冬というにはあまりにも暖かい日
京都駅集合ということで地下鉄乗り継ぎで京都駅へ
改札をでてから反対側へ歩いてしまう
方向感覚が鈍っている
目的は大覚寺
昨年春に行ったばかりだけれど
句会メンバーがガイドをしてくれ
句をつくる目的で観たり聴いたりするので
前回は目もくれなかったところへ意識がおよぶ
季節に対する感覚も敏感になっている(はず)
12月のはじめというのに
まるで秋のよう
紅葉真っ盛りで
松の緑、空の青、黄葉もあり、大沢の池には黒い大鷭(オオバン)
地球はとても素敵
こういう時
生きていて良かったと
それにしても
季語が感覚とどんどん合わなくなっていく時代ではなかろうか
時代に応じて季語は変容していくというから
あまり捕らわれない方が良いのかも