃん3cm8mm
わたし 4cm1mm
Kちゃん4cm4mm
Aちゃん4cm7mm
同じ長さで、何度も何度も測って、正方形が13個つながった設計図を画用紙に描いていく。
設計図ができたら、それを切って組み立てる。
Aちゃんが一番苦戦していた。
長いほど、狂いも大きくなる。
けれど最終的には4つの箱が順に入れ子になって、ちゃんと完成。
それぞれ好きな模様をつけて、素敵な箱になった。
この学習会は、楽しい。成果はあがらないかもしれないけど。
「成績をあげる」なんて責任もないし、分からなくても「考えとき~」でおしまい。
ひょっとして親は学校の宿題を期待しているかもしれないけれど、やっていません。
教材を考えているときが、一番楽しい。
相手が何歳でも、コミュニケーションが難しいのは変わらないけれど、
高校生や大学生は向こうがこっちを察してくれたりする。
楽をしていたんだなあ。